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荘二郎から聞いた話を、巡はそのままかぼに伝えた。が、やはりかぼは、さして驚いた様子は見せなかった。
「そんな感じはしていたよ。魂の消えかけてる物の怪は、案外とわかるものだ。だが……」
「だが?」
思案顔になるかぼに、巡はその表情を覗き込む。
「大抵、物の怪なんてのはその運命を甘受するようにできているというか、それが常なんだがの。ミズがそれを受け入れようといていないというのが、気になるところではあるな」
荘二郎も、そんなようなことを言っていた。
人間の姿になっているシンが、巡のベッドの上でゴロリと寝転がる。
「オレらみたいなのは、正直寿命なんて存在しないようなものだけどな。だから、寿命があるヤツの考え方ってのは、根本からは理解できねえけど……」
かぼやシンは、元となるそのものの存在が消えて無くならない限りは、その魂は消えることはない。かぼが何の物の怪であるのかは聞かされていないが、これまでの言から察するならば、シンやミーシャと同じ存在なのだろう。だがミズは、荘二郎の持っている水盤の寿命が尽きれば一緒に消えてしまう。
「もともと『生きている』者たちと違って、わちらには存在するという事に関しての執着はあまりない。聞き分けのない人間と違って、運命を受け入れるのがたやすくできているからな」
聞き分けのない人間で悪かったな。
心の中だけで悪態をつく巡だが、ここで毒づいても始まらないので黙っている。今話しているのはそんなことではない。
「人間に愛されて生まれた存在だから、ということかもしれんが、ミズのような物の怪など、他にも星の数ほどいるからの。もっともわちらも、その全てを掌握している訳ではないから、実際は己の消滅についてどう思っているかなど、わからんのだが」
存在し続けることへの執着があろうがなかろうが、それは必ず受け入れなければならない運命。何故ミズは、それを認めようとしていないのだろう。
「薄々わかっているはずだって、天笠さんも言ってたけど」
「人間だってそうだしの。メグにはまだわからんだろうが、事故にしろ病気にしろ突発的に死んで行く者以外、大抵は自分の命が終わりかけていることくらいはわかるものだ。だがミズは、それを受け入れようとしていない。理由はあるんだろうが……」
未練とか、そういうものだろうか。それとも何か別の。
「なんにせよ、それがあるなら聞いてやること位はできなくはないが、運命は変わらん」
だからな、と、かぼは巡を見た。
「ぬしはどうする。ミズとはあまり関わらない方がいいのではないか?」
巡はえ、と表情を変える。
「なんで」
「別にぬしがそれでいいのなら、わちは構わんがの……ミズと関わっていれば、必ず、ミズの死に目に遭うことになるぞ」
「!」
ミズと関わった時に、かぼが言っていたことの意味が、今わかった。
場合によっては、嫌な思いをすることになると。
ミズは人間ではないが、人間のように会話のできる存在だ。だから、もう話をして、ひとりの人間のように、その存在を認めてしまった。ものの死は全て等しいとはいえ、やはり名も知らぬ存在の死を伝えられるのと、知っている者が死んでいくのは、全然違うものだ。
だが巡は、まだ本当の意味で「死」というものを知らない。
まだ誰のことも、失ったことはないのだ。
「それでもまあ、人間の死と物の怪の死は、まったく違うものだがの」
ほんの少し、巡に気を遣ってるのだろうか、かぼは軽い調子でそんなことを言う。
「違うって?」
幾度もの死と向かい合ってきたであろうかぼは、フウ、とため息をつく。
「物の怪は、その魂が消えるときに、器もあとかたも残らない。だが生の刻の生き物は……死体というものが、残る」
そんなことはわかっている。わかってはいるが、それがどれほどの差であるのか、巡にはよくわからない。
「身体が残っているからこそ、その喪失感は、恐ろしくでかいぞ。……まあ、こんなことは口で言ってもわかるものではないし、本当は、その時になって初めてわかるものなんだがの」
これまで動いてしゃべって息をしていたものが、その機能を一切停止する。
例えば病気で、もう心臓が動いているだけのような状態になっていたとしても、それはまだ、生きている。
それがすべて止まったときに。
その身体は、嘘のように、違うものに、なる。
もう二度と動かないし、しゃべらない。まるでこれまでのことが、夢であったかのように。
流れていた血が止まり、体温が無くなった身体は、とてもとても冷たい。
何年も動いてきたものなのに、そうなった瞬間から、腐敗が始まる。
生と死の、境界線。
それを知らない巡には、やはり言われても、心から理解することは難しい。
「話が逸れたな。とにかく、そういう『生物』よりは、物の怪の消失はあっという間だということだ。それでもな、そこにいた者が消えてなくなるという事実に変わりはない」
だから、それが嫌なら回避することもできるのだぞ、と、かぼは言う。
ミズと関わるのをやめればいいのだと。
「ミズは、もうそんなにすぐに、消えてしまうの?」
巡の質問に、かぼは頷く。
「水盤次第だからの。今日消えてもおかしくはないのだよ」
水盤が壊れたら、どうしてもダメなのだろうか。
水盤を大事にする気持ちから生まれた物の怪なのに。その大事にしていた人の気持ちが、残ったりはしないのだろうか。
いや、こんな風に往生際が悪いのが、人間なのかもしれないが。
かぼがダメだと言っているのだから、そうなのだろう。
「それでも」
巡は俯きがちになっていた顔を上げた。
「だからって僕は、逃げたりはしないよ。誰も逃げられないのに」
ミズも、荘二郎も。
巡が直接の当事者という訳ではないが、そのことを知ってしまったからには、まるで無関係という状態には戻れない。ミズの死に目に遭わないようになんて、今さらだ。
「天笠さんだってきっと、辛くない訳はない。ミズだって」
荘二郎やミズが、今どういう風に考えているのかも、ちゃんとはわからない。けれど、それを知っていてやる存在は、多い方がいいような、そんな気がしたのだ。
「もっと、天笠さんにもミズにも話を聞きたい。僕だけ無関係を決め込みたくない」
一大決心をするような感じでもなく、淡々と言う巡。
「そうか」
そんな巡に、かぼはただ頷いた。
巡がそういう気でいるのなら、かぼはもう、何も言うつもりもなかった。