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逢魔が時!  作者: 日野ヒカリ
第三話 【おじいさんの水盤】
30/63

…… 11 ……


 かぼは、あっという間の仕草でミズの身体を掴むと、自分の洋服の飾り紐をするすると外し、それでミズの胴体をきつく縛り上げた。

「痛い、いたーい!!」

「ぬしが妙な真似をするからだ」

 背中で固く結ばれた紐を、ミズは自分で解くことはできない。

 その端をしっかりと握ったまま、かぼはこともなげに座りなおした。

「しばらく大人しくして頭を冷やせ」

「ちょっと、かぼ……」

 巡が呟きかけても、かぼはその紐を解く様子はない。縛り上げるなんて、ちょっとやりすぎなんじゃないかと巡は思ったのだが。

 巡は、頑として聴く耳を持たないかぼではなく、荘二郎の方へと向き直った。

「天笠さん……その、その水盤は、修復、みたいなことは、できないの?」

 恐る恐る、といった体で、巡は荘二郎に問いかける。

 ミズの出してきたボンドで思い出したのだが、骨董品の修復、なんて言葉を巡はテレビで何度か聞いたことがあった。

 けれど荘二郎は無表情のまま。

「できなくはないだろうな」

「……それなら……」

 荘二郎は、そんな巡の言葉に首を振る。

「お前さんの言うこともわからんでもない。だがな、それをやったとして、いつかもたなくなるのは逆らえない運命だ。確かに私が生きている間くらいは過ごせるかもしれない。だが、傷つき壊れかけた身体を無理やりつぎはぎだらけにして生きて行きたいと、お前さんなら思うかね?」

「……」

 巡は、正直言葉を返すことができなかった。

 それでも、少しでも長く生きられるのなら、その方がいいんじゃないかと。そんな風にさえ思えるのだけれど。

「お前さんはまだ若い。それでも長く保てる方がいいと、そういう風に思うかもしれんな。若者が生に執着するのは当然だし、むしろそれでいい。だが老いというものはな。自分の持つ機能が、正常に働かなくなるということなのだよ。弱って折れた足や腕を無理やり縫い付けて、長く息をし続けなければならないというのは、決して幸せなことではない。……歳を取るとな、そういうことも、わかってくるようになる」

 言っていることの意味はわからなくはないけれど。

 でも。だけど。

 ミズは、ただ。

「ミズは……天笠さんを残して行きたくないと、そう願っているだけなんでしょう?」

 それだけが彼女の唯一の願いなのだとしたら、それに伴う苦しみなんて、承知の上なのではないかと。難しいことはわからないけれど、その願いくらい、叶えてあげたっていいんじゃないかと、巡は考えた。

「そうだよ。ミズは、ミズはただぁ……」

「わがまま娘は黙っておれ」

 乗り出して巡の言葉に勢いをつけようとするミズの行動を、かぼは普段の己の行動を省みない一言で一蹴した。

「メグ。こやつのは、ただのわがままだ。ぬしが真面目に取り合ってやる必要はない」

「……かぼ」

 あまりに冷たい、かぼの態度。

 物の怪は全体的にドライかもしれないが、ここまでだったろうか。

「天笠の爺をひとりで残したくないなどと言ってはいるがな。そんなことは余計な世話というものだ。こやつは爺のために言っているのではない。自分のためだ。全てな」

「そんなあ!」

 かぼの言葉には、当然のごとくに反発するミズ。

 自分はただ荘二郎に寂しい思いをさせたくないと、それだけを考えていたのに。

「爺がひとりだなどと決めているのは、ぬしの勝手だ。ぬしは、ひとりきりになる爺のために言っているのではない。己が『ひとりきりの爺』に必要とされている存在だと、思いたいだけではないか」

「……!!」

 違う、と、ミズは力なくその首を振る。

「違うよ、そうじゃない。ミズは本当に……」

「本当に爺のことを考えていると言うのなら、自分がいなくなった後のぬしのことを考えている爺の気持ちが何故わからない。存在の理を捻じ曲げることで、ぬし自身にまで歪みを与えてしまうことを良しとしない爺の意志を、何故汲めない! ぬしはただ、行くな傍にいてくれと言って欲しい、必要とされていたいだけだ」

 ひとりの寂しさを味わわせたくないということは。

 それを真剣に考えているということは。

 ミズ自身が、そんな寂しさを過去に何度も味わって、辛い思いをしてきたということだ。

 その寂しさを知らないのなら、荘二郎にそんな思いをさせたくないなどとは思わないはずで。慣れていようがいまいが、そこに逃げられない辛さがあるのは事実。

 荘二郎だって、人工的に永らえさせてまで、ミズにそんな思いをさせたいわけがない。

「人間のように、未練がましいことを言うな、ミズ」


 巡には、かぼや荘二郎の理屈は素直に納得することができない。

 けれど、一番身近な年長者である母のことを考えた。

 これまで意識したことは無かったけれど、順当に行けば、親子ほどの差がある母のほうが、巡よりも先に死ぬことになる。巡のほうが先に逝くという事態は、親不孝というものだ。

 もしもその時が来たら。

 死の縁に立つ母がもし、生きることを望んだとしたら。

 死への行進を続ける身体を引きずって、「お前を残して行くのが心配だから、この身体をとりあえず長く保ってくれ」と懇願されたとしたら。

 自分はどう思うのだろう。

 それは苦しみの時間の延長。

 そうまでして母を長らえさせることを、自分は望むのか、望まないのか。

 今の自分なら、きっと母の言うことを自分でも望み、彼女を永らえさせようとするだろう。けれど、長く生きていると考え方が多様化するという理屈もわからなくはない。納得できなかろうが、それは事実なのだと当事者が言うのだから。


 ミズの願いと荘二郎の願いは同じであったとしても、選んだ道は、相容れない。

 とてもとても、難しい問題だ。

 そして難しいからこそ、荘二郎は、殉ずることを選んだのかもしれない。

 ミズにわざわざ厳しい物言いをするかぼも、きっとそんな荘二郎の意思を汲んだ。


 そういうことなんだろうな。


 巡は自分なりに、そんなことを考えていた。




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