…… 3 ……
現代ナイズされた河童との邂逅から数日。
今日も普通に学校に行って、約束通りかぼもついて来なかったおかげで平凡に一日を過ごして、そして家に帰ってきた巡は、庭での賑わいに気付いてそこを覗き込み、一気に脱力した。
巡の家には家庭菜園くらいできる程度の小さな庭がある。そこには小さな池まであって、昔は父親が趣味で錦鯉を飼っていた。その後はその池の中身が金魚になったりしたものだが、今では水が張ってあるだけで、何もいない。
そこに、ミーシャが浸かっていた。
「……ミーシャ……」
ガクリとひざをつく巡に、池の中で膝を抱えるミーシャがやれやれとため息をよこす。
「かぼが、巡の家にいい水場があるっていうから来てみりゃあ、随分と小さいんで驚いた。膝丈くらいしかねえじゃねえか」
一般家庭にある人工の池なのだから仕方がない。
身長160cmもない巡ですら、プールの代わりにもならないささやかな池に、巡よりも頭ふたつ分はでかいミーシャが詰まっている光景は、滑稽ですらある。
「かぼの言うこと鵜呑みにしちゃ……」
彼らは付き合いが長いのではないか。かぼの言うことなんて案外適当で大雑把であるなんて、ミーシャにもわかりそうなものだが。
「なんだ失礼だな。別にかぼは嘘は言っておらん。なかなかハマッているじゃないか」
池の傍で座り込んでいたかぼが、心外とばかりに頬を膨らませながら巡を見上げる。
確かに、嵌まっているが。物理的な意味で。
「あらメグ、帰ってたの? それなら声かけてよ。メグの分もおやつ用意するから、手を洗ってらっしゃい」
家の中から顔を出す母、由美香。
一瞬ドキリとした巡だが、その手に持っているトレーには、すでに二人分の紅茶のグラスとプリンが乗っていた。
かぼと、ミーシャの分か。
「ミーシャさん、ストローで大丈夫かしら? でもグラスで直によりは飲みやすいかなあ」
くちばしの形状を気にする母。
「おいこら、かぼ!!」
巡は、小さな声でかぼを招きよせた。
「なんだ」
「お前な、不可抗力で見えるものは仕方ないけど、わざわざうちの連中に物の怪を紹介することはないだろ」
そんな巡に、かぼはいやいやと首を振る。
「これからは、このくらい慣れておいた方が生きやすい世になるぞ。それに別に、わちが母上にあらためて紹介した訳ではないんだが、うっかり庭で話しているのを見られてしまったわ」
「……」
うっかりというか、そりゃあ庭で話なんかしてれば気付かれるのは当然だろう。
しかし本当に母、この河童を見て何とも思わないのか。かぼのことは普通の子供ではないと認識していたとしても、実際かぼは普通の人間と同じようにしか見えないし、あの驚異的な身体能力を見た訳でもないのに。
どこでそんな免疫が出来ているのだ。
「母上も芽衣も確かにおおらかな性質だのー。猫と天井星取りゲームをして遊んでたら、飛んだり跳ねたりしても全然物音がしないと感心しきりで喜んで観戦くれたしの」
「……て、天井星取りゲーム……?」
「天井に沢山星を張ってな、それをジャンプして取って、どっちが早く集められるかのゲームだ。しかし相手は猫だでの。意味がわかっておらんから、かぼの圧勝だったが」
かぼ巡の見ていないところで既に様々な猛威を振るってくれているらしい。
巡の知らないうちに、母や姉は人外に飛んだり跳ねたりしているかぼや、その相手をしている猫を日常で眺めていたということか。
「……少しは加減してくれ……」
学校に来ないからと安心していたが、来ないなら来ないで別の場所で心配の種を増やしていそうだ。
「メグ、わちを誰だと思っているのだ。ぬしよりもずっと長く生きておるのだぞ。人生の先輩に心配は無用だ」
人じゃないだろう。
言えばこじれるから、巡は黙っていたが。
「ほらほらメグ、早く手を洗ってらっしゃい。でもプリン多めに買っておいて良かったわ~」
別段気にかかることのある様子でもない母。
そうだ。かぼよりも、こんな神経で今日に至るまで普通に生きてきた母のほうが脅威だ。これまで気付きもしなかったが。
巡の家の飼い猫になってしまった二股尻尾の黒猫が、母の足に擦り寄ってきた。
「あら……猫ちゃんプリン欲しいの? でも猫にプリンは良くないわよねえ。今度別のおやつ買ってきてあげるから、今日はガマンしてもらえないかしら」
律儀に猫に話しかける由美香を見て、池の中で座り込んでいるミーシャが細い目を見開いた。
「何だ、良く見たらオメエ、シンじゃねえか」
「え!?」
知り合いか!?
「こんなところにいたのか。久しぶりだな。っつっても、それじゃ話も出来ねえな。シン、変化しろよ」
親しそうに一方的にしゃべるミーシャの言葉の直後に、シンと呼ばれた黒猫は突然グワッと、その姿を歪ませた。
一瞬にして、その容積が数倍に膨れ上がる。
「!?」
膨れ上がって、変形しているような、輪郭がブレているような。猫だったシルエットが高速で形を変え、形成されていくのは、人のような姿。
目の前の光景を把握できずに瞬きも忘れる巡の目の前に、真っ黒な上下、TシャツとGパン? らしき衣服に身を包んだ、十五~十六歳くらいに見える少年が現れた。
「はー、助かった……」
それは歳若い男の、巡よりほんの少し低めの声。
キョトンとする母の足許──庭に面した廊下に尻をつき脱力するその少年は、バサバサの黒い髪を掻きあげて、巡に向かって「よう」と片手を挙げてみせる。
……今度はまた、何が起こったのか。