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だけど人間じゃないって。
人間にしか見えないのに、人間じゃないってどういうことだ? かといって、犬や猫みたいな動物だの、昆虫だのという訳でもない。
少なくとも今はっきりわかるのは、巡にとって今まで見たことも会ったこともない種類の『人間じゃないもの』ということだ。
「人間じゃないって、魔物とかって、じゃあなんでそんなのが急に僕の目の前に出てくるんだ!」
混乱する巡に、少女はニヤニヤと笑いながら答える。
「だからそれを説明してやろうというのに、ぬしが逃げるから余計な手間になるんだろうが」
「……ッ」
当然の反応だ。
そう言い返そうとした瞬間、玄関のドアがガチャリと開いた。
「巡なの? なあに? 家の前でそんな大きな声で」
ひょっこりと顔を出したのは、巡の母、由美香だ。
「母さん」
「やっぱりメグね? んん? お友達?」
巡が食って掛かっている相手の少女を見とめて、由美香はキョトンと彼女を眺める。
「違……」
「そうだ、お友達だ。なんだ、ぬしの母親かの。これはまたぷりてぃーなおなごだの~」
専業主婦である母が家にいるのは当然で、玄関前で騒いでいれば発見されてしまうのも至極当然だ。それを失念していた巡は母と少女を交互に見てひとり焦るが、「ぷりてぃー」とか言われた由美香の方は、あからさまに喜色満面になった。
「正直ないい子ね~。メグったら、こんなところで立ち話してないで、さっさと家に入りなさいよ」
巡は頭を抱える。
少しは疑ってくれないか、母親。こんな歳の離れた友人を見たことなんてないはずだ。その辺で出会った子と、速攻打ち解ける性格でもないのだって知ってるだろうに。けれど、だからこそこうやって玄関前に顔を揃えてしまっている限り、母親から見てお友達にしか見えないのも道理だ。
得意気に『お友達』だと、巡の足に腕を回す少女を振り払いにかかっていると、玄関で別の気配が動いた。
「メグ、帰ってきたの?」
うわ。巡はげんなりとした顔になる。
母の背後から顔を出したのは、姉の芽衣だ。別に姉を嫌っている訳ではないが、さらにこの場の混乱を増幅させそうな存在ではある。
「メグってば、私よりも先に帰っちゃって、どうしてこんなに遅くなるのぉ~? ……あら」
ブンブンと足を振る巡に引っ付いている少女を、ぼんやりと眺める。
「もしかして、デートだった?」
バカをいうな!
心なしか寂しそうな表情を浮かべる姉。
誤解だ寂しがるな! いや、そうじゃなく!
「部屋に行く!」
これ以上ここでやいやいと言い合っても仕方がない。そうでなくとも騒がしい家族がここに二人もいるのでは、とてもお話し合いなんて出来る訳がない。そもそもなんでお話し合いなんてしなければならないのか、その点が巡には本当に謎だったが、直面してしまった出来事は、解決しなければどうしようもない。
「おやつないから、買って来たらお茶持って行くからね~」
少女を引きずって玄関を通過し、二階にある自室に向かう巡に、由美香が声をかける。が、巡はそれに返事もせずに、ズンズンと階上を目指した。
自室に滑り込み、バタンと勢い良くドアを閉める。
「最近の家は縦にでっかいの~。それに木の匂いはするのに、姿が見えないではないか。どうなってるのだ」
巡の家は、木造モルタル二階建てだ。けれど確かに、目に見える場所にあからさまに発見できる木材は少ない。この家から木の匂い、とやらを感じるこの少女は、一体何なのか。
「お前、何なんだ。なんで僕をつけ狙う?」
「人聞きの悪い……」
詰め寄る巡に、少女は呆れた顔を見せながらも、トコトコと部屋の奥にあるベッドに向かう。そこにボスンと跳ね上がって腰掛けた。どうやらそこが一番居心地が良さそうだと狙いを付けたらしい。
「わちがぬしと会ったのは、別にわちが狙ったからではないよ。むしろ、原因はぬしの方にあるんだがの」
「何だよ、それ」
「ぬしがわちを発見したのは、ぬしが持つ『逢魔』の力ゆえだ」
「逢魔?」
巡は、オウム返しに聞き返すことしか出来ない。
「わちが人間ではないということは理解できただろう。そこから話を進めるがな。この世界は、千年ごとに時代を変えて、ふたつの存在の安定を保ってきたのだよ」
生の刻と、魔の刻。
少女はふたつの時代をそう称した。
「生の刻とは、ぬし等のような命ある者たちの繁栄の時代を差す。そして魔の刻とは、わちらのような器や命を持たず、魂だけを持つ存在の繁栄期のことだ」
命が無く魂だけ、というのが、巡には言葉だけでは理解できない。だって普通に動いてしゃべってるじゃないか。
「まあ疑問もあろうが、大筋だけは最初に理解してくれ。つまり、これまで千年の間続いた生の刻が終わりを告げ、これからは魔の刻に移行する、その移り変わりの時代なのだよ、今は」
生の刻においては、少女のような『魔物』と称される存在は、力が弱まり、ひっそりと姿を隠す。対してこれから来る魔の刻においては、その立場は逆転する。
少女は、そう解説した。
「なんだそれ。じゃあ、これからの千年は、人間は消え去るとでも言うつもりか?」
バカバカしいにも程がある。
が、少女はそんな巡の言葉には、首を横に振った。
「生きている者というのは、魂だけのわちらとは存在する力自体が違うからの。わちら魔の刻の住人には存在しない『生命力』を持っているから、消えてしまうことはないよ。ただこれからは、魔物と呼ばれる存在の力が強まる。それらを実際に目にする人間も多くなるだろうよ。少なくとも、人間と同じくらいの数はいるであろう魔物が、徐々に目を覚ましだす。そしてそれらが世界を闊歩し出す。まあ、時代の影響で生きている者の数は少しは減るかもしれんの。これからの千年は、そんな時代だ」
まあ良いではないか、と、少女は高笑いする。
「どうせぬしが生きているのは、せいぜい移行の期間だけではないか。その後の世界など、どうでも良かろうよ」
「……移行?」
うむ、と少女は頷く。
「生の刻から魔の刻までの移行。これにはきっと百年くらいはかかる。本格的な魔の刻を迎える頃には、今この世に生きている人間の殆どは、残っておらんだろうよ」
そう説明をされれば、そうなのかと思うしかないが。
実際に、百年後の世界のことなんて考えたってピンとこないが、だからといって「そんな未来の話なら、まあいいや~」と笑い飛ばせる訳はない。だって今自分は、人間の危機を宣告されているのではないか?
「なんでそんなことが起こらなきゃいけないんだ」
食って掛かりそうな勢いの巡に、少女はプゥ、と膨れてみせる。
「わちに怒るな。そういう仕組みなのは、どうしようもなかろ」
「そんな無責任な」
これは世界の流れであって、少女のせいではない。そのような説明をされ理屈ではわかっても、誰かのせいにしてしまいたい巡だ。聞かされた話の内容は、巡にとっては事件のようなもので、そして犯人のいない事件など自分には理解できない。天災のようなものだと説明しても納得できるかどうか。
「……結局人間は自分本位だの。わちらは千年間もずっとこの時代を待っておったのだぞ。わちらの存在を隅に追いやって、記憶からも外してしまったのは人間の勝手ではないか。わちらはこの世に存在すらしてはならんということか?」
そういうわけでは、ないけれど。
「昔から人間というのは、他の存在を許さなかったな。人間以外の生物の方が、人間より知能は少ないが、あるがままを受け入れてくれるだけ楽だの。人間は己が世界の王者とでもいうような顔をして、少し異なるものは徹底的に排除しようとする。そんな強い精神を持つ者が力を満ち溢れさせる生の刻では、魔物など殆どこの世に姿を残すことなどできん。ずっとわちらは、目に見えぬ存在となって眠って待つことくらいしか出来んかったわな」
少女はちろりと巡を睨みつける。口角をつり上げたままのそれはどこかあきれたような表情で、怒っているような素振りではなかったが。
しかし、そうは言われても。
魔物なんてそんな存在、自分はこれまでこれっぽっちも知らなくて。いや、知ってはいたが、現実にあるものだなんて思いもしなくて。記憶していないことを人間自身のせいだと言われても、巡にはやはり素直に納得することが出来ない。
「これから増えるだろうが、まだ逢魔の力を持った人間は少ない。だが、いち早く時代の移り変わりを自覚できるぬしは幸運ではないか。しかも優し~いわちが、いちいち言葉で説明してやっているのだぞ」
ありがたがれとでも言うつもりか。
大体、巡には逢魔の力というのが何なのかわからない。
「わちらの様な存在は、生ある者には視覚で捉えにくい。そんなわちらを認識する力を『逢魔の力』というのだ。今は数が少ないが、これから世界が魔物を受け入れる体勢になれば、その力を持つ者も増えてくるだろうよ。それは生ある者が力を増すからではなく、わちらの存在が強くなって、認識しやすくなるからだが。ぬしはつまり、生ある者の中でも敏感な方だったと、そういう訳だな」
「……」
一度に沢山の説明をされて、巡は混乱の渦の中にいた。即座に理解しろと言われても難しい。
「まあいい。本題はこれからだ。わちがどうしてもすぐにぬしに説明をしたかった訳はな、今後ぬしが困る事態に陥るだろうなと思ったからでな」
そう言う割に、少女は悪びれもない様子でニヤニヤと笑っている。この少女、この表情がニュートラルなのだろうか。
「いちどわちという存在と接触したからにはな、ぬしはこれから次から次へと生無き者と出会うことになるだろうな」
「!?」
「一度開いた力のフタは、二度と閉まらんのだよ。覚悟しておくと良いぞ」
覚悟と言われても!
巡は唖然とする。
「そんなバカな話があるか!」
「認めよ。そう深く考えることもない。わちのような、ちと人間とは違った存在との出会いがあるだけだ。賑やかになるな~くらいに思えば良いじゃないか。なんなら知り合いを紹介してやっても良いぞ」
巡はめまいを覚えた。
考えれば考えるほど、混乱の渦に嵌まっていく。本当にこの幼女が人間ではないのかとか、そういうことさえ、どんどんわからなくなって。
誰かが出てきて「冗談だよ」と言ってくれるのを、切に願った。
もちろんそれは、叶うことはなかったけれど。