慎弥の考え
オレンジジュースを一口飲んでコップを置く。
「話はだいたいわかったけど……なんで真夜が慎弥のところにいるの?」
「彼が私を召喚したからよ」
慎弥のお父さんは、一般人が魔術を扱うための方法としていくつかの候補を挙げていた。慎弥と澪ちゃんもお父さんの資料を基に方法論を模索していたが……最終的に慎弥が選んだのは悪魔の力を借りる、というものだった。
理由は、この方法が最も容易だと判断したから。足りない力を他から借りる、という発想は理に適っているし、悪魔は人間からの召喚に応じやすく、取り引きにも応じやすい。
加えて言えば、私と紗羅が「悪魔の実在」を喋ったことも一つのポイントになった。いるかわからない他の存在を探すより効率がいい、と考えるのは確かに自然だ。
慎弥は様々な資料を基に、考えられる最高の魔法陣を描き――結果、真夜を召喚した。
純粋な悪魔を呼び出せたのだから大成功と言っていいだろう。
「まあ、あの魔法陣も私から見ればまだまだ稚拙だけどね」
「な……あれだけ苦心して描いだ陣でもその評価か!」
あ、なんか澪ちゃんに睨まれた時より落ち込んでる。
「そりゃ、素人が描いた陣ならそんなものでしょ。……でもまあ、こっちとしても、近場からの召喚で都合が良かったから応じたわけ」
「いや、どこか遠くへ行ってくれていいんだけど」
「なら、さっさと三つ目の願いを消費して欲しいものね」
そっか。遠くから私の呼び出しに応じると疲れるから、近くに居ないといけないのか。でも、こっちとしても契約を失効させたくはないジレンマ。
「あのう、先輩たちはこの女とお知り合いなんですか?」
「うん。だって真夜は、あの時に私たちが戦った相手だもの」
「え!?」
紗羅の返答に驚く澪ちゃん。
「そのこと、お兄様は知ってたんですか?」
「ああ。昨夜、真夜から聞いた。だが、あまり気にしてはいなかった。何せ、こちらも代償を払っての取り引きだ。結果的に友人の敵を利することになったとしても、それは仕方のないことだろう」
例えば友達があるお菓子屋さんでバイトしていたとしよう。だからといって、自分が近隣にあるライバル店――別のお菓子屋さんを利用することに罪悪感を持つ必要はあるだろうか?
私がバイトしている子の立場なら、たぶん「ない」と答える。
ただ、
『相手が納得できるかどうか、はまた別問題じゃがな』
……うん。ちょっともやもやする。
私は真夜の強さを、紗羅との因縁を知っているからそう思うんだろうけど。
「じゃあ、黒崎くんは今でも真夜と取り引きをするつもりなんだ?」
「ああ。ここまで来た以上、簡単に引き下がるつもりもない」
「私も、みすみすこの子を手放すつもりはないわよ?」
「まあ、真夜はそう言うだろうけど……」
横手から口を挟んだ真夜を、紗羅が横目で睨んだ。
彼女はそれから慎弥に向きなおって真摯に告げる。
「黒崎くん、悪魔との取り引きなんて止めた方がいいよ。一度やろうとした私たちだからこそ、そう思うの」
私も紗羅の横で頷く。
悪魔との取り引きなんてするものじゃない。紗羅の呪いの時はやたらとふっかけられて交渉にならなかったし、真昼と戦った時は危うく全滅するところだったのだ。
「魔法なら私たちが教えられるかもしれないし」
ただ、杏子さんたちに許可を取ってからになるだろうが。頭ごなしに駄目と言われることはたぶん、ない気がする。
しかし、私の提案を真夜は笑って否定した。
「それは難しいと思うわよ」
「どうして?」
「貴女、自分の時と同じように考えているでしょう? その子の魔力量、ちゃんと見たことがある?」
ない。
というか、魔力量を計測する方法を私は知らない。
『尻尾を出せば、悠奈にも大まかに量ることはできると思うが』
悠華の声に、紗羅が小さく首を振った。
そこまでしなくてもいい、と言いたいらしい。
彼女はしばし慎弥に視線を向けて、言いづらそうに息を吐いた。
「……黒崎くんの魔力は人並みみたい。もしも数字に直すと、私や悠奈ちゃんの十分の一以下、かな」
「ついでに言うと素養も人並み。一般人なんだから当然だけど」
私の場合、自覚がなかっただけで妖狐の血が流れていた。魔力量も紗羅たちと大差ないし、もともと素養もあったのだろう。
だから催眠で無理矢理、感覚に慣れることでスムーズに習得できた。
でも、魔力量が少なければ訓練も捗らない。素養が低ければ、私と同程度の催眠では魔法を発動できないかもしれない。
「他の方法は? 悪魔じゃなくても天使とか」
「天使ねえ。あいつらは私たちと違って、取り引きの類はあまり好まないわよ? あと、力の使い方にまで口うるさく文句をつけるかも」
私の知る純粋な天使――真昼は、真夜への嫌がらせのために紗羅を殺そうとした。自分たちの子孫である深香さんを唆して凶行に駆り立てたりもした。
善悪の基準が私たちとは違う。
物事を杓子定規に判断しすぎる、と感じることはあった。
『わらわや、他の神にも期待しない方がよかろう。わらわたちは助力の代価として信仰や、眷属として人を辞めることを求めるからな』
「………」
まだ他の方法もあるかもしれないが――おそらく、慎弥の求める「手っ取り早さ」という条件は満たせないだろう。
黙り込んだ私たちを見て、慎弥が肩を竦めた。
「……気持ちはありがたいが、そういうことだ。多少危険な方法でも、それしかないならそうするさ」
「どうして、そこまでして魔術を覚えたいの? 覚えてどうしたいの?」
「夢だから、としか言いようがないな。覚えて何かを為すというよりは、覚えること自体が目的だ。敢えて言うなら探求か」
探し求める。
魔術を覚えることが叶えば、今度はその先を。他の方法や、効率のいい使い方、訓練方法を。
「言っておくが、父のため、というだけが理由じゃないぞ。これはもうとっくに僕自身の望みになっている」
「……それは、そうだろうね」
学校でも、特に用事が無い時は怪しげな本を読み耽る。
授業中ですら、ふと様子を窺うと何やら物思いに耽っていることが多々ある。
迂闊にオカルト系の話題を振ると、延々講釈に付き合わされる。そういう奴だったからわかる。むしろ今更「実は大して好きじゃない」って言われる方がびっくりする。
「じゃあ、どうしても止める気はない?」
「ない。さっきも言ったが、ここまで来て止められるか」
はっきりした回答だった。
「……これですよ。お兄様は自分勝手すぎます」
「うん、確かに」
「自分が好き勝手するんですから、あたしだって同じことしてもいいじゃないですか」「ごめんなさい、澪ちゃん。それは私も悠奈ちゃんも反対」
「えー、なんでですかー!」
だから、危険なんだってば。
もう真夜を召喚しちゃった慎弥はともかく、澪ちゃんがこれから同じことをするのは、それこそ全力で止める。
「いいからお前は、せめて僕が結果を出すまで待っていろ」
「お兄様は黙っててください」
「………」
澪ちゃんにきっぱり言われて閉口する慎弥。
頑固だけど、基本的に妹には頭が上がらないっぽい。
「じゃあさ、せめて本格的な取り引きはしばらく遅らせられない? 私たちも家に帰って相談してみたいし」
「……ああ。まあ、それくらいなら構わない」
もともと、地下室に籠もったのは主に召喚の儀式を行うためだったらしい。召喚に成功した今となっては、無理に地下へ籠もり直す必要はない。
真夜も、今の段階で慎弥や澪ちゃんに危害を加える気はない――例えば澪ちゃんを虐めて、慎弥の気が変わったら藪蛇だ――ということで、私たちはいったん話を打ち切った。
途中で紗羅と別れて家に帰ると、その日は夕食や入浴、宿題だけを済ませて眠った。疲れと微妙な体調不良のせいで試験勉強どころじゃなかったからだ。
……本当、このタイミングで色々重なるのは勘弁してほしかった。




