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くれぐれも身体と誘拐と宿題の進行状況には気を配るように、と、おかしな指示を飛ばす朝比奈の言葉を締めくくりに、一学期が終わった。
何だかんだと溜まった荷物を抱えて下校する生徒たちの間を縫って、朝比奈は巡の傍に寄って来た。
「成瀬~、お前は特に気をつけろよぉ」
わざわざ近くにまで来てそんなことを言う朝比奈に、巡は微かに目を据わらせてしまう。
「大丈夫、です」
「大丈夫じゃないヤツほど大丈夫とか言うもんだ。あんまりひとりで変なところに行ったりするなよ。お前は実績があるからな」
朝比奈の言葉に、巡は実際何も言い返せない。
かぼに出会ったときもそうだったが、巡は大人しそうな顔をして好奇心旺盛な質なので、興味のあることに遭遇すると、それを追及するために無茶をしてしまうような部分がある。そういう時に他人を巻き込まないのはある意味美点かもしれないが、ひとりで行動するが故に、何かがあるまで誰も気付けないという嫌いがある。
まだ小学校にあがる前、巡はひとりで遠くはなれた街まで歩いて出かけてしまい、迷子になったあげくにヒッチハイクを繰り返して市内を一周した後で、農家のおばさんのリヤカーに乗って帰ってきたことがある。
理由はただ、流れる川がどこまで続いているのか知りたかったから。
けれど当然川沿いをそう長いこと歩いて行けるわけもなく、途中で辿っていたはずの川を見失い、どうやって帰ればいいのかわからなくなってしまったのだ。
自分の住む町を正確に言えないほど幼かった巡が、一度も警察のお世話にならずに帰ってきたのはまさに幸運だ。関わった大人たちが、誰も警察に届けようとすらしなかったのも、おかしな巡り合わせかもしれない。
一家の武勇伝として語られてはいるが、巡の担任になった時にその話を聞きかじった朝比奈は、頭を抱えずにはいられなかった。
本当に、とんでもない遠方まで行ってしまったり、うっかり誘拐でもされたりしたら大変なことになっていたというのに。
それ以外にも、地味な実績ならいくらでもある。
天然な巡の姉を朝比奈も見たことはあるが、実際巡も相当なものだと思っている。
「休み中はオレも学校にいないことも多いからな。緊急連絡先、ちゃんと控えてあるだろうな? お母さんに確認しておけよ」
「はあ……」
なんで自分ばかり、こんなに心配されなければならないのだ。
ちょっと心外な巡。
特にクラスの問題児という訳ではないのだが。
「実際、夏場ってのはおかしな連中もボコボコ出てくるもんだ。家に帰っても安心せずに、鍵をかけるのを忘れるなよ」
それはもう、学期末の注意事項でも散々聞いた。
「わかりました」
こういう時は、素直に返事をしてさっさと退散するに限る。
決してちゃんと話を聞いていない訳ではないが、教師の説教などというものは、反論すればするだけ長引くものだし。
「特に知らない人間には気をつけろよ。お前は巻き込まれ型なんだからな。オレの目の届かないところで、余計なことに首突っ込んだりするなよ!」
担任は伊達ではない。朝比奈は巡の性格までしっかりと理解している。
しかしえらい言われようなのは確かだった。
家に帰った巡からその話を聞かされたかぼは、声を立てて笑った。
「そりゃあ仕方ないの。ぬしはちょっと目を離すと何をしでかすかわからんからの~」
かぼにだけは言われたくない。
大体、自分にそんな評価がついてしまったのも、ちょっと前にかぼ絡みで意味不明な行動を取っていたのが決定打ではなかったのかと、つい人のせいにしてしまいたくなる巡。
まあ、確かに理由としてそれは大きいかもしれない。
「そうか……夏休み……長い休みか……」
かぼは、急に何かを考えるような素振りを見せる。
「……何」
「まあ、確かに気を付けるに越したことはないの。子供の長い休みというのは、大人の目が届かなくなる」
至極まともなことを言うかぼ。こうも現代事情通だと、生の刻の間、時々しか目を覚まさなかったという論が、ますますもって怪しくなってくる。かぼに言わせると、物の怪は目覚めた段階の社会そのものを簡単に受け入れられるのだということらしいが。
かぼは、珍しく真面目な表情で巡の顔を見つめた。
「なるべくひとりにならないように心がけろ」
「は?」
いくら休み中とはいえ、その言い方は少々大げさではないだろうかと巡は思う。
「何だよ、急に」
「ん~」
困ったように目を伏せ、腕組みをするかぼ。
「どうも最近、おかしな人間がうろついているように感じての」
「おかしな人間?」
「この近所でな。どうもここいらの住人じゃない感じの人間を、何度も見かけてな。この家の前でも何度か」
かぼ、ちょっと嫌なことを言う。
「思い過ごしとかじゃないのか?」
それが気のせいでないなら、ちょっと気味の悪い現象だ。
「なんと言うかな……今日もな、この家の前にそいつがいてな、ここから外を見ていたわちと、目が合ったのだよ」
「……」
目が、合った?
「それで、どうした?」
「どうもせん。そのまますぐにいなくなってしまったからの。まさに見ないフリ、といった感じだったかの」
かぼは見た目だけはまったく普通の子供と変わらないから、目が合ったくらいではそれが物の怪であることには気付かないだろう。
けれど、かぼからアクションをかけているわけではない状況で、素で彼女が見えたということは、その人間は逢魔の力を持っているということで。
それを、自覚しているのかいないのか。
微妙なところだ。
けれどどちらにしても、知らない人間がこの辺りをうろついているというのは、あまり気持ちのいい話でもない。
「母上がいない時は、できれば天笠の爺さまのところにでも行っていた方がいいかもしれんの」
「……」
それはそれで、色々と不都合が出てくるようにも思う。
だが、大人たちにも知らせておくに越したことはないだろう。
今は母親は家にいないから仕方ないとして、荘二郎には知らせておいたほうがいい。かぼの言う通り、物の怪絡みだと面倒だし。
巡は、早速とばかりに立ち上がった。