…… 17 ……
「先生!!」
全身塩まみれで駆け寄ってくる巡と芽衣に、朝比奈は渋い顔を見せた。
「お前らまで来るなよなあ……危ないぞ」
呑気に呟くが、魔物の爪が食い込んでいるその肩からは、血が滲みはじめている。
「一番危ないのは先生だろ!」
巡の叫びは的を射ている。が、いまこの場面で、誰が一番とか言い合うのも、既に空しい。
巡と芽衣は、先程やったように、塩まみれの全身で魔物に抱きついた。朝比奈に負担をかけないように、そして踏みつけないようにするのは至難の業だ。
もちろん、身体の大きいこの魔物は、巡たちの体重を受けても重みで潰れるようなことはない。が、やはり塩は効いているようだ。全身をブルブルと振って、彼らを引き剥がそうとする。
振り回される巡たちも必至だが、下にいる朝比奈はそれどころの騒ぎではない。
さらにそこに、かぼが飛び上がって魔物の背であろう部分に取り付いた。
「まったく、どいつもこいつも無茶をする……!」
そこまでやったのだから、最後まで責任を持って押さえつけていろと命令を飛ばして、かぼは魔物の背をギュウ、と押さえつけた。その背後に、ミーシャがまわる。
「潰れる~……死ぬ~」
「今さら文句を言うな!」
下でうめく朝比奈と、上から押さえつけるかぼ。巡と芽衣とミーシャと、誰かひとりの力が欠けても危険だ。五人がかりで精一杯だった。
「オレがここで逃げ出したら、みんな死ぬよなあ……」
朝比奈が呟いた。
「ぬしがそうする人間だったら、はじめから命なんて懸けさせずに逃がしておるわ!!」
朝比奈も、巡も芽衣も、言ってわからないのだから仕方がない。
彼らがそうやって身体を張ろうとするなら、かぼだってそうしなければ皆の手痛い末路を目にすることになる。
「氷村さん……オレマジで死ぬって……」
朝比奈が、頭上に位置する場所に立っている氷村へと視線を向けた。
氷村は微笑で応える。
「まだ余裕そうじゃないか。逃げても死んでも皆無事では済まないのなら、生きて力を発揮するしかないよな? お前が一番はじめにリタイアするか?」
「オレは今、四人分以上の重量を支えてるってーの!!」
吼える朝比奈を、巡は困ったように見下ろす。
「もうちょっと……耐えられる? 先生、辛い?」
「あー、気にするな。愚痴は言うが死にゃしないって……」
「そう簡単に死なせてたまるか、ボケ!!」
怒鳴るかぼの身体の下で、魔物の身体がジワリと溶け始めた。
あと少し。
しかし、魔物のほうも大人しく浄化されるのを待ったりはしない。ブンブンと激しく身体を振って、かぼたちを振り落としにかかった。
「……クッ……離さんからな!!」
全身の力を使って魔物を押さえるかぼ。ミーシャも、芽衣も、巡も、それぞれが全力で魔物を押さえつけた。
ブン。
「のわ!?」
ボタリと、かぼは朝比奈のみぞおちの辺りに落下した。
「ぐえ……ッ」
うめく朝比奈。
「……な……」
なぜ、かぼが朝比奈の上に落下したのか。
魔物が、一瞬にしてその場から姿を消したからだ。
全力で押さえていたものが急に掻き消えて、巡と芽衣もバランスを崩して倒れそうにはなったが、かろうじて朝比奈の上には倒れ込まなかった。
「なん……、どこだ?」
状況がつかめない。かぼはキョロキョロと辺りを見回した。
魔物が消えたのは、かぼの力によるものではない。本当に急に、その姿が消え去ったのだ。かぼだけでなく、魔物に張り付いていた面々が全員、あちこちに視線をめぐらせた。
まさか、どこかに瞬間移動したのか。
それほどの力を持っているなんて。
「そろそろ降りてやったらどうかな」
氷村が、歩み寄ってきた。
「ぬ……」
言われてとりあえず、かぼは朝比奈の腹の上から降りる。悪いなどと、実はこれっぽっちも思っていないところがかぼだ。
「魔物をどこへやった!!」
かぼは、氷村に向かって怒鳴りつける。降魔の力で魔物を出していたのは氷村なのだから、その問いが彼に行くのは当然だ。
「私が消した」
氷村はあっさりと言った。
「……消した……?」
何故、なんのために。
「キミたちは、大丈夫なようだからね」
氷村は、そう言って笑う。
「大丈夫って……」
わけがわからない。
大丈夫って、何が大丈夫なんだ。
巡たちは混乱した。
今の段階で、巡とかぼを引き剥がしたがっていた氷村の計画は、少しも達成されていない。なのに何故、彼は笑っているのか。
「もともと、オレたちを殺すつもりなんて無かったってことさ」
朝比奈が、ムクリと起き上がった。
眉間にしわを寄せるかぼたちには、朝比奈の言葉の意味もよくわからない。
「どういうことだ……?」
そんなことしか言えないかぼに、朝比奈は苦笑を返した。そして、ジワリとにじみを大きくする肩の傷を気にもせずに、朝比奈は氷村を見る。
「説明、してくれるんでしょうね?」
豆鉄砲を喰らった鳩のような状況の面々に向かって、氷村はただ、頷いて見せた。