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「指一本でも、とはまた、随分な言い様だな。まるで私が悪役のようだ」
クク、とさも愉快そうに笑う青年は、スルリと巡に近付くと、その肩にポンと手を乗せた。
その瞬間、巡の視界から朝比奈の姿が消える。
正確には、一瞬の動作で朝比奈が動いたために、その動きを予測していなかった巡の動体視力がついて行かなかったのだ。
青年と巡の間に瞬時に割り込んだ朝比奈の右拳が、青年の顔面めがけて打ち込まれるが、彼は驚く風でもなく、その拳を片手で受け止めた。止められた朝比奈の方も、それは予想の範疇だったのか、戸惑うこともなく左腕で巡の身体を自分の背後へと回り込ませる。
「充分悪役ですよ。満足な理由も述べずに個人の事情に深入りして待ち伏せなんてね。しかも相手は子供だ」
受け止めた朝比奈の拳を、青年はグイと払う。
「躊躇無しに攻撃してくるとはな。随分と嫌われたものだ」
「まさか、あなたが魔狩人になるなんてな……」
朝比奈の背後に庇われた巡には、彼の言っていることの意味がわからない。
魔狩人?
「いつ私が魔狩人になったと言った?」
「違いますか」
「いや、違わんがな」
青年を睨みつける朝比奈に対して、睨まれている青年の方は余裕の笑顔だ。
「朝比奈、お前の方こそ、何故私達から離れた? 私たちのやっていることを知っている以上、裏切り者の烙印を押されることは避けられんぞ。正義でも気取っているつもりか」
「正義なんてありませんよ。オレはただ、オレのやりたいようにやっているだけだ。魔狩人たちのやり方はオレの意志とは相反する。それだけです」
そうだろうな、と青年は呟いた。
「お前がそうであるように、私も私の意志で動いているだけの話だ。お前と意見が合わないのは仕方のないことだな」
「……」
朝比奈は、唇を引き結ぶ。ギリ、と歯噛みをしているのが巡にもわかった。
「結局……あなたも人間以外はどうでもいいんですか」
「どうとでも」
気楽な様子でそれだけ言うと、青年は一歩退いて、朝比奈から離れた。
「お前がいるんじゃ分が悪いな。出直すとしよう。だが私は、そこに魔物がいる以上、見過ごすつもりはないからな」
「……」
コツコツと音を立てて歩き出す青年を、朝比奈は微動だにしないまま、ただ睨みつける。ここで追いかけたり引き止めたりするのは得策ではないと判断してのことだ。
「せんせってば」
まるで存在を無視するようにその場に取り残されて、そこにいた少女はパタパタと青年の後を追う。クルリと振り返って、巡に向かって「またね~」と笑顔で言いおいてから、いそいそと青年に追いついて共に歩き出した。
その場に残されたのは、三人だけ。
無言のまま朝比奈を見つめるかぼと、険悪な表情を隠そうともしない朝比奈。それにおののく巡。
訳がわからなかった。
ここは小学校の校門前なのだから、朝比奈が出て来たのは別に不自然なことではない。むしろ巡たちは、朝比奈に会うためにここに来たのだから。
けれど、巡は普段飄々としている「クラス担任」である朝比奈が、誰かに無遠慮に殴りかかるのをはじめて見た。そして先程の青年との会話は。
人間だとか魔だとか、そんな単語を平然と使う朝比奈を、巡は理解できない。
「……先生?」
やっと呟いた巡の声に、朝比奈はハッとしたように巡を見下ろし、曖昧な笑顔を見せた。
「悪い。驚かせたな」
ハハハと笑って見せるが、巡の表情から戸惑いの色は消えない。朝比奈は困ったように巡を見下ろした。
「まあ……いつかは通らなきゃならない道だしな……」
ポリポリと、頭をかく。
「あれが、対魔物の研究機関とやら、なわけか?」
巡の足許で、ずっと黙っていたかぼが口を開いた。
朝比奈は頷く。
「そういうことだ」
巡は、目を見開いた。
「先生、なんで、かぼが……!?」
「あ、っと」
かぼに向けていた視線を、朝比奈は再び巡へと移した。
「どういうこと?」
朝比奈が最初からかぼの存在に気付いていたという事実を、巡はまだ知らない。先ほどまでのやり取りのせいでかぼが見えているだけならまだしも、まるで知り合いのような雰囲気でかぼと話す朝比奈に、巡は驚きを隠せなかった。
色々なことを、順を追って話す必要があった。
「これから、嫌でも面倒くさい事態になる。でもって長期戦になるのは必至だ。最初から、話を聞いてくれるか?」
困ったように、けれど優しい表情に戻った朝比奈に、巡は安堵しつつ頷いた。
ここではもう、頷く以外に出来ることはない。
遠慮がちな態度の朝比奈だったけれど。
巡にとって、話を聞く以外の選択肢は、無いように思えた。