静かな海で
紗羅をどこに誘うべきか、いい案は浮かばなかった。
買い物には行ったことがあるし、凛々子さんの手前わざわざ食事に行くのもどうかと思う。遊園地はなんとなく紗羅の好みからは外れそうな気がする。
となると映画館とか? でも、付き合いの浅いカップルが行くと破局の元になる、みたいな話も聞いたことあるんだよな……。
「むぅ。本人と相談した方がいいか」
まだ、そこまで紗羅の趣味を知っているわけじゃないし。
そう決めた俺は朝食をとりに食堂へ向かい――。
「悠奈さん。わたくしとドライブに行きませんか?」
顔を出すなり深香さんに抱きしめられ、遊びに誘われた。
香水でもつけてるのか、深香さんの身体からはうちのボディソープとは違う香りがした。そんなにキツくなくて、いい匂い。
って、そうじゃなくて。
「すみません、今日は……」
他の用事があって、と言おうとする口を胸の谷間で塞がれる。
苦しい、息が……。
「嫌、なんですか?」
囁き声。
解放と同時にじっと見つめられ、言葉に詰まる。
なんなんだいきなり、と思う一方で、
――断ってはいけない、と頭のどこかで何かが命じていた。
「わ、わかりました。行きます」
半ば強迫観念に押し出されるようにして答えると、深香さんは満面の笑みを浮かべて喜んでくれる。
「ありがとうございます。では朝食の後少し休んで、十時前には出かけましょうか」
「了解です」
……なし崩しに予定が埋まってしまった。
はあ、と息を吐きつつテーブルに向かう。と、紗羅と世羅ちゃんが俺をじっと見つめているのに気づいた。
「悠奈さん?」
「まさか、今の見られてた?」
「はい、ばっちり」
……うわぁ。恥ずかしいところを見られてしまった。
ただ、世羅ちゃんに冷やかそうとする様子はなく、むしろ何かを心配するような視線を俺に送ってくる。
「あ、世羅ちゃんも一緒に行きますか?」
そこへテーブルの向かいから深香さん。
世羅ちゃんは「いえ、私は……」と言いかけた後、紗羅の方を見てぱっと顔を輝かせた。
「あ、じゃあ皆で行きませんか? この前お買い物した時みたいに」
「あ、それはいいかも」
二人きりじゃなくても、紗羅が一緒の方が俺は嬉しい。
「ええ、私は構わないけど」
深香さんもそう言って頷き、紗羅を見る。
しかし、当の紗羅は困ったように微笑んで首を振った。
「ごめんなさい。私は遠慮しておきます。気にせず三人で行ってきてください」
「そうなの?」
「うん。ごめんね、世羅」
すると世羅ちゃんもしょぼんと肩を落とし、結局、不参加を表明した。
「では、悠奈さん。わたくしたちだけで行きましょうか」
「……そうですね」
紗羅と世羅ちゃんの様子が気になりつつも、俺は深香さんの言葉に頷くしかなかった。
* * *
「うん、いい天気」
青い空を見上げた深香さんが目を細めて呟く。
俺たちは快晴の空の下、波打つ海辺にいた。広がる砂浜と青い海のコントラストと、静かに響く波音はなかなかに情緒的だ。
ただ――。
「今、冬ですよね」
「そうね」
この時期の海はぶっちゃけ寒い。
もちろん、二人とも防寒装備はしている――俺はデニムにタイツ、トップスも二枚着た上にジャケットを羽織り、更にコート。深香さんもすらっとした長いコートで身を覆っている――ものの、それでも水辺は寒々しい。
砂浜が静かで広いのも、他に人がいないからだし。
「どうしてここに来たんですか?」
午前中から車に乗って延々移動したかと思えば、これである。
はあ、と息を吐きつつ尋ねると、隣に立つ深香さんはこちらを振り返らずに答えた。
「静かなところに来たかったから、かな」
「……?」
少し、いつもと様子が違うか。
そういえば、さっきから口調も敬語じゃなくなっている。
不思議に思いつつも黙っていると、深香さんも喋らずただ砂浜に佇む。
と。
「えい」
おもむろに手を持ち上げる深香さん。その手のひらに突然、大きな炎の塊が生まれた。ちょっ、いきなりなにやってるんだこの人。
しかし俺は混乱のあまり何も言えず、その間に彼女は腕を振りかぶり――手の中の炎を海に向かって投擲した。
炎はみるみるうちに海へ吸い込まれていき、ぼん! と大きな音を立てて消滅する。
後に残ったのは熱により生まれた水蒸気だけ。
「静かな場所って、まさか今のをやるためじゃないでしょうね!?」
「まさか。そこまで無鉄砲じゃないわ」
……本当か?
くすくす笑う深香さんを半眼で睨みつつ、俺は周囲へと視線を巡らせる。うん、どうやら人の気配はなし。今の奇行を目撃した者はいなさそうだ。
「悠奈さんは優しいのね」
「そう、ですか?」
「ええ。だって、こんなままならない状況に置かれながら、腐らず努力している」
今度は一転、落ち着いた表情でこちらを見つめてくる。
態度がころころ変わり過ぎで、反応をどこに落ち着けていいか迷う。
「それは、紗羅がいてくれたからですよ。あと、世羅ちゃんや凛々子さん、杏子さんも」
「そっか。紗羅さんがやっぱり最初に来るのか」
じゃあさ、と深香さんは続けて。
「考えてくれた? この間の話」
「……いえ。まだ決められてません」
「どうして?」
「今の俺に紗羅を守れる力がないから、でしょうか」
紗羅と二人で生きていく。
それ自体はとても素敵な話だと思うし、正直憧れる部分もある。でも、実際にやっていける自信がない。
地位とか財力とかそういうのは仕方ないとしても、せめて純粋な戦う力が欲しい。
「いつか真夜みたいな相手と戦うことになったとき、紗羅の役に立てる……いや、紗羅の足手まといにならないくらいの力がないと、って」
「なるほど」
俺の答えに深香さんは頷いて、それ以上何も言わなかった。
彼女は一体、何を思っているんだろう。
「あの、聞いてもいいですか? 深香さんが俺に良くしてくれる理由と……あと、杏子さんが紗羅を遠ざけようとしている理由を」
尋ねるには丁度いいチャンスかもしれなかった。人気のない場所で二人きり、邪魔が入る心配も、誰かに聞かれる心配もない。
「そうね……」
深香さんはしばらく考えるように顔を上げて、やがて呟いた。
「悠奈さんたちに良くする理由は簡単よ。あなたたちと仲良くなりたいから。あなたたちと、繋がりを持っておきたいから」
「繋がり?」
「そう、繋がり。接点、でもいいけど」
はぁ、と吐息がこぼれる。
「本家と分家、じゃないけど……壁があるの。同じ羽々音の娘といっても、母と、屋敷を継いだ杏子さんとでは。だからせめて、世羅ちゃんや悠奈さんとの距離は縮めたかった」
仲間はずれ、みたいな気分だったのだろうか。
深香さんのお母さんは結婚し、どこか別の場所に暮らしているはずだ。それは、あるいは、紗羅と似たような境遇だったのだろうか。
選ばれず――遠ざけられた。
なんて、益体もない想像がよぎる。
「でも、紗羅ちゃんとは仲良くできないかな」
「え……?」
今、なんて。
深香さんが自嘲気味な笑みを浮かべる。
「羽々音の家が悪魔と仲が悪い、っていうのは知ってるでしょう? それの延長。淫魔――サキュバスは性質的に悪魔に近いから。紗羅さんと明確に仲良くすることはできないの」
個人的な感情を問わずね、と呟きが続いた。
「それに、悠奈さんに想われてるのは妬けてしまいますし」
「は……?」
「なんて、冗談です」
突然、丁寧口調に戻ったかと思えば、またよくわからない発言を。
くすくすと笑う深香さんは、ぽかんと口を開けた俺を置いたまま、くるりと身を翻す。
「さあ、悠奈さん。まだまだ色々回りますよ」
……結局、詳しいことは聞けずじまいだった。




