第三十話 奪うしかなかった理由
(……え、無視?)
来夢は、横でまだ低く唸り続けているイカちゃんに念話を送った。
(とりあえずイカちゃん、
ギュルギュル威嚇するの、やめてもらっていいかな?)
(だってよぉ!
木の実、全部食っちまったじゃねぇか!)
確かに、一粒残らずだ。
(きっと、相当お腹空いてたんだよ。
帰りにまたゴブリンの集落、寄ろう)
少し間があって、イカちゃんが鼻を鳴らす。
(……ちぇ。分かったよ)
雷の気配がすっと引き、張り詰めていた空気が和らいだ。
少年も、それを感じ取ったのか、肩の力をほんの少しだけ抜いた。
来夢はゆっくりと腰を落とし、目線を合わせる。
『ねぇ……これも食べる?』
無限収納から、旅の途中で食べようと焼いておいた肉を取り出す。
香ばしい匂いがふわりと広がった。
少年は一瞬だけ迷うように肉を見る。
それから、小さく――
「……うん」
そう言うなり、両手でひったくるように受け取った。
次の瞬間、バクバクと食べ始める。
噛む音も、息継ぎも荒く、まるで誰かに奪われるのを恐れるかのように。
肉汁が口の端に垂れても気にしない。
喉が詰まりそうになっても、止まらない。
来夢は、何も言わずにその様子を見守った。
肉を食べ終えた少女は、しばらく口をもぐもぐさせたまま、きょとんとしていた。
そして、ふっと表情が緩む。
「……お兄ちゃん、ありがとう」
その笑顔は、さっきまでの飢えた獣みたいな目とはまるで別人だった。
――可愛い。
ちゃんと礼が言える。
それだけで、この子がどんな暮らしをしてきたのかが、なんとなく分かる気がした。
『君、名前は?』
「……リィ」
小さな声だった。
その直後だった。
草を踏みしめる音。
複数だ。
イカちゃんの背中が、ぴくりと反応する。
(主、なんか来るぞ)
茂みの向こうから、荒い息と共に数人の男たちが姿を現した。
革の鎧、刃こぼれした剣、汚れた外套。
一目で分かる――盗賊だ。
1人がいきなり飛びかかってきた。
「その鞄、よこしやがれ〜!」
――次の瞬間。
雷鳴が落ちたような衝撃。
イカちゃんが一歩前に出た瞬間、空気が震え、盗賊たちはまとめて吹き飛ばされた。
剣が宙を舞い、地面に転がる。
「ぐぁっ!!」
「な、なんだこいつ……!」
立ち上がろうとした男の足元に、来夢が静かに踏み込む。
『……これ以上、やるつもり?』
声は穏やかだったが、空気が凍った。
盗賊たちは、もはや反抗の意思を失っていた。
その中で、一人だけ、ゆっくりと身体を起こした男がいた。
年嵩の男だ。
深い皺、古傷だらけの腕。
目には、怒りよりも疲労が滲んでいる。
男は、歯を食いしばり――そして。
深く、頭を下げた。
「……すまねぇ」
その声は、悔しさと諦めが混じっていた。
そのとき。
来夢の服の裾が、ぎゅっと掴まれる。
リィだった。
一瞬、言葉を探すように唇を噛んでから。
「……私のお父さん、なの」
空気が、止まった。
来夢は、目を瞬かせる。
盗賊の男は、ばつが悪そうに目を伏せた。
「……リィ」
『お父さん!?なんで盗賊なんかやってるの?』
男は、しばらく黙っていたが、やがてぽつりと語り出した。
「村は……干ばつだ」
誰に言うでもなく。
「井戸は枯れた。
畑は割れて、作物は育たねぇ」
拳が、わずかに震える。
「助けを求めた。
何度も王都へ行った」
一拍、間。
「……だが、貴族どもは見向きもしねぇ。
“順番を待て”の一点張りだ」
自嘲するように、短く笑う。
「待ってる間に、子どもは腹を空かせて倒れる」
視線が、リィへ向いた。
「……守るために、奪うしかなかった」
沈黙が落ちた。
正しいとは言えない。
だが、嘘でもない。
来夢は、ゆっくりと息を吐いた。
『……なるほどね』
リィが、不安そうに来夢を見る。
来夢は、しゃがみ込んで目線を合わせた。
『怖かったよね』
リィは、こくりと頷いた。
『でも、生きるためだったんだ』
父親の方を見て、続ける。
やり方は間違ってるけど、この人たちは生きるのに必死なんだ。
来夢は、立ち上がった。
『リィ、村へ案内してくれ』
風が、草原を渡った。
リィは、そっと来夢の手を掴んだ。
その手は、まだ細くて、温かかった。




