…… 19 ……
そんなばかな、と、朝比奈が呟いた。
「魔の刻の住人に、遺伝子なんてあるわけがないじゃないか……」
朝比奈の言う理屈は、その通りだ。
基本的に、魔物と呼ばれる種族は遺伝子を持たない。この世に存在する物質から、それが魂と呼ばれるものとなって偶発的に生まれるか、魔の力によって生み出されるかのどちらかだ。
何らかの形を持ってはいても、それは細胞によって形作られるものではなく、縁ある物質に近しい形をとっているだけで、成長したり老いたりはしない。魂自体が形を作っているから、その魂が消えれば姿も残らないし、かぼのように人間離れした能力を発揮できたりもする。
魔の刻の住人が普段見せている姿というのは、それゆえに幻と同じような存在なのだ。
朝比奈と同じように、かぼとミーシャも驚いていたが、理由はまったく違った。
禁忌とされた命が。
未だにその血を絶やさずに繋ぎ続けてきたなんて。
「その様子だと、物の怪諸君は事情を良く知っているようだな」
氷村の言葉に、しかしミーシャは首を振った。
「いや。オレが生まれる前の話だ。オレは噂でしか知らん」
「そうだの……」
かぼも頷く。
その話は、ミーシャが生まれた頃には、すでに物の怪の間でもおとぎ話のように語られるだけのものだったはずだ。物の怪の間でおとぎ話、というのも妙な話かもしれないが。
「わちは良く知っているよ……」
かぼの表情が曇る。
「氷村。他にもいるのか。お前と同じ者は」
かぼがそんな風に訊き、氷村は首を振る。かぼが実際は何を訊きたいのか、わかっているような素振りだ。
「現存するのは私と私の父、そのふたりだけだ。私たちはこれまで、一代にひとりしか血脈を分けてはいない。無駄に末広がりにはなっていないから、安心したまえ」
氷村の言葉に、かぼは苦笑を返す。
「いや、決して責めたいわけではないぞ。もしもその血が人間の中に蔓延したとして、それは絶対にぬしらの責任ではないし、また実際に人間に不都合が生じるわけでもない。だがぬしらは、その血を多く残さぬよう努めていたのだな」
「広めていいものだとは思わなかったからね。人間にとってと言うよりも、自分たち自身のために」
「ん、む……」
「ちょっと……」
話についていけない巡が、かぼをつついた。
「どういうことだよ。話の意味がわからないんだけど」
「ん……うむ……」
頷きながらも、かぼは考え込んでしまう。どこからどのように話せばいいのか考えあぐねているのだ。
「メグ~」
芽衣が、おっとりと巡の顔を眺める。
「ちょっと不思議だねぇ」
「何が?」
「私はつい最近魔の刻のことを聞いたばかりだから良く憶えてるんだけど~、魔物って、遺伝子は存在しないはずなんだよね?」
それは先程も朝比奈が言った。
しかし、巡には言葉の意味が難しすぎて、何のことかよくわからない。
「つまりね、魔の刻の住人は遺伝子を持っていなくて、魂だけの存在なのね。例えば身体を持ってて動いてたとしても、それは私たちのように成長したりはしないってわけね」
「……」
「人間や動物は、遺伝子を分け合って子供を作ったりする訳なのよ。私やメグは、お父さんやお母さんから遺伝子を分けてもらって生まれてきたって訳」
巡にもわかるような説明のしかたをする芽衣に、巡は曖昧に頷く。
「もっと砕いて話すとな。つまりメグたち人間は子供を作るが、魔物には子供が作れない。子供を作るための遺伝子など持ち合わせておらんのだからな。勝手に生まれて勝手に消え行く」
遺伝子のことを言い始めればキリがない。だからかぼは、子供を作るという点に焦点を絞って話した。それでも巡が話を完全に理解するまでには至らなかったのだが。
だが、つまり。
わかったこともある。
氷村が「物の怪の遺伝子を持っている」というのは、話としておかしいという訳だ。
魔物には、遺伝子がない。そういうこと。
「じゃあ、物の怪の遺伝子を持っているってのは、どういうこと?」
「……」
氷村も、かぼも無言のまま。
言いたくないのか、それともどう言えばいいのかと逡巡しているのか。
「こやつの言うことが本当だとして、それでも、その時代、その場に存在していたわちの方が、詳しい話はできるだろうな」
かぼが、ため息をつく。
氷村がかぼを見た。
「話だけでなく、事実を現実として知っている、ということだね。私はもちろん当時のことは経験で知っているわけではないし、また知り得た範囲も狭い」
「まあの……」
巡には、どんな事件が起こったのかは想像もできないが。
ミーシャまだ生まれていなかったせいで、その話を知らなくて、かぼはそれを、事実として知っている。
つまりはそれほどに時間を遡った先に、氷村が今回起こした騒ぎの原因があるらしい。
おそらくはかぼが、氷村に代わってその内容を語ってくれるつもりなのだろう。
巡は、先を促すようにかぼを見つめた。