【証拠はいらない】当たり前になった人
相談者は、四十代前半の女性だった。
服装は落ち着いている。
派手さはないが、手入れは行き届いていた。
ただ――椅子に座ったまま、視線だけが落ち着かなかった。
「……変な相談ですか」
「内容による」
彼女は小さく息を吸った。
「夫と、もう何年も……ありません」
「セックスレスか」
「はい」
即答だった。
「嫌いになったわけじゃありません」
「家族としては、うまくいってると思います」
「でも?」
「……女として、見られてない気がして」
言い切ったあと、少しだけ唇を噛んだ。
「それで?」
「別れたい?」
首を振る。
「離れたいわけじゃないです」
「浮気したいわけでも……」
「じゃあ、何が欲しい」
少し長い沈黙。
「……選ばれてるって、実感です」
俺は、机に肘をついた。
「聞くぞ」
「今、あんたは――」
「捨てられてるか?」
彼女は驚いた顔をして、首を振った。
「生活は?」
「穏やかです」
「会話は?」
「あります」
「大事にされてるか?」
「……はい」
「なら」
「“扱われてない”わけじゃない」
彼女の表情が、少し揺れた。
「でも」
「触れられないと……」
「消えそうか?」
その一言で、彼女は黙った。
しばらくして、ぽつりと。
「……消える気が、するんです」
「それだ」
俺は、椅子にもたれた。
「セックスが欲しいんじゃない」
「“存在確認”が欲しいだけだ」
「……」
「触られない=選ばれてない」
「そう結びつけてる」
彼女は、ゆっくりうなずいた。
「でもな」
「選ばれてない奴は」
「こんな顔で、ここに来ない」
「え?」
「不満を言えるってことは」
「まだ、関係の中に立ってる」
少し間を置く。
「逆に聞く」
「触られたら、安心するか?」
彼女は、考えてから答えた。
「……一時的には」
「だろ」
「それ、根本じゃない」
彼女は、静かに息を吐いた。
「じゃあ……私は、どうすれば」
「確認しろ」
「何を?」
「“選ばれてる証拠”を」
「セックス以外で」
「……」
「言葉」
「態度」
「一緒にいる理由」
「それが見えたら」
「触られなくても、消えない」
彼女は、しばらく黙っていた。
「……私」
「女として見られたい、より」
「人として、必要とされたいのかもしれません」
「ああ」
「そこ、間違えると」
「一生、足りなくなる」
立ち上がる前、彼女は小さく言った。
「……証拠、いりませんでした」
「そうだな」
「もう」
「分かってたみたいです」
ドアが閉まる。
しばらくして、背後から声がした。
「セックスレスって、本人にとっては、深刻だよね」
「一般的には、深刻な悩みとされてる」
「でも、本当にそうか?」
「え?」
「毎日一緒にいてくれる」
「それで十分、選ばれてる」
「そう思わないか?」
静かになる。
触れられなくても、
一緒にいる理由が分かっていれば、
人は、消えない。
だから――
もう、証拠はいらない。




