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通されたリビングで、コトリとテーブルの上に置かれた麦茶を、朝比奈は「いただきます」と口に運んだ。
同様に麦茶をかぼと巡の前にも置き、芽衣は自分もその場のソファに腰掛ける。
「ホント驚いたよぉ。部屋にいたはずのメグが、先生の車で帰ってくるんだもん」
うん、と、朝比奈は頷いた。
「オレも驚いた。まさか木霊山から救助要請が入るとは思わなかったからな」
巡の家付近から木霊山までは、車で移動しても30分ほど。もしも朝比奈に時間の余裕が無かったら、今頃巡の精神は朽ち果てていたかもしれない。そうなる前に、歩いてでも飛ぶ以外の方法で帰ってこようとするかもしれないが。
「ズルいなメグってば。私に内緒で木霊山まで遊びに行っちゃうなんて~」
別に遊びに行った訳ではない。というか、一時話をしてトンボ帰り、ごく短時間の森林浴しかしていない。
「かぼちゃんは、どうしてメグにその現場を見せようと思ったの?」
かぼの母体ともいえる少女が命を絶たれた村。
聖域とされながらも、鬼となった物の怪に占拠されていた霊山。
かぼは、静かな仕草で首をかしげた。
「氷村という存在に出会っていなかったら、話す気になったかどうかもわからん。それだけわちには、氷村は脅威だった。わちが連れて逃げなかったら、氷村の祖先たるあの赤子は、おそらく生きてはいなかっただろうしの」
そんな氷村と、そして自分のルーツのようなものを話すのには確かに、いい機会だったかもしれない。
けれど、一番に思うのは。
「氷村を見たとき、人間というものの受け継がれる寿命の長さを思い知った。けどな、それでもな。同時に、逆のことも思うの」
少女の亡骸を目にし。
その少女の産み落とした赤子をさらって逃げ、知りもしない集落の、誰ともわからぬ人間の家の前にその子を捨て置いた。高い確率で、その赤子は生き残れないだろうと思っていた。
そして後に、たったひとりとなって。
少女を思い、その少女が産み落とした赤子を思い。
誰にでもなく、見上げる空に向かって、かぼは呟いた。
――人の命は、なんて短い――。
少女は年端も行かぬうちに、その命を武器によって奪われたが。もしそれが無かったとしても、人ひとりの命は、とてもとても儚い。だからこそ人は、子を残すことで命を繋いで行くのだけれど。
それでも。
巡だって、そうそう長くは生きられない。のんびりしていたら、気付いた時にはこの世からいなくなっているだろう。だから、巡がいなくなってしまう前に、話しておきたかった。
そして、聞いておきたかった。
かぼが、人の物の怪でも、何も変わることはないよと。
出会った頃は、拒絶を恐れていた。
人々に忌み嫌われた彼と同じように、かぼも巡たちから嫌われるのではないかと。だから、本当のことを言えなかったけれど。
今は、そんな風には全然思っていない。
巡なら、たとえ状況に理解が及んでいない結果だとしても、かぼの存在を肯定してくれるだろうと、確信が持てていた。そんな風に自信が持てるようになるまで、本当のことが言えなかったなどと、臆病者だと称されても仕方がないかもしれないが。
突き放されたくはなかった。
けれど、できるだけ早く、本当のことは言っておきたかった。
だって、巡個人の寿命とは関係なく。
多分。
「わちは、そう長いこと、メグの傍にはいられないからの」
「……!?」
かぼの一言に、巡は目を見開く。
「……なんで?」
そんな風にしか、問うことが出来ない。
かぼは、そう遠くない未来に、巡の傍から消えようとしているのだろうか。だがかぼは、相変わらずヘラヘラとお気軽な笑みを巡に向ける。
「それは当然だろう。今はまだいいかもしれん。けどな、ぬしだっていずれは大人になる。ぬしがそうやって大人になって行く過程で、わちがずっとぬしに張り付いていたら、いつかきっと、わちのことを邪魔に思うようになるぞ」
「そんな」
「そうやって、いつか誰かと家庭を持つようになっても、かぼがずっとメグにくっついてる訳にはいかんだろ」
コブつきならぬ、魔物つき。しかも、人間から生まれた、まるで人間のような物の怪。
まだまだ認知度の低い物の怪と一緒のまま、人間の社会を生きていくのは難しい。本人はそれで良かったとしても、周囲がそれを受け入れてはくれないだろう。得体の知れない魔物と馴れ合う人間と親しくなることにも躊躇があるだろうし、ましてや家族になろうと思う酔狂な人間は、多分数多くはない。
これからそういう時代になるのだという確信はあっても、巡が大人になるまでのわずかな時間でそう大きな変化はないだろうし、時代の変化の初めの頃というのは、逆にこれから来る時代への抵抗が強くなる時期でもある。
だから物の怪と一緒にいたら、巡にとっては辛い世の中になるだろうと。
かぼは、そう考えている。
「……」
そんなことを急に言われても。
いつか大人になるなどという事実は、今の巡には、理屈でわかってはいても、心から実感することは到底出来ない。出会いがあれば、別れもあるという当然のことすらも。
突然の、いつか来る『別れ』の予告に、巡は無言で考え込むことしか出来なかった。