…… 3 ……
かぼから漏れた言葉は、巡の予想を遥かに上回るものだった。
「鬼とされた物の怪の子を産み、人間にその命を絶たれた女はな……わちの生みの親でもあった」
「……え?」
それは一体、どういうことだろう。
かぼは物の怪であるはずで、誰かが産んだ訳ではないはずで。でもその女性が産みの親だというなら、その女性も物の怪だった? いや、それはない。彼女は人間だったが故に、悲劇の末路を辿ったはずだ。それに物の怪は、子供を産まないものだろう。
「生みの親、と言うと誤解を生むかの。かぼは、その女から生まれ出た物の怪、ということだ」
突然に、唐突に。生の刻のあらゆるものから、突如として発生する、物の怪。
ミーシャが川から、シンが猫から発生したように。
かぼは、人間から。
ということは。
「かぼも、人間の、物の怪なのだよ」
人間の、物の怪。
確かに、人間の物の怪が複数存在しないという決まりはないかもしれない。それはまあ、いい。けれど巡が驚いたのは、そこではなくて。
「だから、今までメグには本当のことは言いにくかった。人間の物の怪が、人にどういう感情を与えるのかは良く知っていたつもりだし」
「い、いや」
鬼と呼ばれた物の怪が、当時の人間にどう思われ、どういう扱いを受けたかを考えれば、かぼが巡に本当のことを言えなかったというのも納得は出来る。それはわかるのだが、そうではなくて。
「そんなことより、かぼ。じゃあかぼは」
古い過去。その時、その惨劇の場で。
「かぼは自分の生みの親といえる人を、亡くしたのか?」
「そうだ」
淡々と、微笑さえ浮かべて肯定するかぼ。
生みの親と言っても、偶発的にその人間から生まれ出てしまったというだけで、本当の意味での親という訳ではない。かぼが属しているのは人間そのもので、その少女というわけでもない。それに、物の怪は人間の言うところの情というものを、あまり多くは持ち合わせてはいないらしいがそれでも。
「人なぞ、どうせ一瞬で死んでしまうものなのに、なぜ殺さねばならんのだろな」
逢魔の力を持つその少女から、今はかぼと呼ばれる物の怪は、ポロリとこぼれおちた。
まさにそんな感じで、彼女は生まれた。
物の怪と呼ばれるものが、どうしてこの世に発生するのか、それはわからない。けれど。少女は言う。
「あなたは多分、私の『生きたい』っていう気持ちから生まれたんだね」
多分それは彼女の自己満足ともいえる結論で、人の心ひとつで物の怪がポロポロと発生するわけはない。わかっていても、少女は自身から生まれ出た物の怪に、常からそんな風に語っていた。
逢魔の中でも抜きん出た力を持つ少女は、その力ゆえに、形ないものの言葉を伝える者として祭り上げられ、長い時を巫女として生きてきた。自由を奪われ人に利用され続けることを拒まなかったその少女は、生きていないと言っても過言ではない人生を送っていたのかもしれない。
けれど少女は、彼女を崇める人々の隙を突き、旅立った。
「あなた以外に、人間から生まれた物の怪がいるらしいの」
それは風の噂というか、物の怪たちの情報網から得た話だ。
「私、会いに行ってくるから、あなたはここで待っていてね。決して人前に出てはだめよ」
人と物の怪がわかりあいにくい存在であることを、少女はその経験でもって痛感している。それが人間から発生した者であるならなおさら。だから少女は、常から彼女には人前に出ないようにと言って聞かせていた。
物の怪にしろ人間にしろ、心ある者ばかりではないのだ。
けれど、何故そうまでして、人の社会でいわれなき反目を買うことを承知の上で、人から生まれたその物の怪に会いに行こうというのか。
その場から逃げ出したと知れれば、ただでは済まないだろうに。
「あなたと、友達になれるんじゃないかな。それに彼――彼女かな。も、もしかして人の物の怪であるせいで困っているかもしれないし」
人から生まれたというのであれば。
会っておきたい。
逢魔の力を持つ者として、伝えておきたい。
生と魔の存在は、真にわかり合うことは難しいかもしれないけれど、折り合いを付けていくことはできるはずだと。
――人を、憎んではいけないと。
許し、妥協し、極力理解し合って行くことで、生も魔も、もっと楽に共存して行けるものなのだと。
「当時のわちは、好きにすればいいと思っていたがの」
物の怪の生みの親であるが故に、共存しにくいことでその心を痛めているのであれば、自分の満足のいくように行動することを、止める理由はない。
自分の一番の理解者である少女を、かぼも、理解していたかった。
だから少女の言うとおり、大人しく待っていようと思っていたのだが。
「旅路は遠い。それに何が起こるかもわからない。一応、様子だけは見ておいたほうがいいんじゃないかと、ふと思い立ってな」
その遠い地にある人の物の怪は。
意識して情報を集めれば集めるほど、良い噂を聞かない。
ふと思い立って、というのは嘘かもしれない。
かぼは聞いたのだ。人間の女が、人を模した物の怪の子供を宿したことを。
なんてことを。
――なんてことを。
何故、そういうことになるのだ。
そうして少女を追ったかぼは、手遅れを思い知ることになる。
ぼんやりと彼女を待っていた、一年を越える時間。
せめて、あと一日でも早く思い立っていたなら。むしろ、あと一時間でも早くそこにたどり着いていたなら、少女に向かって振り下ろされる凶器を止めることが出来ていた。だが、そんな『もしも』に縋ることなど許されないほどに、時の流れは正確なのだ。過ぎた時間を戻すことは、悠久の時間を過ごす物の怪にだってできはしない。
降りしきる雨と一緒に大地に流れ落ちていく命を。
当時のかぼは、黙って見送ることしか出来なかったのだ。