…… 2 ……
旅行なんて言うから。
かぼとふたり、向かい合って電車でガタンゴトンと揺られる旅を連想してしまった巡は、旅行番組の密かなファンだ。しかし、かぼの存在を他に知られたくないなら、傍目から見れば、巡、無言の一人旅ということになる。
しかしそれは、巡の想像に終わった。
大体、かぼと二人きりで小学生が旅行など、保護者に許しを得られるはずがない。いくら相手が天然の由美香であってもだ。
実際は、もっとあり得ない『旅行』だった。
別にいいけどどうやって、と呟いた巡を、かぼは早速とばかりにその肩に担ぎ上げた。
「……え!?」
カラリと窓を開け、巡を担いだままのかぼは、そのまま窓の外へと飛び出した。
「あまり暴れるんじゃないぞ~」
かぼの身長では、担いだ巡の手足を引きずる勢いだったが、空中だから心配無用。
そう、空中だから。
「ぎゃあああああああああ!!」
電柱から電柱へと。木から木へ、屋根から屋根へと。
ストーンストーンと軽やかに飛び移るかぼの速度は、道路を走る自動車と大差ない。
「…………ッッッッッ!!」
自分の半分ほどしかない少女に担がれて空を舞う巡は、たまったものではない。むしろ、生きた心地がしなかったというか、全ての感覚を自覚している余裕すら無かったというか。
朝比奈ですら軽々と掴んで数メートル飛び上がることの出来るかぼだから、本人はいたって平然としているのだが。
時間にして、三十分ほど。
それだけの時間を空中アクロバットに費やした巡は、目的地に到着する頃には、既に気を失っていた。
「人間ってのは、本当に軟弱だの……」
ビシビシと頬を叩かれて目覚めた巡にかけられた、かぼの第一声。
「軟弱ってお前なあ……あ……うえぇ」
眩暈と吐き気を覚える巡は、反論もろくに出来ずにその場にうずくまる。
「こんな……人に見られたら、どう、するんだよ……」
「大丈夫だ、見られやせん。あんまりメグが騒ぐから少し心配だったが、途中からは静かだったしの~」
かぼの無茶苦茶は今に始まったことではないが、ここにきて巡、己の認識の甘さを思い知った。かぼの本気は、想像以上だ。というか、多分まともな思考では及びもつかない。
「ほれほれ、元気を出せ。ここは空気もうまいからな。深呼吸するがいいぞ」
「……」
そうは言われても、とてもではないが、その場に尻をついたままの巡は立ち上がることすらも困難だ。しばらくの間、地面でうずくまるようにおとなしく俯いているしかできなかった。
そういえば、ここはどこだと。
ようやっとゆるゆると頭を上げた巡は、辺りを見回した。
何とか立ち上がってみて、自分が靴も履いていないことに気付く。これでは山の中を歩くのもままならないし、なんとも落ち着かない。
「ここ、どこ?」
「メグのうちから、そう遠くもない。木霊山は知っておろう?」
「こだまさん……?」
知ってはいるが、そんな方まで来ていたのか、と驚く。標高1000メートルほどの、近辺では大きい方に属する山だ。巡も何度か訪れた記憶がないでもないが、しかしこんな場所は知らない。人の手がまったく入っていないのに、木々や雑草で覆いつくされているでもない。
かぼによれば、巡たちが観光地として知っている頂上付近とは少々離れていて、登山コースとしても開拓されていない場所らしい。
「開発しても仕方のない場所だがな。それにしてもこれまでまったく、手が付けられてこなかったというのも不思議な話だ」
もう千年以上が経過するというのに。
かぼの呟きに、巡は訝しげに彼女の顔を見た。
「千年?」
かぼは笑う。
「昔はここにも小さな村があったんだがの。さすがにこれだけ時間がたつと地形も変わる。人が足を踏み入れるのも困難になっているかと思えば、案外そうでもないのだな」
それなりに生い茂る木々間に生える草を踏みしめて、かぼは少し歩く。人の手が入っていないという割には、それほど荒れてもいないそこは、何とも不思議な空間だ。
ここは、古い古い、小さな霊域。
禁忌の交わりと殺生が行われたこの地を、人間は無意識に避けてきたのかもしれない。これまでずっと。
「ここって……」
巡が眉を寄せる。
巡の先を歩いていたかぼが、ふわりと髪を揺らして振り返った。
「ここは、氷村の祖先たる子供が産まれた場所だ」
「……!」
人と物の怪の子供を少女が宿し、その少女が殺された後に廃村となった村があった場所。
かつての、悲劇の場所。
「やはりメグにも聞かせておこうと思ってなぁ」
ヘラヘラと笑いながら言うかぼの表情が、ほんの少しだけ曇って見えたのは、多分巡の気のせいではなかった。