第四話第二節(改)
オールヴァン公爵家は、『癒しの魔法』の大家と言っていい。
過去に聖女を何人も輩出した実績もあり、現当主の父も効果こそ聖女に劣るとはいえ『癒しの魔法』を扱える。
それゆえに、高齢で病を抱えた貴族たちは大聖堂には行かず、オールヴァン公爵邸にやってきて治療を求めていた。
日も昇らぬうちから屋敷の外で馬車が何台も止まり、にわかに騒がしくなっている。離れでのんびり朝食を摂っていた私は、あれこれ考えてみた。
(オールヴァン公爵家は治療に関する魔法のノウハウを持っているのだから、聖女が魔法を使えなくなればこちらにお鉢が回ってくるわよね。当然だわ)
今頃、父は気難しい高齢の貴族相手に『癒しの魔法』を懸命に使っていることだろう。
その対価をどれほど受け取るのか、と考えると——聖女アリシアの『癒しの魔法』が失われて実家オールヴァン公爵家が儲かっている、というのもおかしな話だ。
アリシアだけでなく、父もオールヴァン公爵家も私の復讐の対象だ。一緒に不幸になってもらわなければ私が困る。
そこで、私は一計を案じた。
(この家に近づく治療を求める人々が、ことごとく魔法を使えなくなればどうなるかしら。オールヴァン公爵家が治療の代わりに患者の魔力を奪った、なんて悪評が立てば……)
それはごく簡単なことで、オールヴァン公爵邸の門に近づく人間のマナの『流れ』を一切断てば、しばらくの間その人間は魔法を使えなくなる。
無論、肉体が自然のマナを吸収していき、十分なマナを蓄えればまた魔法は使えるようになる。
しかし、魔法を誇りとする貴族がたとえ一時的にでも原因不明で魔法が使えなくなる、ということは一大事だ。
加えて、つい先日起きたオールヴァン公爵家出身の聖女アリシアの『癒しの魔法』喪失と関連づけて考えるな、というほうが無理筋なのだから、人々はすぐにオールヴァン公爵家について噂しはじめるだろう。
オールヴァン公爵家には、他人の魔法を奪う何かがあるのではないか、と。
噂というのは瞬く間に広まる。
「御当主の魔法が使えなくなっただと? いかん、我がレイニアン伯爵家の魔法が絶えぬよう対策を!」
「どういうこと!? 美貌を保つための魔法がすべて使えなくなったわ! いやあああ!」
「ウォルステン侯爵家やミスリン子爵家まで……これでは婚姻の話も考え直さなくては。我が家の魔法が途絶えぬよう、近似する魔法を持つ貴族と交渉するぞ」
貴族の阿鼻叫喚は、平民の数少ない娯楽だけあって、私の耳にも毎日十分過ぎるほど多くの噂が舞い込んでくる。
あっという間に、あれほど騒がしかったオールヴァン公爵邸近辺は誰も訪ねてこなくなったためすっかり静かになった。寂れた、といったほうが正しいかもしれない。
当然のことながら、オールヴァン公爵邸では父が噂にいらだち、叫び、悪態を吐いていた。
「くそっ、くそっ! なぜ皆の魔法が使えなくなった!? それさえ分かれば解決できるというのに!」
マナの『流れ』とは関係なく、私のいる離れにまで父の怒りの大声が届く。
私は素知らぬ顔で、独り午後のお茶を楽しんでいた。今日は濃いめのハーブティーに蜂蜜と生姜を擦って入れてみたが、なかなか相性がよかったからなおのこと——私の機嫌はすこぶる良い。
(ああ、お可哀想に、お父様。出来もしない無駄なことばかり考えて、オールヴァン公爵家の衰退のきっかけになってしまうであろう無力な我が身をどれほど責めることか。でも、あいにくと、あなたがたは自分の蒔いた種から相応の不幸を得たにすぎないのよ)
まだまだ、私の復讐は始まったばかりだ。
今、世間で知られているのは『オールヴァン公爵家出身の聖女の魔法が使えなくなった』こと、『オールヴァン公爵邸を訪れた貴族たちが魔法を使えなくなった』こと、この二つだ。
そこから噂は根も葉もなく広がり、火のないところにも煙は立ち上る。
噂から広まった疑念は、こうだ。
「オールヴァン公爵家には呪いでもかけられているのではないか? 公爵は魔法を使えるんだろう? どういうことだ、彼が何かしたのか?」
「呪いがかけられたなら、きっと他の貴族に妬まれたのよ。自分の娘が聖女だからと、長いこと偉そうになさっていたものね」
「もう一人の娘は……あれだ、魔法が使えない——待てよ。つまり、もっと以前から魔法が使えなくなる『何か』をオールヴァン公爵は隠していたんじゃないか? だとすると、呪いをかけたのはむしろオールヴァン公爵で、被害者ぶっているだけでは……?」
「そうに違いない! 聖女を擁する大聖堂もきっとオールヴァン公爵と話がついていて、この呪いが成功すれば貴族たちを意のままに操り、ついには国王陛下をも害するぞ!」
「ならば、聖女も怪しいぞ! 父親のしでかした責任を取らせろ!」
王都各地でオールヴァン公爵への批判が高まり、聖女アリシアや大聖堂にまで累が及ぶなど、誰が想像しただろう。
事態は、私が思ったよりも過熱してくれたらしい。魔法を失った貴族たちは、オールヴァン公爵への裁判を起こそうとしているだとか、証拠集めに記者たちが躍起になるもオールヴァン公爵邸に近づくと魔法が使えなくなるからと二の足を踏んでいるとか。
騒ぎはどんどん大きくなっていくのに、オールヴァン公爵邸周囲は静けさを保っている。
誰も、己の魔法を失いたくないのだ。
とはいえ、大聖堂が『癒しの魔法』を失った聖女アリシアの声明文を発表し、魔法を失った我が身の悲哀と公に尽くせなくなる不甲斐なさを滔々と語ったため、貴族も平民たちも徐々に聖女への同情に感情が傾きはじめた。
同時にそれは、『癒しの魔法』を失った聖女アリシアへの侮蔑や憐憫にも繋がる。
案の定、聖女アリシアはその状況に耐えきれず、夜中に実家オールヴァン公爵邸へこっそり戻ってきて、父へ懇願……もとい、現状の鬱憤をぶつけていた。
「どうして!? どうして私が魔法を失うのよ! あり得ないわ、私は聖女なのよ! お父様、何か手段はないの!?」
「あったらとっくに試している! お前こそ、何か覚えはないのか? 聖女としての役目を果たしていなかったから、そうなったのではないのか?」
「私に原因があるとでも言うの!? ひどい言いがかりだわ!」
「落ち着け、可能性は一つでも潰していくべきだろう」
「私は神に誓って何もしてないわ! そうでなければ、聖女になれるはずがないでしょう!?」
屋敷では、怒りながらも泣き喚く娘を宥める父と、聖女なのに貴族や平民からさえも見下されて怒りが収まらない娘がともに暴れ、きっと大騒動が起きていることだろう。
けれど、私は離れの寝室で今日眠るベッドのシーツをきっちりと整え、安眠のためのラベンダーオイルをポプリに一滴垂らしている。
私は、離れ周辺のマナの『流れ』を逸らせて、屋敷内の醜い言い争いの声が聞こえないようにして、陶器製あんかで温めておいた毛布へと潜り込んだ。
目を閉じて、私は考える。
(あなたたちは、いつも自分たちが誰かをひどく傷つけたことを憶えていない)
アリシアは、魔法を使えない『灰色女』の私をいつも見下していた。
『癒しの魔法』が使えても私の怪我を治してくれることもなく、自分のやるべきことを私へ押し付けてばかり。外では自分だけがオールヴァン公爵家令嬢のように振る舞い、私の存在をなかったことにしようとした。
父もそれは同じ、いえ、もっとひどかった。
私を公爵家令嬢として扱わない程度ならまだマシで、娘という道具としてしか見ていない。殴られたりなじられたりされないのはいいことかもしれないが、それは私に興味関心がないからだ。
私が衣食住の保証をされ、曲がりなりにも娘と見なされているのは、『オールヴァン公爵家』の箔付けを保ち、道具として最低限、見栄えして使える状態にされているだけだからだ。
それは、私は家族に人間として見られていないということ。
私は、ペットや家畜と何が違うというのだろう。
さらに、家族が私をそのように扱う以上、外の人々にも私は同じように見られているだろうということ。
私は、『灰色女』として生まれたことは仕方ないとしても、せめて、家族には愛情を持って人間として接してほしかった。
もうそれは叶わぬことで——私は、復讐をもってその未練を断ち切るしかない。
目を閉じたままの私は、屋敷の父の書斎で言い争う二人のうち一人、聖女アリシアのマナの『流れ』を意識し、集中した。
すでに外界からのマナを貪欲に吸収しはじめている彼女への『流れ』を、ハサミで裁断するように、パチンと途切れさせる。
これでいい。
(聖女アリシア。あなたを巡るマナの『流れ』を、今、完全に断ち切ったわ。もう魔法は復活しない。でも、一度でも終身職の聖女となったあなたを、大聖堂も王城も辞めさせることはないでしょう。あなたはいつまでも『癒しの魔法』を失った唯一の聖女として記憶され、そしてオールヴァン公爵家はその聖女を輩出した不名誉を恥じることとなる)
屈辱の汚名を被ったまま、彼女はいつまで平然と公の場にいられるだろうか。
周囲から大いに疑われ、信用の失墜したオールヴァン公爵家とその当主は、いつまで尊大な態度を続けられるだろうか。
(お父様、あなたからは魔法を奪わない。偉大なるオールヴァン公爵、あなたは自分だけが魔法を使える苦悩を抱えて生きていくしかないのよ)
それが、私の復讐だ。
かつて家族だった人々への、最後の贈り物だった。
2025/11/20改編しました




