…… 14 ……
「かぼは、天笠さんの新しい水盤見た?」
学校から帰宅した巡が開口一番言うのに、かぼは顔をしかめる。
「ぬしが連れて行ってくれんのに、わちが単独で見てくるわけがなかろうよ」
よく言う……。
巡は小さな声で、呟いた。
いつもひとりで好き勝手に出かけてるくせに。
「しかし、今度は黄味の勝った淡い色の水盤とは、爺さまの趣味もよくわからんの」
「ミズの水盤は藍色だったもんね。でも前のは天笠さんが選んだ訳じゃないし……って」
やっぱり既に水盤を見ているんじゃないか。
どうしてこう、すぐわかる嘘を言うかな、と巡は思うけれど。どうせあれこれと言い訳を返してくるだろうから、何も言わない。あれから巡が天笠和菓子店に行くのに、かぼを連れて行ってなかったのは事実だし、そのことで拗ねているのだろう。けれど、一緒に行けば菓子を要求されるし、それを却下すれば荘二郎が売り物を分けてくれようとしてしまうし。それでは申し訳ない。
荘二郎は、ミズの水盤が壊れてから、すぐに新しいものを買い込んできた。
ミズの水盤は、庭の池の中に沈めたらしい。
即刻破棄してしまうのはあまりに忍びないが、いつまでも壊れた水盤を抱えているのは良くないと判断してのことだろう。
失くした物に縛られていては、新しい一歩は踏み出せない。
今度の水盤も、長い時間を天笠家で過ごすことになるだろう。
「あまりにも人間くさかったの……ミズは」
かぼが、ポツリと呟く。
「そう?」
「人には人の、物の怪には物の怪の心のありようというものがあるのだがの。違う時間、違う次元に存在する者同士だ。心のあり方まで同じだったら、色々と不都合もあるだろう?」
確かに、そう言われるとそうなのかもしれない。
物の怪でなくたって、例えば人間と動物だって、多分まったく違うものだ。姿かたちも生活の環境も寿命も何もかも違う者同士が、同じ心持ちであるはずがないし、同じでいいとも思えない。
「人間に愛されて生まれた物の怪ならでは、なのだろうな。前にも言った、人間への憧れが、とても強かったからなんだろう」
おかげで厄介だったが、などと、かぼはわざとらしくため息をつく。
「天笠さんが、かぼが悪役になってくれたおかげだって言ってたけど」
かぼがミズを諭してくれなかったら、ミズは納得できずに泣いたまま消えていたかもしれないと。
けれどそんな巡の言葉には、かぼは気もなさげにフンと鼻をならした。
「別にそんなつもりはないわ。人の情という根拠を持って生まれ、それを抱えたまま消え行くことができる、そんな幸福な存在だというのに、わがままばかり言っておるあやつに腹が立っただけだからの」
そんな風に言うかぼに、巡はあの時かぼが呟いた言葉を思い出した。
『長ければいいというものではないわ』
かぼは、そう言ったのだった。
「なあ、聞くけど……」
ポツリと呟く巡に、かぼはなんだと首をかしげてみせた。
「長い時間を生き続けるって、やっぱり辛い?」
聞かれたかぼは、キョトンと巡の顔を見返す。
「別に、辛くはないぞ。わちらにとっては、それが普通だ」
うん、と、かぼは自分をも納得させるかのように、ひとつ頷く。
「生まれれ来ることに意味のある存在だというのは、うらやましくもあるかもしれんがの」
まるで、天変地異のように生まれてきている、他の物の怪よりもずっと。
けれど、そういう自分の存在は、それが当然のことと物の怪たちは受け止めているものだ。
だから。
生の刻に生きる者たちと、同じような心を持っていてはダメなのだ。
例えば人なら、この空虚な時間の長さには、とても耐えられない。
「天笠さんも、寂しくなるかな」
たとえ一ヶ月という時間でも、ミズは一緒に暮らした娘か孫のような存在だったろう。それもあれほどまでに、人間くさい彼女がいなくなって。
「寂しいなどと思わせてはならんのだよ。なんのための人間社会だ。メグがそう思うのなら、傍にいてやればいいだけの話だろう。苦になることでもなかろ」
「……まあね……」
「わちだっておるしの!」
かぼはやかましいから、寂しいどころか鬱陶しくて仕方がないと思うけど。
そんな風に憎まれ口を叩いてみても、それを聞き流す今日のかぼは上機嫌に見える。
「爺さまの心の中に、ミズはいるからの。問題ない」
それこそ生まれた時からずっと共にあった水盤。大切にしてきたその心が、消えてしまう訳ではない。
そう、巡もかぼも荘二郎も。ミズのことは忘れない。
生まれてきたことに意味を持っていた幸福なミズだけれど。
生まれてくることに、理由なんてなくたっていい。
そこから過ごす時間の中で、育てて行ける何かがあるはずなのだから。
それは形では残らない何かで。
だからこそ。
ずっと、そこにあって受け継がれていく。
ミズという存在は。きっとそんな何かの、結晶だったのだ。
<第三話・了>