…… 2 ……
家を出た途端、かぼは巡を小さな声で制止した。
「まて」
「?」
「わちを見るな。わちの言うことだけ、そ知らぬフリで聞け。……和菓子店の方角に、見知らぬヤツらのひとりがいる」
「……」
ヤツらのひとりって、相手はひとりではなかったのか。
もしかして、本格的に何かヤバい状況なのだろうか。まさか誘拐団とか。それともここいら一帯の土地の買い上げだとか。どれもこれも現実的とは思えない。こんな事態に陥ったことすらない。
「和菓子店の方角はマズい。学校に行けば、まだ担任が残ってるんじゃないかの」
巡のような子供を何がしかの理由で狙っていると決まった訳ではないが、何かがあってからでは遅い。
巡は黙ったまま、学校の方角へと方向を変えて歩き出した。
走り出したい衝動に駆られるが、それは何とか耐える。
藤乃木小学校の校門が視界に入ったあたりで、巡はビクリと足を止めた。
門の前に、誰かがいる。
クリーム色のワイシャツにカーキ色のスラックスと、姿はどこにでもいそうな普通の青年だったが、まとう空気が違うというか。
妙なプレッシャーを感じさせる雰囲気。
ゆるりと首を傾けたその青年は、巡の姿を視界に捉える。
力強い視線だった。
「こんにちは」
やわらかいのかそうでもないのか、判断に苦しむ声音で、静かにそれだけを口にする青年。
「……こんにちは」
一応、巡は挨拶を返してみた。
怪しい空気満点だったが、ここで端から疑う素振りを見せては、こちらが不利になる可能性もある。正直、巡の警戒心は最大値まで高まっていた。多分、この人物は、何がしかの特別な用事があってここにいて、そして彼の意識のベクトルのようなものが、真っ直ぐに巡へと向かってきている。
「もう夏休みになるんだな。キミ、名前はなんていうのかな?」
ブルリと、巡の肩が震えた。
「なんで僕の名前を聞くの? おじさん誰?」
巡の反応に、青年は眉を寄せて困ったように微笑んだ。そうしてもなお、とっつきやすいようには見えない。
「オレはまだ二十代なんだがなあ。まあ子供から見れば充分におじさんか」
唇の端をつり上げつつ、ガリガリと後ろ頭を掻く。
「警戒心が強いのは結構だが、キミひとりでは我らの追尾は撒けんよ」
「……」
青年の言葉に、かぼの目つきが鋭くなる。
間違いない。
この男は、まともな類の人間ではない。それを隠すつもりもなくあからさまにすぎる。そして今、その標的は巡だ。一体何が目的なのか。
「僕に何の用?」
巡は青年を睨みつける。が、それだけの言葉を発するのが精一杯だった。こんなシチュエーションに今まで出遭ったことがないのだから、おののくのも無理はない。
「せんせ~ってば」
急に、巡の後方から細い女性の声。
ビクリとした巡が振り返った。
高校生らしき制服を着た少女がひとり。屈託のない笑顔で巡の至近距離に立っていた。確か、巡の通う小学校のごく至近距離の高台にある、藤乃木学園グループのひとつである私立藤乃木高校の制服だ。
「……」
気配にまったく気付かなかった。
「ダメじゃない。こんな小さい子脅かしちゃ~」
高校生とはいえ、大して年も離れていなさそうな少女に小さい子扱いをされて、いささかムッとする巡だったが、今はそんな場合ではない。
無言のまま微動だにできない巡に、トコトコと近付いてくる女子高生。
「私たちが用があるのは、そこのおチビちゃんの方なんだし~」
「!」
彼女の視線は、はっきりとかぼを捉えている。
「そういうわけにもいかん。彼が逢魔の力を持っている限りは」
「……」
逢魔。
彼はハッキリと、そう告げた。
「話を聞かせて欲しくてね。どういうつもりで、その魔物と共にいるのか」
コツン、と音を立てて、青年の革靴が、一歩巡の方へと踏み出した。
「魔物って……」
ジリ、と、巡は半歩後方へと退く。しかしその先には、ニコニコと微笑む女子高生がいる。
「とぼけなくていい。キミが逢魔の力を持っていて、その魔物と一緒に行動しているのはわかっている。私は」
「そこまでにして下さいよ」
「!」
後方からの声に、青年は一瞬の動作で振り返る。
校門の内側から姿を現したのは、朝比奈だった。
「うちの生徒をナンパするのはやめてもらえませんかね」
「先生!」
「朝比奈……」
「!?」
巡の呼びかけに続いた青年の「朝比奈」という言葉に、巡は驚愕した。
この人物は、朝比奈の顔見知り?
「今そいつに指一本でも触れたら、いくらあなたでも容赦できませんよ」
何が起こっているのか。
巡には、事態がまったく理解できなかった。