…… 最終話 ……
これから、夜の時代が訪れます。
それは、黒くて、陰鬱で、長い時間です。
けれど彼らは、それを待っていました。
短い時間しか生きられない私たちの様にではなく
ずっとずっと永い時の中を、魂を彷徨わせながら。
そんな彼らが欲しているのは
そんな彼らのことを『知っている誰か』なのかもしれません。
そして
そんな彼らのことを『知っている誰か』と巡り会えた者は
とても、幸せなのかもしれません。
だから
『逢魔』のもとに、彼らは集まるのでしょう――。
「あら、成瀬さんちの。どうしたの? こんなところで」
店先に顔を出した近所のご婦人の声に、巡は幾分か下に向けていた視線を上げた。
「こんにちは。ちょっと、店番を」
おじいさんは、切らしてしまった上白糖の買出しに出かけているから、と呟く。
ここは、天笠和菓子店。
荘二郎が出かけていて留守なので、その場にいた巡が店番をつとめている。
「あらあら。天笠さんがお砂糖を切らすなんて、珍しいのね」
「いえ、実は……」
荘二郎が、店に出す菓子の材料を切らすことなど、まずない。そんな状況を作ってしまった原因は、巡――というよりは、かぼにあった。
いつものごとくに店に遊びに来ていた巡たちだが、かぼと、一緒についてきていたシンがふざけあっている内に、店の奥にある作業場の、大量の砂糖を全てひっくり返して台無しにしてしまったのだ。
いかに温厚といえど、さすがに怒らない訳にはいかない荘二郎。いくらかぼが物の怪とはいえ、甘やかしては将来(?)が不安だ。ひとしきり説教をした後、取り急ぎ砂糖の買出しに出かけてしまった。
奥の部屋で正座しているかぼとシンの巻き添えを食って、巡は店番をしているというわけだ。
「まあ~、偉いのねと褒めるべきなのかしら。災難だったわね。気をつけないとダメよ? じゃあ、この芋羊羹をもらえるかしら」
「あ……はい、ありがとうございます」
おたおたと、慣れない手つきで菓子を取り出し、袋に入れる巡。
「あと、包装紙を一組分いただけるかしら。包装はおばさんが自分でやるからいいわ」
「は、はい」
巡は大慌てで、ズルズルと包装用の紙を引きずり出す。
「ゆっくりでいいわよ。でもなかなか、さまになってるわね」
婦人は、そんな巡の様子を見てクスクスと笑う。
「こういうのを、お仕事っていうのよ。楽しい?」
興味津々といった体で、巡に向かって腰を折る婦人に、巡は複雑な表情を向けた。
「楽しいっていうか……緊張します。店で物を売るのもそうだし……天笠さんは、自分で作ったものを、こんな風にお店に出してるんだなって思ったら、凄いなって思うし。でも……」
でも。
その後を、どう言葉で表現していいかわからず、巡は口ごもってしまう。
そんな巡の言わんとしていることを、婦人はわかっているとでも言うように、コロコロと笑い声を立てた。
「私はここのお菓子が大好きよ。天笠さんのこれは、人が喜ぶお仕事よね。巡君にも、きっとその良さがわかるのね」
そうなのかも、しれない。
ある人は急いで、ある人は笑顔で。
この店の菓子を買い求めて行く。買うということは、お金を払うということだ。つまりが、この店の菓子には、金を払う価値がある、ということ。
それは凄いことなのだと、最近になって巡は理解し始めていた。時々、天笠の家に遊びに来るようになったおかげで。
みんながこの店が好きで。
そしてかぼも、この店のお菓子が大好きだ。
そんな風に誰かが喜ぶことを。
シンや、ミーシャや、そして、かぼが喜ぶこと、を。
自分の生きる術として行けたなら、それは自分にとっても幸せなことなのだと巡は思うようになっていた。
「もう少し大きくなったら、店を手伝ってみるか」
よく荘二郎にそんなことを言われる。
それについては、巡も前向きな方向で考えているところだった。
単なる子供相手の戯言に聞こえなくもないが、荘二郎に限っては本当にそう思って口にしているのだろう。こんなことで子供に社交辞令的発言をする人物ではない。
中学に入ったら。手伝ってみるのもいいかもしれない。お給料をもらう訳には行かないから本当に手伝いで。そして、もしもそうしているうちに方向を見定められたなら。
菓子作りを教えてもらうのも、いいかもしれない。
「うちには跡取りがいないから、歓迎するぞ」
などと、荘二郎は言う。これも冗談ではないだろう。
それも、ひとつの道だ。
「ほら、かぼ。シュークリーム」
「うおっ!」
荘二郎が帰ってきて、かぼにと持たされたシュークリームを持って、巡は奥の部屋に入った。人型のまま大人しく正座しているシンと、その隣でゆらゆらと揺れていたかぼは、瞬時に振り返った。
「しゅーくりーむとな!!」
正座をものともせず、シュークリームに向かって飛びかかろうとした二人の手を避けるように、巡はヒョイとそれを持つ手を上に挙げた。
「反省してるのか?」
「「してまーす」」
巡の言葉に、綺麗にハモる、かぼとシン。
フウ、と巡はため息をついた。シュークリームをひとつずつ差し出し、自分もひとつを口に運ぶ。
甘くて、やはり、おいしい。
「そのうち、僕がシュークリームを作ってやるよ」
むぐむぐとクリームをほおばるかぼは、そんな巡をキョトンと見つめる。
「なんだ。天笠のあとを継ぐ気になったのか? 気が早いの」
そんなかぼの言葉には、巡は苦笑を返すしかない。
「あとを継ぐとかそういう話じゃないけど。具体的に言うのはまだ早いっていうか、怖いけどね。だけど」
だけど。
「かぼの喜ぶものを、この手で作って、それをかぼに差し出せる人間になりたいよ」
かぼや、ミーシャやシンや。両親に姉。朝比奈、荘二郎。他にも、沢山の人たちに。
笑顔になってもらえる、何かを。
そうして。
そうしてかぼが、別れの悲しみよりも、傍にいる喜びを感じてくれるように。
そんな、人間になれたら。
ほんの短い時でもいいから、かぼが帰りたいと思える場所になれるなら。
「お子様は、本当に前向きだの~」
「別に。大人になっても、前向きでいるよ」
口で言うのは簡単だが。その気でいなければ、そんな風にもなれはしない。
「悪くないの」
「うん。悪くない」
クスクスと笑いあう二人をよそに、シンはシュークリームの最後のひと欠片を、その口に放り込んだ。
「人間って、面倒くさいな~。オレは別にいつまでだって、あの家に居座るけどな?」
「アハハ……」
どういう未来が待っているかなんて、本当はわからないけれど。幸せだったと言える一生は多分、幸せなひと時の積み重ねで出来るものだ。
だからできるだけ、そんな時を一緒に過ごせるように。
ただ、それだけのために。
だから、例えそれが短い時間だったとしても。
無くても良かったなどと、とても言えやしないのだ。
巡が遺して行く、そんな短い時の欠片を、永い時を歩むかぼが、ずっとその胸に抱えて行けるように。
かぼが存在し続ける限り、その短い命の煌めきが、消えて無くなることのないように。
だから、気付いて欲しいのです。
『逢魔』という、特別な力を持つ、あなたに。
悠久の時の、ほんのひと時を、共に、歩んで行けるように。
あなたと私が、共に、優しい微笑みに――包まれるように。
<逢魔が時!・了>
これまで 逢魔が時! をお読みくださりました方々、ありがとうございました。
本当はもっと書くべきエピソードなども沢山あったように思うのですが(シンやミーシャなども、もっと掘り下げられますしね)、とりあえずはこれにて完結となります。
このお話は、私が考える別のお話(もうちょっと時代が進んで魔物うようよ的な)の前夜のような要素のものであったのですが、なにぶんその後執筆活動が滞っておりまして、この後のお話を発表するというお約束は到底出来ない状態であります。
いやいやいや、いつかそのうちと思いつつ、出来もしないことを希望的観測で口にするモンじゃないよとか、いやいやいや……。
ともあれ、執筆活動自体は日々の生活の合間に行っておりますので、次回作がどうなるかはさっぱりなのですが(この作品自体も再録ですし)、また何かの作品でお目にかかれれば幸いです。