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逢魔が時!  作者: 日野ヒカリ
第三話 【おじいさんの水盤】
28/63

…… 9 ……



 多分、お前さんも憶えているだろうな。


 荘二郎は、ミズに向かってそんな風に話し出した。

「水盤のあるこの部屋では騒ぐことが出来ずに、私はいつも不満に思っていた」

 荘二郎がまだ幼かった頃の話だろうか。

 ミズの水盤のあるこの部屋は、中庭に続いている和室で、水盤のほかにも年季の入っていそうな掛け軸やら用途の良くわからない調度品やらが置いてあって、確かに子供が遊ぶには向かない場所のようにも思える。

「私は兄と違って乱暴者だったし、暴れたい盛りだったからな。兄が入っても怒られないこの部屋に、自分だけが入るのを許されないことに腹を立てていたな」

 意外な過去だ。

 物腰静かな荘二郎にも、子供時代はあったという訳だ。

 元気のないミズも、それにはうんうんと頷いた。

「あの時は驚いたんだよぉ。ミズ、こわされちゃうかと思ったんだもん」

 にゃは、と笑うミズ。けれど当時、笑い事では済まされない事態が起こっていた。

「兄ばかりが可愛がられていると思いこんでいた私は、役にも立たない古いものがこの部屋にあるのが悪いのだと、この部屋にある装飾品を次々と壊してまわったな」

「うわ……」

 ついつい声を上げてしまう巡。

 荘二郎、かなりの悪たれ坊主だったらしい。


 床の間に掛けてあった掛け軸を外して放り、壷は中庭に投げて壊した。使いもしない日本刀は池に投げ込み、薬箱や茶器も散らかしまくって、そのいくつかは使い物にならなくなった。そのどれも、法外に値段の張るものではなかったが、どれも年季の入ったそれなりに高価なものであることは間違いなかった。


「そして水盤に手を掛けたときに父親に見つかって、大目玉を食らったな」

 ミズが命拾いした瞬間だ。


 閻魔か鬼神かのように怒った父親は、散らかり放題のその部屋に、荘二郎を丸一日閉じ込めた。つまりこの部屋だ。

 この部屋には鍵はついていない。襖を開ければ隣の部屋だし、脱出する気になれば、中庭にも出られた。けれど、当時の荘二郎にそれはできなかった。それほどまでに、父の存在は脅威だったのだ。この部屋を抜け出そうものなら、今度はどんな厳罰が待っていることか。当時の家庭の多くがそうであったように、天笠家の大黒柱も例にもれず厳格で、逆らえる人間など家族の中には誰ひとりいなかった。

 そんな風に、どれほどの処遇が待っているかも最初から想像できたのに、荘二郎は衝動を抑えることが出来なかった。結果、予想通りに父を怒らせた。

「この世に存在する全てのものは、いつかは壊れて無くなる。いつかは消えてゆかねばならぬ物を、お前が途中で壊すとは何事かと、相当絞られたな」

 そして、時代を越えて残せるものを大切にする精神。それがいかに尊いものであるか。そんな説教も時間をかけてされた。やんちゃ盛りの当時の荘二郎には、到底心から納得できるものではなかったが。

 そうして薄暗い部屋にただ押し込められて。

 荘二郎はその間、唯一壊れていないミズの水盤と向き合っていた。

 荘二郎が壊し、散らかした部屋の中で、唯一無事であった水盤。そこには、いつも通り淡い色の水蓮の花が、活けられていた。

 水に浮かび、けれど揺れることも無く、ただ静かに。

 はかない時間を咲き誇る花と、それを抱える、藍色の水盤。

 長いことただそれを眺めなければならかなった荘二郎は、物言わぬそれに、確かに慰められたのだ。その、静かな美しさに。


「ミズはそのときずっと、いいこいいこっておじいさんの頭なでてたんだよぉ」


 ニコニコと笑うミズ。

 もちろん当時の荘二郎には、ミズのそんな姿は見えていない。

 けれど、人や動物のようには動かない彼らが与えてくれる潤いのようなものに、初めて気付いたのだ。彼らのそんな恩恵はあまりにも密やかすぎて、じっと静かに感じようとしなければ、気付けるはずもなかった。

 それがとても大切なことであるのだと、荘二郎はその時初めて感じた。

「それからだよねぇ。おじいさんが、自分でミズに花を活けてくれるようになったのは」

 ミズは嬉しそうに言う。

 荘二郎はまだ子供だったから、時には手折ってきた桜の枝を不恰好に無理やり飾るなどという無茶をしたこともあったが。そのときは、父には叱られなかった。いや、桜を折って持ってきたことだけ注意されたような気もするが。

「それ以来、水盤は私にとってとても身近なものになっていたし、きっとミズにとっても、私が一番身近な人間であったろうと、自負はしているよ」

 うん、とミズは頷く。

「みんなミズの水盤を大事に大事にしてくれたけど、水盤を嫌ってたおじいさんが一所懸命お世話してくれるのが、本当に嬉しかったんだぁ。だからこの人だけにでも、ミズの姿が見えるようになればいいのになって、ずっとずっと思ってたんだよ」

 お願い叶って、しかもミズの存在を受け入れてくれて、とーっても嬉しかった。

 そう言って、ミズはくふふ、と笑った。


「私はつい最近までミズの存在に気付かなかったが、随分長い時間を共に過ごしてきた。だから、ミズ、その私が言うことを、しっかりと聞きなさい」

「なぁに?」


 荘二郎の言葉に、巡だけがそっと目を伏せた。


 来る。

 ミズがすべてを知るであろう、その瞬間が。




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