神と社の本性
大晦日の田舎道はとても静かだった。
神社跡へと向かう最中、私たちは誰ともすれ違わないまま並んで歩いた。紗羅は自前の外出着で、私は悠華がくれた着物のまま。お互いコートの類は身に着けていない。
私のコートは羽々音家の屋敷だし、紗羅も戦いでお気に入りの品が汚れるのを嫌ったからだ。それに、戦いになれば多少の寒さは気にならなくなる。
「お正月は、ここで迎えることになりそうだね」
「うん。初詣は……帰ってからかな」
「ふふ。大晦日に神様と喧嘩して、お正月に初詣に行くの」
「あー。そう考えると変な感じ」
のんびりと言葉を交わし、笑いあう。
この景色と空気のおかげか、これから大きな戦いが待っている割に緊張はなかった。
今の時刻は午後二時過ぎ。悠華の宣戦布告から少しばかり間が空いたのは、作戦会議とお昼ご飯、それから食休みまで挟んだからだ。
できるだけ華澄を待たせたくない気持ちもあったけど、叔母さんの一言で考え直した。
「朝ご飯のあと、華澄は残ったご飯でお握りを作っていたの。その時は理由がわからなかったけど、あれはお弁当だったんだと思う」
華澄はその時点で、屋敷でお昼ご飯を食べられない可能性を見越していた。悠華と打ち合わせ、あの時の言葉通り「今日いっぱいは待つ」準備を整えていた。
覚悟の上で人質になった、というにしてもちょっと呑気な行動が、逆に彼女の無事を信じさせてくれた。
だから私たちは短い時間でできる限りのことをやってきた。
短い仮眠をとって、ご飯を食べ、作戦を立てた。おかげでコンディションは万全に近い。
気力も十分。
紗羅と二人、一緒なら最後まで戦える。
だって、私たちは二人で、あの真夜にも勝ったんだから。
「……悠奈ちゃん」
「うん。結界だよね」
石段の前に立った私たちは、己の感じた異変を確かめあった。
おそらく、あの神社跡を中心にしているのだろう。石段を境とした向こう側が結界に包まれている。
ここ数日の出来事で私の感覚も鋭くなったのか、特に集中することなく感じ取れた。
「行こう、紗羅」
「うん。悠奈ちゃん」
私たちは頷きあい、一歩を踏み出した。
すると、結界の中へと侵入した私たちは景色の変化に息を飲んだ。
ところどころに欠けや削れのあった石段が綺麗な形に変わる。周囲の山には緑が溢れ、石段を守るように脇を固める。
「……普通の人が入ってこないように、っていうだけじゃないみたい。これって、たぶん」
「悠華の覚えているこの場所の風景。昔の神社の姿なんだ」
幻覚なのか、魔力で一時的に復元したのか。どちらなのかは見ただけじゃわからないけど、どっちにしても並大抵の技術じゃないはず。
この結界の中は悠華の世界なのだと、私たちは強く感じた。
やがて石段を上りきり、大きな鳥居をくぐると。
整った石畳の先に二対の稲荷像が控え、朱色に塗られた本殿が見えた。現代に残る建物とやや形が違うように見えるのは、イメージの産物であるせいか、あるいは後世に改修されたか、建て替えられたのか。
何にせよ、前回見たのとはまるで迫力が違う。
本来、私たちが目にすることのできない「本当の社」の姿がそこにあった。
「これを見られただけでも、来た甲斐はあったな」
石畳を踏みしめながら呟くと、反応があった。
「そう言って貰えると、わざわざ場を整えた甲斐もあったな」
本殿の正面。
内部へと続く階段の上に、悠華と華澄が立っていた。悠華は変わらず漆黒の着物姿だが、華澄は私と同じ白い着物に着替えている。彼女の身体に目につく外傷はなく、瞳にも意思の光がしっかりと宿っていた。
良かった、ちゃんと華澄は無事だ。
私がほっと息を吐いていると、紗羅は視線を鋭くして呟く。
「やっぱり。そうじゃないかとは思ったけど……悠奈ちゃんの着物って、白無垢に見立ててたんだ」
「白無垢……って、結婚式で着るやつだっけ」
「うむ。形ばかりではあるが、これから花嫁となる娘たちには相応しかろう?」
じゃあ、華澄が同じ着物を着ているのもそういうことなのか。
神との結婚。
私と紗羅、華澄がまとめて、悠華の花嫁となるための準備。にもかかわらず紗羅だけ同じ衣装じゃないのは。
「私は絶対、そんなの着ないから」
「そう言うと思って、こちらからは与えなかったが……正解だったな」
悠華の声に応えるように、紗羅がサキュバスへと変身する。身に纏う衣装は、真昼の時と同じ黒いウェディングドレス。
紗羅一人だけが洋装であるのを無視すれば、これでお互いに白黒のペアが対峙した格好になる。
……って、あれ。私たちの着物が花嫁衣装代わりってことは、悠華の着物が黒なのも、もしかして。
「女の子ばっかり集めて、自分が花婿役やるの?」
神様とはいえ偏った趣味だ、とジト目で睨めば、黒い少女神は笑って答える。
「無論。そもそも、わらわは女としか交わらぬ。ずっと、ずっと昔からな」
「え。じゃあ、いきなり出てきて私を自分のものにする、って言ってたのは」
あの時はまだ、私は『御尾悠人』だったはず。
「記憶を取り戻したお主の魂に心を奪われたからじゃ。赤子から時を経て積み重ねた穢れを持たない、無垢で清らかな乙女の魂――お主は、それに限りなく近づける可能性があったからな」
そう、か。
確かに、思い返せば悠華の出現は私の記憶が戻った直後だった。前日にこの土地へ着いた時でもなければ、華澄とここを訪れた時でもなくあのタイミングだったのは、男の私に興味がなかったから。
「そう。あの時、お主の可能性に気づくまでは『御尾悠人』の存在などどうでもよかった。まあ、華澄の伴侶としてこれ以上ない相手ということで、他の男どもに比べればまだ印象は良かったが」
華澄を添い遂げさせるならあいつがいいか、と思う程度。
「華澄のことは昔から気に入っていたが、どちらかと言うとわらわに仕える巫女としての資質の方が強かったからの。無理に手中に収めるよりは、その行く末を見守る方に興味があった」
けれど、そこに私と紗羅が現れた。
「悠奈の魂は今言った通り。紗羅の魂もまた、別の意味で魅力的だった。清濁織り交ぜた絶大なる情念を制御し、たった一人に注ごうとする気性――是非ともこの手で愛でてみたくなった」
「……っ」
うっとりとした視線を向けられた紗羅がぶるっと身を震わせる。もちろん肌寒かったからではなく……その、なんていうか、気持ちはわかるけど、若干神様に失礼な反応のような。
「だから、三人まとめて手に入れることにした。なけなしの力を全て、この時に費やしてでも」
なけなしの力。
「……あの、それって? 悠華の力は、私たちや真夜たちと違って回復しないの?」
「全くしないわけではありませんが……」
私の疑問には華澄が答えてくれた。
「神々のお力の強さは、人々の『信仰』に依存しています。信じる人数が多く、気持ちが強ければ相応の力が得られるのですが……逆に言うと、誰からも忘れられた神は存在を維持することすら困難なのです」
「わらわの場合、御尾家の一族が存続しているお蔭で『ただ在る』に足る力は得られている。しかし、それだけでは人の姿を維持することもままならぬ。数年に一度、顔を出すのがせいぜいじゃ」
それ以上の行為――例えばここ数日、私たちとずっといたような――をすれば、それだけ力を使う。今ここでこうして姿を晒し、結界を張っている間も、悠華は過去に蓄えた力を消費し続けている。
そして、消費した力を補充する見込みはもうない。
「どうして、そこまでするの?」
「これがわらわに残された最後の欲望……そして、生きる希望でもあるからじゃ」
永い時を生きてきたであろう神の告げる「最後」という言葉には、独特の深みと重みが感じられた。




