帰宅した夜
慎弥とは彼の家の前あたりで別れた。
「それじゃ、また。もし何かあったら教えて」
「ああ、わかった。まあ、円さんに関しては問題ないと思うが」
言って、彼は何か迷うように視線を巡らせる。
「慎弥?」
「いや。……大したことじゃないんだが、もしかしたらこれからしばらく、連絡を貰っても返せなくなるかもしれない。少し集中して取り組みたいことがあってな」
「そっか」
頷く。
何をするのかは知らないが、慎弥らしいといえば慎弥らしい話だ。
今のところ、私や紗羅の方で問題は起きていないし、直近で彼の力を借りるような事態も起きないだろう。
「その本で何か研究でもするの?」
「そんなところだ」
軽く答える表情もいつも通りだ。
私は微笑んで「了解」と答えた。
屋敷に帰ると、玄関先で紗羅が出迎えてくれた。ずっと待っていてくれたのかと一瞬驚いたけど、考えてみれば、私の帰ってくるタイミングは筒抜けなのだ。
「ただいま、紗羅。遅くなってごめん」
「ううん。お帰りなさい、悠奈ちゃん」
靴を脱いであがった途端、紗羅がぎゅっと抱き着いてくる。
「……私、また何かやっちゃった?」
「ううん、違うの。ちょっとだけ、胸がざわざわしちゃって」
「ん……」
私も逆らわず、紗羅の身体に腕を回した。
紗羅の匂い、温もり、柔らかさを感じて、心が落ち着く。
「前の学校の男の子と会ってた時、悠奈ちゃん怒ってくれたでしょ? それから、黒崎くんが私たちのことお似合いだって言ってくれたのも。嬉しくて。すぐ悠奈ちゃんに会いたくなって」
「そっか」
会いたいときに、傍に私がいなかったから。
寂しい思いをさせちゃったみたいだ。
「紗羅、キスしてもいい?」
彼女が至近距離から私を見つめる。
「うん。いいよ、もちろん」
「ありがとう」
そっとお礼を言って、私は紗羅に口づけをした。
お互い、肩に手を回して更に密着する。
――幸福感で満たされる。こんなに幸せでいいんだろうか。
「愛し合うのは構いませんが」
「っ」
「!?」
側面からの呆れ声に、慌てて身を離す。
苦笑気味の世羅ちゃんに抱かれた白猫、真昼が、器用にジト目を作って私たちを見ていた。
「そういったことは部屋でやってください。貴女たちの情事は、世羅の年頃にはまだ刺激が強すぎるでしょう」
「……あはは。私はもう慣れちゃったけど」
「駄目です」
「だ、そうです」
さすが天使。真夜と違って、真昼は割と潔癖らしい。
……本人も子供を作らせたり作ったり、したことあるはずだけど。
世羅ちゃんが割と気に入られてたり、するのかな。
「ごめんなさい」
二人で素直に真昼に謝った。
そのやりとりで気分はだいぶ素に戻ったので、続きはやらなかった。
* * *
夜。食事や入浴、明日の支度などを全て済ませた後。
傍らで紗羅が見守る中、私は狐姿の悠華と正面から向かい合う。
「では、始めるとしようか」
「うん」
羽織っていたジャージの上を床へ脱ぎ落すと、競泳水着に覆われた肌が露わになる。
水着は以前から使っていたもの。
ただし、背中側の生地には加工を施してある。お尻から臍の裏側あたりにかけて大きな切れ込みを入れたのだ。
……用途はもちろん、尻尾を通すため。
ふっと身体から力を抜いて、体内の魔力をイメージする。
前は小分けして溜めている感覚だったけど、特訓で何度も繰り返したことで最近は少し変わった。
魔力は血管のような細いチューブをゆっくり流れている。
チューブは体内にたくさんあるが、普段使う本数は制限されている。安定はしているが、体内への経路は遠回りになりがちで、取り出せる量や速度は控えめになる。
だから、全てのチューブを繋いでやる。
――すると流れは活発化して、よりたくさん素早く取り出せるようになる。
「だいぶ安定して変われるようになったな」
変身が完了して耳と尻尾が生えるまで一秒ちょっと。
悠華が言った通り、繰り返すたびにだんだんと変身が容易になっている。
魔力を扱うことに、身体が慣れていっている。
「習うより慣れろ、か」
「うむ。慣れるためには、まず使い方を習わなければならないが、な」
当たり前で重大な矛盾。
自転車の乗り方や逆上がりを覚える時と同じだ。いくら言葉で説明されたりお手本を見せられても、自分でコツを掴まないとペースは上がらない。
もちろん、教師や補助輪はコツを掴むのに重要だけど。
魔法の場合は教師が見つからないし、教える側も補助輪みたいな便利アイテム無しに「感覚的なコツ」を伝えなければいけない。
……深香さんって先生として優秀だったんだなあ、と最近思う。
「では、本番に行こうか」
「了解」
手のひらを上にしたまま右手を前に。
野球ボール状の炎を生み出して維持する。
そうしたら、今度は球のサイズを変える。ピンポン玉くらいまで縮めて戻して、ボーリング玉くらいまで大きくして戻して。
「紗羅、お願い」
「うん」
椅子に座ったままの彼女へ向けて手のひらを突き出す。
見えないバネでボールを押し出すイメージで――射ち出す!
飛んで行った火球は、紗羅に睨まれてあえなく消滅した。
「よし。じゃあ次」
また炎を生み出す。ただし、形は球状にせず燃やしたまま。
サイズを色々変え、更に形を変化。
最初は手に纏わりつくように。これは案外簡単だった。炎に包まれた拳を握ると、ちょっと漫画の主人公にでもなった気分。
目下、練習中なのはここからだ。
頭の中で繰り返しイメージしながら、炎を剣の形に変えていく。柄を作り、鍔を作り、刀身を伸ばす。
炎が不格好な西洋の剣をかたどった後も、じっとそれを見つめて必死に維持する。
悠華がくすりと笑って私に命じる。
「振ってみよ」
「……う」
今回は成功するだろうか。
恐る恐る剣を握り、構える。慎重に、イメージを途切れさせないように。
「えいっ……っと」
振りかぶって振り下ろそうとしたところで、炎の剣が分解して消えた。
うう、また失敗した。
「むう、やっぱり失敗か」
「……うん。やってみると案外難しいよ、これ」
割とみんな普通にやってるから簡単だと思ってたけど。
火球は基本「手のひらの上に」生み出せばいいけど、炎の剣を振り回すとなると、手のひらと垂直にならない状態で炎を維持しないといけない。
柄は握るためにある程度、物としての固さが必要だし、刃は柄と垂直を保ったまま熱量を持たせなくちゃいけない。
違うことをいくつもやるせいで難易度が跳ね上がる。
「まあ、わらわたちにはあまり向いていない方法じゃからな」
「私も剣を作るのは苦手」
ああいうのは天使の得意分野なのだそうだ。
紗羅たちサキュバスなら四肢を変化させたり、金属を支配して変形させて武器にする方が楽にできる。
「私たち妖狐の場合は?」
「四元素、五行……まあ呼び方は何でもよいが、自然現象を操るのが我らの本領。炎はその一面に過ぎん」
「つまり?」
「何も武器に拘らず、燃やすなり地面に埋めるなり、雷でも落としておけばよかろう」
うわ、適当。
まあ、あまり凝ったことをせず、ありのまま使う方が得意ってことか。悠華みたいに熟練者なら、石畳から薙刀作ったりもできるみたいだけど。
「じゃあ、武器を作る練習を頑張ってしなくても」
「馬鹿者。それはそれで訓練としては意味がある。いいからもう一度、最初から通してやってみよ」
「……はあい」
と、まあ、最近の特訓はこんな感じだ。
短時間ながら集中を強いられ、結構な疲労がたまったところで打ち切り。紗羅と儀式を交わして眠るのが基本パターン。
「そうだ、悠華。これから二週間くらい、特訓しない日が多くなるかも」
「む? ……ああ、確か定期テストだったか」
「うん」
来週の月曜日から三学期の中間試験がある。それまでは勉強時間を増やさないといけないから、体力は温存したい。
もちろん余裕があれば期間中もするつもりだけど。
「あ。……ね、悠奈ちゃん。今日は一緒に寝てもいい?」
「うん。じゃあ、そうしようか」
「ありがとう。じゃあ枕持ってくるね」
「ふむ。じゃあ、わらわは真昼とでも戯れてくるか」
紗羅が声を弾ませて部屋を出ていき、悠華もまたふらっと居なくなる。程なく戻ってきた紗羅とベッドに入った私は、いつもより長く緩やかなキスをしながら、抱き合って眠りについた。




