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その物の怪は、もっとも人間に近かった。
一滴の水からも、一本の木からも、生きている動物からも。果てには人間の作り出した無機物からも生まれ出でる物の怪。
それが『人間』から生まれたとしても、何の不思議もない。
彼は、人間から生まれた物の怪だった。
物質が何故物の怪としての魂を持つのかは、はっきりとはわかっていない。だから、魂を持ち生きて動く人間から、何故物の怪としての存在が独立してしまったのかも、わからない。
けれどその存在は、鬼として人間から忌み嫌われることになる。
人間の姿を模倣した、魔の世界の住人。
人ではないのに、人の化身としての姿を持つ彼は、魔物の存在が多く認められている時代ですら、受け入れられることは無かった。
総じて生の刻の人間は、魔の刻の住人を好意的に捉えてはいない。だが、実害がない限り放置しておくというのが定石で、人間の方から攻撃的になるようなことはなかった。
闘わずして、その存在を締め出す。
それが、人間が常に選ぶやり方だった。
けれど、彼にだけは違う。彼の姿を見れば追い、その存在を許さずに攻撃を仕掛ける。
人が、彼を許せないのは。
彼が、人を表す存在だからかもしれない。
川が汚れれば川の物の怪が衰弱するように。
菖蒲が枯れれば、その精が精悍さを失うように。
人の物の怪である彼は、人のリアルな変化を、その身体、その存在で常に表す。
まるでそれは、鏡のような存在。
そんな彼の存在を畏怖する人間は傲慢かもしれないが、感情を持つ者としては自然と言えるかもしれない。
人の物の怪として存在しているにも関わらず、人に近付くことも許されない彼が。
まるで腹いせのように人間の虐殺を始めたことも、自然の流れとして片付けられることかどうか。
彼が掴む子供の髪も、女の柔らかな皮膚も、飛び散る血潮も。
全て自分は自分の身ひとつで作り出すことが出来るというのに。
なのに彼は、生の刻の「人間」たちから極端に忌み嫌われ、避けられるどころか存在すらも許されない。それは何故だ。この身で作り出せる全てのものが、所詮は偽物だからか。どんなに模倣しても、生まれて生きて成長していく人間とは違うからか。
真似をしているから、存在すらも許されないのか。
物の怪の中で、何故自分だけが。
その手にこびりつく、人の血潮。
その手で掴み取る、人間の臓物。
そら、このとおり。なにもかも、なにもかも、なにもかも!
この手に掴んでいる、ホンモノの人間の部品、その細胞のひとつひとつまでも、自分は模倣で作り出すことができる。
人間の全てを、この身で再現することが出来るというのに。
そうして出来上がっているのが、この姿だというのに。
人間から生まれた自分は、何故人間に近付くことも、存在することすらも許されないのか!
「模倣するしか、できないの」
誰かが、そう言った。
神域とされ、人の近付くことのない山の頂で、さらってきた人間を引きちぎっていた時に、彼はひとりの少女に出会った。
「物の怪であるあなたは、人間を模倣するしか出来ないの。人間よりも優れた能力を持ちながら、それでも究極に人間になることは出来ない。それはあなたが物の怪だから。人間が、物の怪にはなれないように」
それでも、鏡のような彼の存在を許さない人間が彼を追い詰めたことを思い、少女は泣いた。
謝罪の涙ではない。
どうしようもない存在の食い違いに対する、悲しみの涙だ。
どうすることも出来ないふたつの世界への。
その時に生まれたのが、ある意味彼にとって一番人間に近いもの、だったのかもしれない。
彼は、その少女の身体に、小さな命を宿した。
まるで人がそうするように。
それは、何がしかの感情によるものではなく、つきあがった衝動で。
人を殺し、暴き、憶えてきた人の全て。彼らの姿を、行動を、本能を。その細胞のひとつひとつを。遺伝子のレベルまで、彼は『模倣』に成功していたのだ。
そしてそれは、魔の存在からも、忌むべき行為とみなされた。
そういったルールが物の怪の間で存在していた訳ではない。ルールの前に、前例が無かったのだから。それが起こってしまったのは、彼が『人間から生まれた物の怪』であったからかもしれない。
人から生まれた物の怪という存在自体が希少なのだ。
だが、魔の刻の住人と生の刻の住人が誕生の時点で交わるなどという事態が、好印象であるはずはない。相容れない世界の魂の融合。しかも片方は、精巧に出来た偽のものでしかない。
それがふたつの世界において、どんな存在になるのか。
基本的に物の怪たちは明確な社会を持たない。だから、そうやって生まれた者がどんな存在になろうとも、関係無いと言ってしまえばそれまでだったが。相容れないはずの世界をまたいで混乱を招きかねない彼の存在だけは、禁忌として扱われ。
彼は、物の怪の間でも、歓迎されない存在となってしまった。
彼は、魔の刻の住人であるという枠を越えてしまったのだ。






