…… 5 ……
彼は、その名を氷村喜孝といった。
「オレの知っているあの人は、魔の刻の住人との共存派だったんだ」
「共存派?」
朝比奈の言葉に、巡は首を傾げる。
「ああ」
魔の刻の到来と共に出現するはずの、凶暴な魔物たち。攻撃的な彼らには、防衛なり何なりの対策を取らねばならない。それは生の刻を生きる者たちのために。つまりは自分たちのために。
それと同時に、魔の刻を生きる無害な物の怪たちとは共に生きていけるようにと。
そういう風に考えている人間は多い。
物の怪たちは、人間と魔物の間にあって中立だ。
特にルールがあってのことではない。ただ彼らは、己が暮らせるだけの場所さえあればいいのだから、人間にしても魔物にしても、無闇に狩ろうとする意志がないだけの話で。
魔の刻の住人にとって、生の刻のパワーは自分のためには良くないものだ。だから、魔物たちは生の刻の住人に対して攻撃的になるわけだが、何かを拠り所にする、かぼたちのような物の怪は、生の刻の力が多少強くても何の問題もない。魔の力しか拠り所のない純粋な魔物たちよりは、ずっとタフに出来ているのだから。多少不便はあっても、その場に存在することくらいは出来る。
そういう中立な立場の彼らだから。
彼らまで攻撃対象にして、敵に回すのは得策ではない。
「むしろわちらは、自分の領域を荒らそうとする存在こそを、敵とするだろうな」
かぼが呟く。
人間であろうが、魔物であろうが。例えばこれがミーシャなら、自分が拠り所とする川という存在を脅かそうとするものが現れたら、その対象と本気で闘うだろう。
人間であるとか魔物であるとか、そんなことは関係ない。
だから、それなら。
人間は、物の怪たちと心を通わせて、彼らを味方に付けた方がよほど有利になるはずなのだ。中立であるからこそ彼らは、自分が護ろうとするべきもののために、純粋にその力を振るう訳で。
「例えばわちは、メグの家には世話になっているからの。メグやその家族に危害を加えようとする者が現れれば、そいつと闘うくらいのことはやるだろうな」
「……」
そういう風に例えられると、巡にもわかりやすい。
「それがわかっているはずなのに、どうしてあの人は……」
朝比奈から見て、氷村という男は、それを一番強く思っている人間に見えていた。
魔の刻をどうやって生きていこうかと思いあぐねる集団の中にあって、いかに物の怪たちと力を合わせていくか、そして魔物たちと無駄な戦いをしなくて済むにはどうすれば良いのかを、考えている人間だと思っていたのだ。
何が彼を変えたのか。
それとも、朝比奈が知っていたはずの彼は、もともと虚像でしかなかったのか。
「魔の刻の住人たちを殲滅しようなんて考えている人間は、それがいかに無謀であるかをまるでわかっていない。魔の刻と生の刻の移り変わりの歴史を、まったく鑑みていない」
本当に、人間さえ生きていれば他はどうでもいいと考えているのか。
それほどまでに、人間以外の違う次元の種族を、許すことが出来ないのか。
この世界は、人間だけで成り立っているのではないのに。
「わざわざ敵を増やすことはないのにの……」
人間が牙をむけば、物の怪だって対抗せざるを得ないのに。
「氷村さんはな。藤乃木高校の教師なんだよ」
「え……」
朝比奈の言葉に、巡は一瞬面食らう。
あれが、教師? 普通に?
初対面の印象が特殊だっただけに、そんな普通の職業の人だということが、少々理解しにくい。けれど、それであの女子高生が「先生」と呼んでいた訳かと納得する。彼女にとっては、氷村は自分が通う学校の教師なのだ。
しかし。
「なんで? そんなに、逢魔の力のある人って多いの?」
「いや、ちょっと特別なんだ」
どういう風に言っていいかわからない、巡の短い質問の意味を、朝比奈は正確に理解したようだ。
逢魔の力なんて、そうそう持っている人は少ないだろうと巡は考える。これまでそんな素振りを見せる人間を見たことなんてなかったし、朝比奈のことを知るまでは、こんな特殊なのは自分くらいかと思っていたのに。だって実際に、お目にかかったことがなかった。
なのに。
巡、朝比奈、氷村に女子高生。
なんでこの地域に、こんなに集中しているのか。
あの少女だって、そう遠い場所から藤乃木高校まで通ってきている訳ではないだろうし、かぼですらこの地域の人間ではないと思うほどに異様な雰囲気だった氷村までもが、その学校を職場としていたなんて。
巡は、そう質したかったのだ。
「特別って、どういうこと?」
朝比奈は、またも考える素振りを見せてから、巡を見た。
「藤乃木学園グループの学舎があるあたりな。あそこ、魔の刻の住人が発生しやすい『ゲート』があるんだよ」
なんだ、それは。
ゲート?
「便宜上の言葉で、本当に次元を繋ぐ門とかいうファンタジックなモノがある訳じゃないけどな。つまりわかりやすく言っちまえば、魔物が発生しやすいポイントがな」
巡は、少しもそんなことは知らなかった。当たり前だが。
朝比奈の言うそれも、十分ファンタジックだ。
「お前の通う小学校含め、藤乃木学園が建っているのは、そのせいなんだ。もともとあそこには、そのために、学校を建てたんだ」
「……え?」
そのためにって。
なんの、ために?
予想外の朝比奈の言葉に、巡はその瞬間、ただ面食らうことしか出来なかった。