…… 4 ……
「ただいまぁ~」
それまでかぼの肩にとまっていたミズは、元気に跳ね上がって天笠和菓子店の正面まで飛んでいってしまった。重力に反した飛行能力だが、背中の羽がまったく動いていないところを見ると、やはりそれはただの飾りであるらしい。
かぼが、ぼそりと呟いた。
「ミズのいうおじいさんとやらが、天笠のじいさまだとするなら、やはりもうひとつの可能性の方が高くなってきたの……」
「もうひとつの可能性?」
かぼの小さな声は、巡にだけ聞こえる。オウム返しで聞き返した巡に、かぼは苦笑とも取れる微妙な表情をして見せた。
「場合によっては、メグがちょっと嫌な思いをするかもしれん」
「僕が?」
「わちは慣れておるからの。構わないが……」
いちいち歯切れ悪く、しかしあまり歓迎したくないようなことを言うかぼ。しかし「慣れている」というのだから、巡だけでなく、かぼにとってもあまり良くない状況が待っている、ということなのだろう。
嫌な予言をしてくれる。
「まあ、なるようにしかならんものだ。様子を見てみるかの」
「……」
巡とかぼは、そろって天笠和菓子店ののれんの前に立った。
店の前に姿を現した和菓子店の主人は、巡とかぼの姿を見とめて、いささか目を見開いたようだった。
「綺麗なお水持って~、ここまでついてきてくれたのぉ」
クルクルと飛び回りながら歌うように話すミズの姿を追うでもなく、店の主人は巡とかぼだけを、数秒眺めていた。
「……入りなさい」
それだけ言って、主人は店の奥へ引っ込んでしまう。
厳格そうに見えるが、商売をやっているだけに、普段はそれなりに愛想の良い主人だが、今日のこの様子は、歓迎されているのかどうかも微妙だ。だが入れと言ったのだから、門前払いという訳ではないし。そもそも門前払いされるいわれもないのだが、先ほどの主人の表情の硬さが、予想外の来訪者を拒んでいるようにも見えたのだ。
巡がこの店の奥まで通されるのは、初めてのことだった。
普段は用事もないのだから当然かもしれないが。
店の主人――天笠荘二郎は、決して人付き合いの嫌いなタイプではないが、いかんせん巡は子供だから、個人的に荘二郎と親しくなる機会など、これまでには無かった。
「店先であまり大きな声を出すものではない」
荘二郎は、ミズに対して言う。
「はあ~い」
年寄りに説教されてもおののくこともないミズだ。もっとも、荘二郎が生まれた時からミズは彼を知っているのだから、恐れる必要などないのかもしれないが。
「少し遊んで来なさい。私はこの子達と話がある」
「えぇ~、だって、ミズが連れてきたんだよぉ」
自分だけ追い出されることに納得のいかない様子のミズだが、荘二郎の性格を知っているのか、一度反論しても聞き入れてもらえないと見るや、仕方ないといった体で部屋から出て行ってしまった。
荘二郎、頑固親父の部類なのかもしれない。
静かな和室の中で、かぼが口火を切った。
「姿が、見えておるのだの」
「ああ」
かぼの言葉に、短い言葉だけで頷く荘二郎。
「じゃあ聞くが、あの子は最近、水盤に綺麗な水を入れてもらえないせいで元気が無いとか言っていたが、本当なのかの」
「……」
「物の怪や、付喪神といった存在のことを、ぬしはどれだけ知っているのかの?」
「……」
かぼが何を言っても、荘二郎は黙ったままだ。
「もしもぬしが、己の持ち物である水盤を邪険に扱っているのだとすれば、その水盤の物の怪であるあの子はいずれ消えてしまうだろう。それを知っているか?」
直球で物を言い続けるかぼの言葉をずっと黙って聞いていた荘二郎だが、ややあって一言だけ、そうなのだろうな、と呟いた。
「わちは別にそれについて説教する気はないがの。人が人に対してそうであるように、物の怪に対してだって、個人が個人をどう思おうが勝手だ。たとえそれで己が消えることになろうが、わちらにとってはそれもまた運命。人間が運に見放されて早死にするのと何ら変わらん。ただミズは、ぬしが水盤を大切にしないのは、主の身体が悪いからなのではないかと心配しておる。実際そうなのだとしたら、そっちの問題もあるでな。せっかくの縁だし、確認のためにもこうして出向いてきた訳だが」
荘二郎は、巡とかぼを交互に見つめた後で、口を開いた。
「その物言いから察するに、お前さんは人間ではないようだな。あの子以外にも、そういう存在があったのだな」
荘二郎は立ち上がり、二人に背を向けた。
「私があの子の存在を知ったのは、つい最近だ。まだひと月と経っておらん。ただ大切にしてきた水盤に、あんな幽霊のようなものが取り憑いているのだと知って、平静でいられる人間はそうはおらん。そうだろうが」
「……だから、その元である水盤を放って、あの子を消滅させようとしているというのか?」
「だとしたらどうだというのだ?」
言い捨てる荘二郎に、かぼも立ち上がった。
「別に、ならこちらも何も言うことはない。物の怪も人間と同様、結局は己の手の届かぬ部分には常に受身でしかないのだからな。例えそれが己の魂の存続に関わることであっても、ミズだって納得せざるを得まいよ」
畳の上に座ったまま黙り込んでいた巡の袖を、かぼはくいくいと引いた。
「帰るぞ、メグ。これ以上話すことはない」
淡々と話を進行させるかぼだが、巡は黙って立ち上がった。
「期待に添えなくて済まんな」
二人に背中を向けたまま、荘二郎は呟く。さっさと帰れと言わんばかりの態度だ。
立ち上がった二人は、挨拶もないまま奥の和室から出た。
「どうしたメグ。やけに大人しいの」
かぼと荘二郎のやり取りの間、黙って聞いていた巡の顔を、かぼは覗き込んだ。何事かの意見でも言いそうなものなのに。
「ん……」
和室から店先に出て、そこでフワフワと飛び回っているミズを見つけた。ただ黙って飛んでいる分には、誰かに発見されることはまずないだろう。
他に客の姿が見えないことを確認して、巡はミズに対して一言だけ質した。
「ミズ、シュークリームは好き?」
巡たちの姿を見て飛んできたミズは、いきなりの質問にキョトンと目を見開いた。
「うん? 好きだよぉ。初めて食べたのは最近なんだけどぉ。テレビとかで見て、ずっと憧れてたからぁ。あれ、ホントおいしいよねえ」
ほんわかと顔をほころばせるミズに、巡はそう、とただ頷いた。
「また来るよ」
多くは語らずに、巡とかぼは店を後にした。
きっと何事か話し合ったのだろうと単純に考えているらしいミズは、にこやかに手を振って巡たちを送り出す。
「どうした、メグ」
良くわからない行動を取る巡に、かぼはゆっくり歩きながら、彼の顔を見上げる。
「うそだよ」
一言だけ、呟く巡。
「なんで、うそなんかつくんだ」
足許に視線を落とす巡に、かぼはうんうん、と頷いてみせる。
「さあな……でも、わちらのためかもしれん」
巡が何を言わないでも、かぼはわかっているようだった。
多分また、天笠和菓子店には出向くことになるだろう。