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綺麗な水を入れてもらえないと、どうして元気がなくなるのか。
結局かぼは、全て忘れ去ってしまったかのようなノリで、まったく巡にその話を聞かせる気配が見えない。黙っていても教えてくれそうなミーシャはついて来なかったから、知りたければかぼかミズに聞くしかない。
かぼの肩に座って道案内をするミズを眺めながら、巡はそれをかぼに訊ねてみた。
「ん~」
珍しくかぼが、言葉を選ぶような素振りを見せる。
もしかして、聞いてはいけないような類のことなのだろうか。それにしては、あまり深刻な様子でもない。
「メグがこれまで出会ってきた物の怪はな、全部、そのカテゴリ全体の物の怪なんだな」
急に難しい言い回しをするかぼ。
「ミーシャは、川から生まれた物の怪。シンは猫から。それは知っておろう?」
「うん」
「ぶっちゃけた話をすれば、彼らはその存在が無くならない限り、消える……いわゆる「死ぬ」ことはない。わかりやすく言えば、ミーシャは『川』から生じた物の怪だから、川そのものが無くならない限りは、この世界に存在し続ける物の怪なんだ」
もしもミーシャの傍から川という存在が消えてしまった場合、ミーシャがこの世界に存在し続けるためには、川のある場所に移動しなければならない。逆に、近くに川さえあれば、よほどの不具合が生じない限り、ミーシャはそこで生き続けることになる。
シンもしかりだ。
猫から生まれた存在であるシンは、この世界から猫そのものがいなくならない限り、生き続ける。
彼ら物の怪は、その元となるものの象徴か守り神であるかのように、そのものの傍で存在し続けるのだ。
「だが、ミズは違う」
「……?」
「さっきこやつは、ここから少し離れた場所にある、家の中にある水盤の物の怪だと言ったな。つまりミズは、水盤という存在そのものの物の怪という訳ではなくて、どこぞの家にある、ひとつの水盤から生まれた物の怪ということなのだ」
種類としての『水盤』の物の怪ではなくて。
どこかの家の、たったひとつの『水盤』の物の怪。
「それって、ぜんぜん違う存在なのよぉ」
かぼの肩から、ミズの声が跳ね上がった。
「私は~。人間に大事にされなかったら、生まれなかった存在なのね」
「大事にされなかったら?」
物の怪たちの言葉は、巡にはいちいち難しい。
「ミズはの、人間の言葉で言うなら、付喪神のようなものだ。付喪神ってのはつまり、道具や器物も永い時間が経つと魂が宿る、と言われている、その精霊のことなんだがの。ミズが生まれたのは、その家にある水盤が、永い時間をかけてとてもとても大切にされたからだ。そうだろう?」
かぼの言葉に、ミズはうんうんと頷く。
「物の怪は~、偶発的に生まれるのも多いんだけど~。ミズはね、人に、うんと大事にされたから宿った、ひとつの水盤の魂なのね。だから」
だから、人間に大事にされなくなったら、ミズの魂は力を失くしてしまう。
きれいな水を注いでもらえないということを、イコールで「大切でなくなった」「どうでもよくなった」と解釈するなら。人間の注ぐ情の大きさに比例して、ミズの存在は弱くなってしまうから困るということらしい。
かぼやミーシャやシンと、ミズとの決定的な違いはそこにある。
多くの物の怪は、母体となる物体が魂を持ち、形を成した、独立した存在だ。だからその母体さえあれば、弱点を衝かれるような事故が起こらない限りは、ほとんど消えることはない。
けれどミズのように、人間から注がれた情によって魂を得た存在は、もちろん母体である物体そのものが壊れたりするのも困りものだが、それとは別に。
人から愛されなくなったら、その存在は消えてしまう。
「ミズの水盤はね~、もう二百年位前からあのおうちにあるのよ。凄いでしょ。で、ミズは百年位前に生まれたのね。二百年ずっと大事にされてきたんだから。いまのおじいさんだって、生まれたときからあの水盤の近くで生きてて、長い間大事にしてくれてたのよ。だもの、そのおじいさんがミズに美味しいお水をくれなくなったのには~、絶対に何か理由があるはずなのね」
別にどうでもよくなったとか、面倒くさくなったという可能性は微塵も考えていないのだろうか、ミズはただ、おじいさんが体調不良を起こしているのではないかと心配をしている。
人に情を注がれることによって生まれた存在なのだから、当然かもしれないが。
彼女が、人間を疑うことなど無いのかもしれない。
だから、巡も憶測で余計なことは言わないことにした。
それに、本当にそのおじいさんの体調が良くないのかもしれないし。だとしたら、ミズではなく人間からの意見として、おじいさんは病院に行った方が良い。巡が肩からぶら下げている水筒の中の水は、ただ綺麗な水というだけで、万病に効く魔法の薬ではない。そもそも飲んでも平気ではあるらしいが、この水をそのおじいさんに飲ませるつもりは、巡にはさらさらない。ミズが望むから言うとおりにはしたが、体調を崩している老人にその辺の川の水を飲ませるなど、現実的ではないと思う。
けれど事情を知ってしまえば、それなりに気にはなるものだ。
あまり面倒事には関わりたくない巡でも、そのおじいさんとやらに会って、事実関係を確認したくなってしまった。
結局は、お人よしなのかもしれない。
それとも単に、かぼの勢いにつられているだけなのか。それはわからないけれど。
「ほら、あそこの家がそうだよぉ~」
「ぬ?」
「あれ?」
道案内をするミズの指し示す方角の通りに歩くしかなかった巡とかぼだが、やけに巡の家の近所に近付いていると思えば。
示されたのは、天笠和菓子店だった。
なんてこった。
それならそうと、もっと早く言ってくれれば良かったのに。
ミズがフラフラと飛び回った軌跡をきっちり逆戻りしていた一行。目的地が天笠和菓子店だったのなら、雑木林からここまで、最短距離の三倍ほどの距離を歩き回っていたことになる。
巡はがっくりと肩を落とした。
この気持ちは、体力バカの物の怪たちには絶対にわかるまい。