特別編 若さってなんだ
朝、いつものように顔を洗おうとしてふと気づいた。
「……あたし、老けてきてる?」
肌に張りがなくなってきている。
艶も、潤いも。明らかに十代の頃よりも衰えている。
ううん、気づいた、と言うと嘘になるかもしれない。
本当はとっくに気づいていたと思う。だって、歳をとるのに合わせて化粧品を変えたり、野菜を食べる量を増やしたり、健康食品を気にしてみたり、考えてみれば色々やっていたんだから。
でも、自覚したのはこの時。
黒崎澪、二十九歳のある日のことだった。
* * *
「で、だいだい皆さんのせいだと思うんですよ」
「い、いきなりそんなこと言われても」
あたしが置いた紅茶のカップを静かに持ち上げ、悠奈先輩が苦笑した。
天然の癖がある茶がかった髪と、ちょっと鋭い感じの瞳が一目で印象に残る美人さん。ドレスとかワンピースは肩が凝るからと身に着けている、タイトスカートのレディーススーツが似合っていて殺意が、もとい羨ましい。
と、悠奈先輩の隣に座った紗羅先輩がおっとりと首を傾げる。
「私達のせいって、どういうこと?」
学生時代長かった髪は看護士のお仕事で邪魔になるからと短くなったけど、お嬢様っぽい顔立ちと仕草はそのまま。ただあるだけで男の目を惹く胸もそのまま――いや、あの頃よりもっと大きくなっている。
「だから、お二人とか華澄が綺麗過ぎるって話です」
「ありがとう?」
「褒めてますけど褒めてません」
一応、今のは恨み言のつもりだった。
あたしが一人の女として気づきたくない、屈辱的な事実に気づいたのが今朝のこと。そして、その日はたまたま、あたしが勤めている羽々音のお屋敷に先輩達が顔を出す予定があった。
で、メイドしておもてなししつつ、ついでに憤りをぶつけてみることにしたんだけど。
今朝の出来事を聞いた二人は、あろうことかうんうんと頷いて、
「あー、わかる。手入れとか大変だよね」
「うん。私も最近、気になるところが多くなってきて」
「わかりました。喧嘩売ってますね」
古い知り合いが相手とはいえ今は仕事中、制服であるメイド服を着ている以上、プロとして振る舞わなければいけない――でないと後で凛々子さんに怒られる――のはわかっていても、イラっとせずにいられなかった。
あたしは自分の分のティーカップを掴むと、やや冷めつつあったそれを一気飲みしてから二人を睨む。
「お二人とも、殆ど高校の頃と変わらないじゃないですか!」
そう。
ぶっちゃけた話、悠奈先輩も紗羅先輩も見た目はあの頃と大して変わっていない。それはまあ、社会に出て揉まれたり出産を経験したりで顔つきや雰囲気は凄く大人っぽくなったけど、単純な容姿で言ったら驚くほどそのままだ。
理由は、二人が妖狐とサキュバスだから。
高い魔力を持ち、高度な魔法を操る種族。もともと人間より長寿な傾向にあるうえ、魔力で身体を満たしていると健康効果もある。意識して老化を止めようとしなくても、ある程度ひとりでに若い見かけが保たれるのだ。
ずるい。正直ずるすぎる。
「でも、澪ちゃんだって同じようなことできるでしょ?」
あ、悠奈先輩が言ってはいけないことを言った。
「あたしたち魔術師は命削る勢いで魔法の修行してるんです! むしろ魔法使ってたら肌の調子悪くなるんですよ! MPの桁が違う上、自然の中でリフレッシュしたり、人からちゅーちゅーできる人達と一緒にしないでください!」
これは先輩達だけじゃない。
悠奈先輩と同じく妖狐である華澄や、天使である杏子さんに世羅ちゃん、サキュバスの凛々子さんも、元天使と元悪魔の双子も、もっと言えば先輩達のお子さんも、あたしの周りにいる人は大体みんな規格外なのだ。
例外はお兄様くらいだけど、あの人はあの人で、元悪魔なのか元淫魔なのかわからない痴女に吸われまくってるから悪い意味で参考にならにあ。
「ご、ごめんなさい」
あたしの勢いに紗羅先輩が謝ってくれる。
それで少しは気が晴れて、あたしはふう、と息を吐いた。
「……すみません。先輩達が悪いわけじゃないのはわかってるんです。でもちょっと、どうしても愚痴を言いたくなって」
メイド式に深々と頭を下げる。
ゆっくり顔を上げると、悠奈先輩と紗羅先輩の優しい笑顔があった。
「大丈夫、気にしないで」
「私達で良かったらいつでも聞くから」
「ありがとうございます」
良い人達だ。
だからこそ、冗談混じりとはいえ恨むわけにもいかなくて困るんだけど。
「そういえば、お子さんはお元気ですか?」
「うん、みんな元気いっぱいだよ」
「ふふ。元気すぎるくらい。でも、悠奈ちゃんや華澄ちゃんに似て可愛くて、見ているだけで飽きないの」
「へー」
穏やかに言う紗羅先輩にあたしもほっこりした気分になった直後、悠奈先輩が「え、紗羅と華澄に似てるんだよ」とか言い出したことで終わりのない惚気合戦が始まってしまい、あたしはさっきの思いはどこへやら、内心で呟いた。
あー、はいはい。そういうのはもうお腹いっぱいですから。
というか、途中で我慢しきれなくなって口に出した。
肌の件について、どう思う、と旦那に聞いてみたら「君は変わらず可愛いよ」とか、何の参考にもならない意見が返ってきた。
なんとなく、この人の場合、あたしが激太りしても気にせず可愛いって言ってくれそうな気がするのだ。と、それを言ってみたらそんなことはない、と猛烈に否定されてしまった。
まあ、そっか。
メイド服をクリーニングに出すタイミングになる度、嬉しそうに「一度持って帰って来い」と言うような人だし。一応、これであたしの顔とか体型は気に入ってくれているのか。
「愛してるよ、澪」
「……はい、あたしもですよ、旦那様」
恥ずかしいから面と向かって言うのは程々にして欲しいんだけど、結婚から何年か経った今でもこの人はこんな感じである。
「って、いうことがあってさ」
『ふふ。ええ、悠奈様達からも幾らかはうかがいました。華澄も、澪はとても綺麗だと思いますよ』
「ありがと。でも、華澄も悠奈先輩達側だからなあ」
華澄とは今でもよく電話で話をする。
頻度で言えば、何だかやたらかけてくるマジシャンのあいつの方が上だけれど、仲の良さで言ったら未だに華澄が一番だと思う。
あんまり性格は似てないんだけど、華澄と話してるとなんだか落ち着く。
『……でも、澪は若返りたいんですか?』
「へ? どういうこと?」
華澄の問いに、あたしは首を傾げながら問い返した。
そりゃあ、若返れるなら若返れる方がいいと思うけど。
『でしたら、長く生きたいですか? と聞いた方がいいでしょうか』
「あ……」
言われている意味がわかった。
若い身体を保つということは、長生きするということ。一般人の限界を超えて、もしかしたら大切な人達を先に逝かせてなお。
あたしは少し考えてから答えた。
永遠の若さ、なんて、いかにも魔術師が追い求めそうなものだけど。
「……ううん。あたしはいらないかな。うん、できる範囲でお化粧とか健康法を頑張ってみる」
『はい。それがいいと思います』
華澄の声は優しかった。
そして、あたしは死ぬまでこの時の選択を後悔しなかった。
でも、その上で時々思うことがあった。
あの時の言葉が、あたしの選択が、華澄や悠奈先輩達に影響を与えてはいかなかったか。人より長く生きることを宿命づけられた彼女達への『呪い』にはならなかったか。
もちろん、面と向かってそんなことを聞けるはずもなく。
あたしは、長い長い時間の後、彼女達と笑顔でお別れすることになる。
あれ、美容ネタがやりたかっただけのはずが何か重い話に……?




