…… 12 ……
「運命は変えられんよ」
かぼは呟く。
「時の流れは、物体を消耗させる。物体が消耗すれば、魂だって消耗する。それがどういうことなのか、わからなくはないだろう」
かぼの言葉に、ミズは黙ったままだ。
巡には、かぼの言うことはやっぱり理解しがたかったけれど。
「抵抗などできないのだ。ミズは皆を置いて旅立つのではなく、そこに残されるのだからな」
魂が消えるということは、魂を持つものを置いていくことと同義ではない。むしろ、置いていかれるのはミズの方だ。
例えば天国のような場所へと駆け上って行くのではなく。
歩くことをやめて立ち止まったミズの魂は、時間の流れから置いて行かれる。それが、魂の死というものだ。本当のところはともかく、かぼはそういう風に、魂の消失というものを位置づけていた。
「いつかは皆、そうやって足を止める。そして自分の傍を通り抜けていく『時間』というものを、操ることなど出来ない。他の皆の『生きている時間』はな」
だから。
だからミズは、怖かったのかもしれない。
死ぬ、ということは。
魂が身体を抜けて飛翔するのではなく。
疲れきった魂が、時間から取り残されるということ。
多分きっと、そういうこと。
「私も、そう長いこと生き続けるわけではないよ」
静かな口調で、荘二郎が言った。
「どうせあと十年か二十年か。すぐに私も、この世からいなくなる。悠久の時間の中では、瞬きほどにも満たない一瞬だ」
荘二郎が、ほんの少し、笑った。巡たちには初めて見せる表情かもしれない。
「そして私が立ち止まる場所は、きっとミズのいる場所だろう。そこは、時間から取り残されている場所なのだからな」
その言葉は、ただの慰めでしかない。本当のところは、誰にだってわからないのだ。けれど荘二郎は、根拠のない慰めをミズに向け続けた。
「だからミズは、安心してそこで待っていれば良い。ほんの僅かな時間だ」
この世での、時間稼ぎがバカバカしく思えるくらいに。
「おじいさんは、悲しくないの?」
ミズは、荘二郎を見上げた。
しかし荘二郎は、首を振る。
「悲しいことなどあるものか。私は何も失いはしない」
朝が来て夜となるように。生の刻と魔の刻も、どちらもきちんと訪れる。
表裏一体であるこれらのように。
すべてのものは、もとをただせばきっとひとつだ。そして荘二郎の中から、ミズの存在が消えることはない。
「天笠さんは、ひとりじゃないよ。少なくとも、僕やかぼにはもう出会ってる。この街には、天笠さんのお菓子を楽しみにしている人も沢山いる」
巡がようやく、自分なりの結論を口にした。
「そしてミズも、ひとりじゃない。君がどこで立ち止まっても、そこにはみんないる」
これまで見送ってきた、沢山の人たちが。
だから、悲しむ必要なんて、どこにもない。
それが真実であるかどうかはわからない。けれど、それはどうでもよかった。
避けられない運命を目前にする相手に、差し出さずにはいられない優しさがあるだけだ。見つからない真実を詮索するくらいなら、例えば優しい嘘がいい。
かぼが、その後を引き継いだ。
「ミズ、ぬしは運命に対して絶対的に無力だ。だがそれは、全てのものがそうだ」
だから、折り合いを付けていかなければ。
生きているものも、そうでないものも。
「ミズと出会えたことは、私にとって幸運だったのだ。だから、お前に関することで悲しいことなど、何もない」
荘二郎が、ミズを縛っていた紐を解いた。もうミズは、その場から動いたりはしない。
愛するという心を、そのままその姿へと変えて返してくれるそんな存在に。
出会えたことが、幸運だ。
「ミズと出会えて、幸せ?」
「幸せだ。ミズもそうだろう?」
「ミズはおじいさんに出会えて……」
幸せ。
「うわあああああぁぁん」
ミズは声を上げて、泣き出した。
迫り来る瞬間を、その小さな身体全部で受け止めようとするかのように。