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逢魔が時!  作者: 日野ヒカリ
第一話 【逢魔が時、来たる!】
13/63

…… 13 ……



 巡が出て行ってすぐ、かぼは部屋の窓を開けて、外に身を乗り出していた。

「雨、止まんの……」

 かぼは昔から、雨に当たるのを極端なくらいに避ける。

 振り落ちてくる雨粒がその身体に当たるたびに、その内側にある温かさが失われていくような、そんな感覚があった。

 そんな雨の中、巡は出て行ってしまった。

 怒られるからついて行くことはできなかったけれど、でも一番に見えるところで待っているのなら構わないかなと。そんな風に思って、窓から外に出る。

 雨は嫌いだけど。

 少し当たるくらいなら、大丈夫だろう。

 雨に当たることよりも、巡がそこにいてくれないことの方が。

 だって巡は、かぼが目覚めたときに最初に見つけた、真っ直ぐな瞳だから。かぼに名前をつけてくれたり、何も言わなくても黒猫を家に連れ帰ってくれたり。かぼに世話を押し付けるのは、これからも、かぼが巡の家で暮らしていいって、そう言ってくれているのだ。とても、優しい子なのだ。

 だから早く巡を見つけられるように、雨の当たる玄関先に、かぼは座り込んだ。

 それでもやっぱり雨は冷たくて。

 流れ落ちる水と一緒に、自分の中の何かもこぼれ落ちていくようで。


 早く巡を見つけようとする意志と裏腹に、かぼの瞼はゆっくりと、閉じていった。





 天笠和菓子店は、巡の家の近所ではあるけれど、それでも数百メートルは離れている。家を出てからむっつりと歩いて雨に濡れてしまった道を、巡は今度は走って帰った。

 あの時、結局買ってやらなかったシュークリーム。これを見たら、かぼは喜ぶだろうか。知ってはいても、食べたことのないような素振りではあったし。そしてかぼが喜んだとしたら、やっぱり自分も嬉しかったりするんだろうか。それはどうだかわからないけれど、今、巡はかぼの喜ぶことをしようとしている。

 喜ばせたいと思った訳ではないけれど、喜ぶだろうな、とは考えた。

 そしたらまた上機嫌で、魔物のウンチク語りなんて始めるだろうか。そうすれば、巡はもっとかぼやあの黒猫のことを知ることが出来る。それは案外、悪くないことなのかもしれない。

 巡は、その勢いのまま、家の小さな門に駆け込んだ。

 その足が、止まる。


 かぼが、いた。


 門から少しだけ離れた玄関先で、うつ伏せになって倒れていた。

「……かぼ?」

 返事はない。

 雨の中、雨の中なのに、かぼはその場にうつ伏せになったまま、ピクリとも動かなかった。

 身体に当たる雨のしずくが、何の抵抗もなしに流れ落ちる。まるで石の上でも滑り落ちるように。

 こんな光景を、巡は以前にも目にしたことがある。

 あれは確か、車にひかれて道路で死んでいた、小さな猫だ。

 硬くなった身体の上を、冷たい水がただただ流れていたあの光景。


 かぼは、何と言っていた?

 雨は嫌いだと、言っていなかったか。


 ――そいつは水に当たっただけで消えてしまう。


 かぼのあの時の声が、今聞こえた。

 そんな物の怪がかぼのことではないと、誰も、言っていない。


 動かないかぼを見つめたまま、巡は手に持っていたシュークリームの袋を、バサリと取り落とした。

 なんだよ。

「なんだよ……」

 なんで、雨の中待ってたりするんだよ。

 こんな短時間の間に、そんな姿になってしまうくらいなら、なんで。

 命を懸けてまでやらなきゃいけないようなことじゃないだろう!?

 雨に当たるだけで死んでしまうような身体だったら、それを本人が知らないはずがない。でももし、もし、知らなかったら? ただ本能で嫌っていたのが、実は命に関わることだからだって、本人が知らないことだって、あるかもしれない。

 だけど、嫌いだって言ってたのに。

 嫌いだけど、それでも巡を待つために、こんなところで、ずっと。

 だけど死んでしまったら、何の意味もないのに!


「ばっかじゃないのか、お前!!」


 雨の中、立ち尽くしたまま。

 巡は動かないかぼに向かって叫んだ。

 悪態をついても文句のひとつも返ってこないことが、こんなにも胸に衝撃を与えるなんて。喧嘩なんかしたって。文句を言い合ってたって良かったのだ。こんな風に、動かなくなるより、ずっと、ずっと良かった。

 どうして、もっと前に気付けなかったのか。

 失くすのはあっという間だって、さっき聞いたばかりだ。もっと前に聞いていたら。でももっと前に聞いていたとしたって、きっとその時の自分には、やっぱりわからなかっただろう。

 絶対に戻ってこないものなんて、この世にはいくらだってあるのだ。


 バカじゃないのか。バカじゃないのか。

 こんなにあっさりといっちまうくらいなら、最初から付きまとったりするな。

 自分から付きまとってきたのだから、勝手に死ぬな!

 文句を言ったって、何を願ったって、失ってからでは、何もかも遅い。


 一番バカなのは、自分だ……。



 この時。

 この、一見普通の少女と変わらない、陽気な物の怪との騒がしい出会いと、突然の別れが。

 巡のこれからの人生を、大きく変えることになる――。











 ――なんて訳はなくて。

「……しゅーくりーむ!!」

 ガバリと、少女が頭を持ち上げた。

「……………………ッ!!」

 巡、唖然。

「しゅ、しゅーくりーむがあ、水溜りにいいい!!」

 うつ伏せになったまま顔だけ上げたかぼは、まるで脂ぎった羽と長い触角を持つ黒い悪魔のごとくに、カサカサとほふく前進でシュークリームの袋に這い寄った。

「もったいないじゃないか! このかぐわしき匂い、これはしゅーくりーむだろう!?」


 ……何が起こった。


「お、お……」

「お?」

「お前、死んでたんじゃないのかよ!?」

 巡の叫びにポカンとしたかぼは、さすがに仰天の表情を作った。この少女には珍しい現象。

「何を言うか、失礼な!!」

「だって!!」

 ついさっき頭の中を駆け巡った様々なことを、取りとめもなくわめき散らす巡に、かぼはますます目を見開いた。

「メグ……ぬし、案外慌て者だの」

「なんだよ……」

 バツの悪そうな巡に、かぼは這いずった格好のまま、呆れたようなため息をつく。

「生きるか死ぬかの問題だったら『好き嫌い』で済むわけがなかろうよ」

 それはそうだが、巡は、かぼが無自覚なんじゃないかとまで考えたのだ。難しく考えすぎだと言われたとしても、家の中にいたはずの者が雨の中で倒れていたら、誰だってまずは驚く。

「それになあ、わちら物の怪は、魂が消えれば身体も残らんよ」

「そんなことを知ってるわけがないだろ!!」

 そりゃそうかと、かぼはナハナハと笑う。楽しそうな瞳が、巡に向けてさらに細められた。

「そういうことも含めて、思いついたときに話してやるぞ。わちらの色々なことはな」

 一度に全てを話すには、情報量が大きすぎるのだ。


 しかしそうか、とかぼはニヤつく。かぼが死んだら、巡は慌てるか、と。そう考えたら、自然と笑みがこぼれてしまうかぼだ。まだ、嫌われているわけじゃなかったと。

「ていうか」

 巡は一度、大きく息を吸った。

「大体なんでこんなところで倒れてるんだ、お前は!!」

 もっともな意見だ。

「あー……わち、雨は嫌いだからの。当たっているうちに、ついつい眠気がきてしまったのだ」

 巡には意味がわからない。

「それも追々な」

 かぼが雨の中で眠気を来たしてしまったのは、完全な逃避の表れだ。彼女が何かから逃避するには眠るのが一番良いのを、かぼの本能は一番良く知っている。自分を追いやる生の刻を、ただただ眠ってやりすごしたように。

 そして、彼女が雨を嫌うのも、ちゃんと理由があってのことなのだが。

 それもいつか、話す時もあるだろう。

「そのうち話してやるから、まずはこれを食べていいかの」

 ずっと抱えているシュークリームの袋を、かぼはきらめく眼差しで見つめる。

「その前に風呂に入れ」

 かぼの首根っこを捕まえて起き上がらせると、巡はその手からシュークリームを奪い取った。しかしはたしてこのシュークリームは、まだ食べられるのだろうか。

「メグのケチんぼ!!」

 その言葉も何度聞いたことか。

 なんと言われても、こんな濡れ鼠のまま菓子を食うことを優先させるのは許さない。


 ケチと罵られても――生きてて、良かった。


 正確には、彼ら魔物は生きてはないらしいけど。

 動いてしゃべっているのだから、それはそれで良しとしよう。

 手遅れにならなかったことを、自分は心から安堵しているのだから。


 手足をバタつかせて抗議するかぼを引きずって、巡は雨の当たらない家の中へ入って行った。


 二人が住む、雨の届かない場所へ。




<第一話・了>




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