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逢魔が時!  作者: 日野ヒカリ
第三話 【おじいさんの水盤】
29/63

…… 10 ……



 ミズは、無表情だった。

 もう、寿命なのだと教えられても。

 それが逃げられない運命であると聞かされても。


 思ってもみないことを言われて、思考がついて来ないのか。それとも薄々感じていたことを認めるのに時間がかかっているのか。ミズの心の中を、巡が読み透かすことはできなかったけれど。

「最近この部屋からあまり水盤を移動しなくなったのは、もういつ壊れてもおかしくなかったからだ」

 荘二郎は、水盤と、そこに座るミズを見つめたまま、ゆっくりと話す。

 それまで荘二郎は、水盤を陽のあたる場所に出したり店先に移動してみたりと、色々なことをやっていたらしい。

 けれど、ここ最近それが出来なくなっていた。

 流れるというほどではないが、微かな水漏れも発生しているような状態だったのだ。持ち運ぶ際に、突然壊れてもおかしくない。


「物には絶対に寿命がある。無機物でも有機物でも。魂にだって、終わりは必ず来るものだ」

 魂の大きな流れについては、荘二郎の知るところではない。人にしろ物の怪にしろ、心とか魂とかいう物が、形を失った後にどこへ行くのか。どのような形になるのか。あるいは完全に消滅するのか。それは、誰にも、わからない。

 けれど、個々としての魂、たとえば今そこにある『ミズ』という魂が、終わりを迎えようとしているのは紛れもない事実だ。

 いずれは荘二郎や巡だって。

 そして、ずっと遠い未来に、かぼやミーシャやシンだって。

 いつかは。必ず。

「だから、ミズ……」

 それでも、言いよどむ荘二郎。

 こんな告知など、したいはずはない。けれど、それをしなければ、ミズは大きな誤解を残したまま、この世から消えることになる。


 荘二郎の言葉を遮るように、ミズはフワリと飛んだ。


「ミズ?」

 呼びかけにも応えずに、ゆるりと荘二郎の目前を横切り、開いたままの襖の向こうへと向かう。

「ミズ!」

 どこへ行こうとしているのか。

 そのままどこかへ消えやしないかと、一瞬戦慄した荘二郎が立ち上がりかけた。

「今の状態で、水盤から離れて遠くへは行けないと思うがの……」

 ボソリと呟くかぼを、立ち上がりかけた荘二郎と巡が見つめる。

「弱くなった魂は、拠り所を離れては存在できんよ。別に弱ってもいない、わちらですら長いこと遠ざかってはいられんのだからの」

 例えばミーシャが川から離れてはいられないように。

 弱ったミズは、なおさら水盤からは離れられない。

「でも……」

 あまりに無表情だったミズの様子が気になった巡が口を開きかけた時、ミズが先程と同じ調子でゆるゆると戻ってきた。

 腕に、何かを抱えている。

 どこにでもあるような、木工用ボンドだった。

「ミズ!?」

 片腕一杯にそれを抱え込んで、グルグルとそのボンドのフタを回すミズ。外したフタを投げ捨てて、ボンドの口を水盤へと向けたミズの目前に、荘二郎は瞬間の判断で腕を差し出した。

 水盤との間に入り込んだ荘二郎の和服の袖に、全身のあらん限りの力を振り絞って圧迫された容器から飛び出した白いボンドが大量にかかる。

「何をする!」

 荘二郎の声に、ミズはパッチリと見開いた目を彼のほうへと向けた。

「何って、ボンドで水盤をくっつけるんだよぉ。壊れかけてるなら、ボンドで直せば大丈夫じゃない。水漏れしそうな部分、ミズが一番知ってるしぃ」

 さも当然のように言うミズから、荘二郎はボンドの容器を取り上げようと手を伸ばした。

「やめなさい」

 厳しい顔を見せる荘二郎に、ミズは眉を寄せる。

「なんでぇ? どうしてジャマするの?」

 荘二郎の手から、ボンドを守るように抱え込むミズだが、掌サイズのミズと荘二郎では、力に差がありすぎる。そうでなくともミズは弱っているのだ。ミズはすぐに荘二郎の手で捕まえられてしまった。

「そんなことをして何になる!」

 荘二郎にボンドを取り上げられて。怒気を帯びた声で責められるような形になって、ミズの表情に初めて感情が浮かんだ。

「なんでよぉ!? 水盤が壊れたら、ミズが死んじゃうんだよ!? 消えちゃうよ? おじいさんはその方がいいのお!?」

「だが、だめだ!」

 多分、ミズは気付いていた。

 水盤自体が寿命を迎えていることを知っていて、それでも認めたくなかったのだろう。だから無理やり理由付けをして言い逃れをしていたのに、止めを刺すように真実を突きつけたのは、荘二郎だ。

 ミズは激しく首を振る。

「物の怪は凄く長生きなんだから! 人間よりずっとずっと! だから、ミズは人間がミズより先にいなくなっちゃうのだって、ずっと見守ってきたよ。悲しくたって寂しくたって、それが運命だって思って、思うようにして、せめて静かに見守るのが一番いいんだって」

 まくし立てるミズは、そこで大きく息を吸い込んだ。

「長生きなのに! なのになんで、よりによって、やっとミズのこと見えるようになったおじいさんより先に、ミズが消えなくちゃならないの!?」

「ミズ……」

「ミズがいなくなったら、おじいさんひとりぼっちじゃない!! ミズはひとりだって平気だよ、慣れてるもん。そうやって生きていくのが物の怪だもん。でもおじいさんは違うじゃない。おじいさんをひとり残して、ミズだけが消えちゃう訳にいかないでしょお!?」

 人は、いつか死ぬ。

 ミズが生まれてからまだ百年ほどしか経っていないが、その間だけでも、ミズは自分が知る人間を幾人か見送ってきた。ただひとり、ミズの存在を見つけてくれた荘二郎だって、いつかは。

 それをわかっていて、ミズはずっと見送る覚悟をしてきたというのに。

 自分が先に行かなければならないなんて。

 この家でひとりで暮らす、荘二郎を残して。

 その事実を否定するように、ミズはただ首を振って硬く目を閉じる。


「長ければいいというものではないわ……」

 かぼが、俯いたまま小さな声で呟いた。




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