直談判へ行った先で
しばらく連絡が取れなくなる、と慎弥が言っていたのは、どうやらこのことだったらしい。
……何が「大したことじゃない」だ。魔術の習得なんて物凄い大問題なのに。
「昨日、悠奈さんとのデートから帰ったあと、お兄様が突然言い出したんです。何日か地下室に籠もるから絶対に入って来るな、って」
慎弥と一緒に研究を続けてきた澪ちゃんには、その意味がすぐわかった。
「あたしも一緒に、ってお願いしたら、お前は駄目だって。言い合っているうちに喧嘩になって……」
結局、慎弥は地下室に閉じこもった。
澪ちゃんは殆ど一晩中泣きはらし、そのまま学校に来たらしい。
「黒崎くんはどうして澪ちゃんを仲間外れにしたの?」
「先輩たちと同じ、危険だからです。どうしても参加したいなら僕の結果を見てからにしろ、って言って」
自分が実験台になるつもりだったのか。
……うーん。
慎弥の言うことには同意するけど、お前が言うなっていう気もする。もともと兄妹二人で進めていた研究だろうに、土壇場で除け者にするとか。
魔法が使いたいなら私たちを頼ってくれれば、と思うのは虫が良すぎるだろうか。彼に私たちの詳しい事情は話していなかったから、慎弥が「慣れあうべきじゃない」と考えても不思議はない。
それに、たぶん、相談されたら私は彼を止めていただろう。
「お兄様だけ先に良い思いするとか許せません」
いや、えっと、澪ちゃん。
怒るポイントは本当にそこでいいの?
……まあ、ともあれ。
「このタイミングで言い出したのは、円さんのことがあったからかな」
「だと、思います。婚約者ができてからじゃ色々と動きづらくなる。今のうちにやりたいことをやっておく、って」
「……それは」
私が慎弥と吐いた嘘について、ここで話しておくべきだろうか。
迷う私の瞳を澪ちゃんが見つめる。
「お兄様から聞きました。悠奈先輩とお兄様との交際は、婚約を遅らせるためのお芝居だったんですよね」
「……うん」
そっか、慎弥から聞いたんだ。
――せっかく悠奈先輩と付き合い始めて、まだ趣味を続けていられそうなのに何故。
兄妹喧嘩の際、澪ちゃんはそんな風に慎弥を問い詰めたらしい。その際、慎弥から真実を聞かされた。
歳をとるほどしがらみも増える。今のうちが好き勝手できる限界だろう。
彼はそんなことを澪ちゃんに言ったそうだ。
「ごめんね、嘘ついて」
「……いいえ、いいんです。円さんから今回の連絡があった時点で、こうなるのは決まっていたと思いますし」
そう言って貰えると少し気持ちが楽になる。
「悠奈先輩ならって思ったのは本当だから、ちょっと残念ですけどね」
「う」
くすりと笑った澪ちゃんの言葉が、ぐさりと胸に突き刺さった。
でも、こればっかりは聞いてあげられないんだよね……。
と。
『悠奈、紗羅。そういう話なら、のんびりしている場合ではないかもしれんぞ』
これまで黙っていた悠華が私たちにそう告げた。
……うん、その通りだ。私は軽く頷いて意識を切り替える。
ひとまずスマートフォンを取り出して、慎弥にコール。案の状、電波の届かない場所にあると言われた。地下室って言ってる時点でそうだろうとは思ったけど。
「紗羅、お屋敷への連絡お願いしていい?」
「わかった。ちょっと遅くなりそうだもんね」
紗羅と頷きあい、私は母さんへ「帰りが遅くなる」旨メールを送った。
急に動き始めた私たちを見て澪ちゃんが首を傾げる。
「あの、どうするんですか?」
「もちろん」
「黒崎くんを止めに行くんだよ」
ぽかんと口を開けた澪ちゃんを連れて学校を出た。
慎弥は「何日か地下室に籠もる」と言っていたらしい。だから、素直に考えればまだ余裕はあるはずだけど、急ぐに越したことはない。
しばらく駅の方へ歩いた後、通りがかったタクシーを拾う。
「タクシーって、あたしお金持って……」
「大丈夫。私たちが払うから」
「うわ、お嬢様だ」
うん、まあ、私はともかく紗羅は生粋のお嬢様だし。
「でも、お二人にそこまでしていただくのも」
「気にしないで。慎弥のことなら、私たちも無関係じゃないから」
放っておいたら寝覚めが悪い。
というか、もし慎弥が何かしらの失敗をしたらまず澪ちゃんが困るんだけど、あいつはそのへんちゃんと考えているのか。
しばらくして黒崎家付近へ到着した。
お金を払ってタクシーを降り、澪ちゃんに鍵を開けてもらって中へ入る。
――見た限り、感じた限りでは異常は見られない。
「こっちです」
澪ちゃんに案内されたのは一階の奥、廊下の突き当りだった。床面に設置された蓋状の扉が開かれ、その先に階段が続いている。
澪ちゃんが呟く。
「ただ、たぶんお兄様には会えないと思います」
言葉の意味は、階段の先にあったものを見ればすぐにわかった。
防音も完備されていると思われる、分厚くて頑丈な扉。当然、鍵がかかっており、押しても引いてもびくともしなかった。
何度か強く叩いて声を上げてみるが、反応はなし。
「合鍵は全部お兄様が持っています」
つまり、今は地下室の内側にある。
電話は通じない、合鍵はない、呼びかけても応答しない。となると、確かに普通の方法じゃどうしようもない。鍵屋さんを呼んで開けてもらう、とかまで行くと大事になってしまうし。
『ま、無理矢理開けてしまえばよかろう』
「……だね。紗羅、お願いしていい?」
「うん」
「え……?」
紗羅が扉の前に立ち、鍵穴付近を睨む。
すると、ほんの数秒で、かちゃりと音を立てて鍵が開いた。
澪ちゃんが目を見開いて声を上げる。
「え? え!? 紗羅先輩、何したんですか!?」
「鍵がないから、直接、錠前の方に動いて貰ったの」
「は……?」
……事もなげに言われちゃうと、そりゃ驚くよね。
「ゆ、悠奈先輩も今みたいなのできるんですか?」
「いや、私はちょっと。物を支配するのは苦手っていうか」
「支配って!? っていうか、じゃあ何ならできるんですか!」
何だろう。火の球をぶつけるとか?
この扉は金属製っぽいから意味ないだろうなあ……。むしろ、黒崎家が火事になってしまう可能性すらある。
「……こんなの見せられたら、余計に憧れちゃいます」
「そんなにいいものじゃないよ。普段、使う機会なんてそうそうないし」
「漫画みたいに戦う機会とか無いしね」
「お二人が言っても説得力ないです」
『全くじゃな』
悠華、うるさい。
「じゃ、行くよ」
「うん」
「はい」
紗羅と澪ちゃんに断ってから、私はノブに手をかけ押し開いた。
重い手ごたえ。
ゆっくりと扉が開き、地下室の様子が明らかになる。
基本的には書斎と言っていいだろう。壁にはいくつも本棚が並び、大きな木製の机の上には髪束とPC。本棚に収まりきらない書籍や怪しげなグッズ、飲料水のペットボトルや栄養食品の箱等があちこちに散乱し、中央の床には「いかにも」な魔法陣が描かれている。
端っこに申し訳程度に置かれたソファは仮眠用だろうか。
「え」
「あ」
「な」
ソファの上には二つの影。
そして、周囲には脱ぎ捨てられた衣服があった。
影の一つは慎弥。ワイシャツのようなものだけを身に着けており、半裸というか全裸というか。幸い、局部は角度的に見えない。
そしてもう一つは、明らかに人ではないシルエット。
暗い紫色をした髪と瞳。どこかエナメルを思わせる質感の、鋭角に尖った翼と尻尾。煽情的すぎて危機感を覚えてしまうようなボディライン。
いつもの黒いボンテージは、今は上下とも身に着けていない。
豊満な、剥き出しの胸を慎弥に押し付けたまま、女悪魔――真夜が私たちに笑いかけてくる。
「あら、いらっしゃい。――ノックもなしに入って来るなんて、無粋なことね」
遅ればせながら、左手の紋様がかすかに疼いた。




