…… 11 ……
迷っていても仕方がないので、とりあえず巡は天笠和菓子店に連絡をつけることにした。
家族は今留守にしているし、電話なら家から出ずにすぐに行動に移せるからだ。荘二郎に直接会いに行くのは避けた方がいいような気がした。
一階の電話のそばに置いてある、母の手書きの電話番号簿を探し出して、子機を持って部屋へと戻る。せっかくの子機が親機のすぐ隣にあるのは若干不便なこともあるが、普段は気にならないから、まあいい。
これまでにあったことを手早く話すと、電話の向こうの荘二郎は、何事かを考えるように一瞬黙った。
『その連中のひとりが、うちにも来たかもしれんな』
「えっ?」
巡は驚いたが、やっぱり、という思いもある。
『スーツ姿の見慣れない男がひとり、菓子を買いに来た。しきりに店の中を見回していたし、シュークリームをひとつだけ買って行ったから不思議に思っていたが』
天笠和菓子店、シュークリームしか売れていないのではないか。いやそんなはずはないか。というか、今はそんな話をしている場合ではない。
「もしも、これからその男に何かを聞かれても、知らぬ存ぜぬを通した方がいいような気がする」
巡のそんな言葉に、荘二郎は再び考えるように無言になる。
『……もっとも、私は何を言おうにも、ミズ以来物の怪に出遭っている訳ではないしな。何も話すようなこともないが……』
だが、と、彼は付け加えた。
『私は年寄りだが、一応は大人だからな。私の心配などせんでいいから、何か困ったことや不安なことがあったら相談に来なさい。力になれることもあるだろう。大概いつでもここにいるしな』
「……うん」
荘二郎の身を案じての行動だったが、かえって気を使わせることになってしまった。けれど、正直荘二郎のその言葉は巡にとって心強かった。夏休み中、巡はひとりになることも多いし、やはり不安はつきまとう。
けれどもやはり、無闇に甘える訳にはいかないだろうな、という思いはあるが。
かぼが、電話を貸せとせがむ。
巡は、隣に座るかぼに受話器を渡した。
「爺さま、かぼだ。こないだの餡子の菓子はうまかったぞ。……それでな、爺さまも一度はミズという物の怪と接触してる訳だろ? だから安全のためなんだがの、もしもこれから先、別の物の怪を発見したとしても、知らないフリをしてくれんかの」
荘二郎にはおそらく、逢魔の力はない。少なくとも、今のところは。
巡のように、もともと逢魔の力を持っている人間は、一度物の怪と出遭うことで、他の物の怪も発見しやすくなってしまうことが多いが、荘二郎はそうではない。ミズとは縁が深かったから姿を見るまでに至ったが、他の物の怪はそうはいかない。
が、絶対に物の怪と遭うことはないと断言できる訳ではない。
一年二年と時が過ぎて行くごとに強くなる魔の力で、物の怪の出現率も高くなれば、後天的に力に目覚める者も出てくる。物の怪という存在を知っている荘二郎が、他の人間よりもそういうことに敏感になるのは当然だし。
ならば、もしも物の怪と出遭ってしまったら、見てみぬフリをした方が都合が良い。
物の怪と暮らしているというだけで魔物を放たれた巡のことを考えると、物の怪との関係は持たない方がいい。もしも物の怪をその目で確認したとして、知らん振りをしていれば、物の怪の方から無理やり接触を持ってこようとはしない。かぼのような例外もいるが、彼女にしたって、巡とはっきり接触をしてしまったから付きまとってきたのであって。もしも巡が上手く立ち回って知らぬ振りをしていたなら、そうはならなかっただろう。
とにかく、荘二郎は今は物の怪とは接触をしない方がいい。お互いのためにも。
もしもそうなってしまったら、荘二郎もその物の怪も、連中に狙われることになってしまうかもしれない。
荘二郎がどう考えているかはわからないが、とりあえずは納得したような返事をしてきた。巡たちに心配をさせないようにとの配慮かもしれない。
とにかくこれで、身近な物の怪仲間(?)への連絡はできた訳だ。
ピンポーン。
子機の通話を切った瞬間、来客を告げる電子音が鳴り響いて、巡はビクンと肩を震わせた。
「……誰だ?」
インターフォンで受け答えは出来るが、それをやることで家に人がいることを知らせて大丈夫な相手かどうか。しかし、居留守を使うのも躊躇われる。
「待っていろ」
かぼが、するりと部屋の窓を開けて、音も立てずにそこから外へと滑り出した。
「ちょっと、かぼ……」
客人の確認をしに行ったのだろう。が、普通の人間ならそんなかぼの気配に気付くことはないだろうが、もしも連中のうちの誰かだとしたら、決して安全ではない。そんなことは承知の上なのだろうが、ハラハラせずにはいられない巡だ。
「メグ~。来客だ」
カラカラ、どさ。
「……!! か、かぼ!!」
持ち前の身軽さで、かぼは再び巡の部屋の窓まで飛び上がり、軽快に窓を開けて戻ってきた。
――その片手に、自分の三倍以上身長のある男の腰のベルトを引っ掴んで。
急に掴まれて二階の高さまでひとっ飛びで連れてこられた揚句に、窓付近で放り出されて、その窓枠にしがみついているのは、朝比奈だ。
「せ、先生!?」
それでも朝比奈は、引きつった笑顔を巡に向けながら律儀に挨拶してきた。
「よお。ここんちの出迎えは変わってるな……たまげた」
足場がまったくないわけではないが、二階の窓にぶら下がっている朝比奈は、それでも這い上がるべきかどうか迷っている。
「このまま、あがってもいいものかな……?」
「……」
「担任だったから、ここまで連れてきた。手間がなくてよかろ」
いけしゃあしゃあ。
もっと普通の出迎え方が出来たはずだろうと、今かぼを諭しても遅いだろう。
巡は頭を抱えつつ、担任教師を二階の窓から迎え入れるという珍妙な経験を果たしたのだった。