第四話第一節(改)
一つ目の復讐は、ごく単純なものだった。
私は、妹アリシアが日中勤める大聖堂に繋がるマナの『流れ』を、徹底的に断った。
聖女アリシアの就任式で訪れた大聖堂の位置は、私の住むオールヴァン公爵家の離れからでも確認できる。
王城の手前にある、翡翠色の大尖塔を持つ荘厳な建物はどこよりも強いマナの『流れ』が集まってぶつかり合い、天上の主に届けるかのごとくマナをはるか高みの空へと導いていた。
それがなくなったところで、誰も気付かない。
私が大聖堂に繋がるマナの『流れ』をすべて断つと、周辺にマナが溢れ出した。
とはいえ、過剰となったマナはすぐに大地へ還るようにした。あまりにも場のマナが多すぎると、人間は肉体の不調を訴えはじめ、ときには死に至ることもある。
それでは王都の中心部にある大聖堂から溢れたマナの『流れ』の奔流は、死の川と等しくなってしまう。ただ王都に住んで、そこを通りすがっただけで死ぬ人が出てしまうなんて、あってはならない。
だから、私は大聖堂付近に集まるマナの『流れ』を、地中へと強く深く押し込めるように変えた。これでマナの多くは大地に還り、もし地表に出てくるとしても何十年、何百年後になるだろう。
それはある意味では正しい循環だ。
自然から生まれるマナを、自然の循環に任せて管理してもらうことは、もっとも美しく、理想的なあるべき結果に繋がる。遠く森林の国に暮らす長命のエルフたちは、そのようにしてマナの恩恵を最大限受けていると聞いていた。
たとえ——『癒しの魔法』を受けられずに死ぬ病気の老貴族や、身勝手な決闘で死にかけた貴族の子息がいたとしても、彼らを助けられないことを嘆くよりも、よほど正しいのだから。
その日の夕方には、オールヴァン公爵邸にまで噂が流れてくるほどの大事件となる。
「聖女が、『癒しの魔法』を使えなくなった?」
「それだけじゃない。大聖堂で行われるすべての魔法行事が、中止になったそうだ」
「生誕の祝福も、結婚式も、主の降誕祭の準備さえもできなくなったってことか?」
「聖女と大聖堂の司教たちは大騒ぎして、王城からも大臣がやってきたそうよ」
離れにいたって、人の噂は流れてくるものだ。渡り廊下や庭先でのおしゃべりは、マナの『流れ』を少し変えれば私の耳元まで聞こえてくる。
音も立派なマナの『流れ』なのだ。正確には、音を発することでマナは魔力を帯び、原始的な魔法に近くなる。私はその『流れ』を利用して、少しずつ情報収集に活用しはじめた。
初めは屋敷の中の音を少し聞き取るだけでも頭がくらくらして、疲れてしょうがなかった。音に関するマナの『流れ』は思ったよりも複雑で、無秩序きわまりないものだったのだ。
それらを頭の中で少しずつ整理して、聞くものとそうでないものの分別に集中していく。
食器を重ねる音、ドアのノブを回す音、メイドのおしゃべり、鳥のさえずり……二、三日して慣れてくるとそれぞれの音を聞き分けることができるようになり、一週間もすれば短時間ながらも私は屋敷中の誰が何を喋ったかまで細かく判別できるようになった。
そのおかげで、私は屋敷の離れにいながら王都の状況をある程度は把握できる。
(聖女アリシアは、自らも周囲も不安に怯える中、権威たる聖女らしい立ち振る舞いができるなら、この状況を乗り越えることができるでしょう。でも、そうでなかったら……聖女にふさわしくなかったということよ)
私の最初の復讐は、そこまで苛烈ではない。
妹アリシアが本当に聖女であれば、『癒しの魔法』などなくとも人々の支持を集め、聖女として民心の安寧を祈る本分を全うできるはずだ。
聖女という身分の持つ特権や宗教的権威の偉大さは、ときに国王さえも頭を垂れるほどだ。だとすれば、その重責に見合う人柄や魔法以外の能力を持っているべきであり、まだわがままな公爵家令嬢気分では務まらない。務めてはならない。
それから、私はアリシアの周辺のマナの巡りを次々と捉え、『流れ』を止めた。
大聖堂、王城、その二つを繋ぐ大通り。
私は丁寧に、それらへ流れ込むはずだったマナを外へ、地中へと『流れ』を変えて逃した。
夜は住まいの王城に戻るアリシアは、王城でも『癒しの魔法』が使えなくなっていることだろう。
聖女は多忙で、大聖堂と王城を行き来する生活に明け暮れているはずだ。少なくとも、就任したばかりの今はよそに外出する暇さえないだろう。
翌日には、聖女の『癒しの魔法』が失われた、という見出しの新聞が私の手元にまで来る。前代未聞の事件に、大聖堂も王城も大慌てだそうだが——私は『灰色女』だから関われない。
それでいい。
そんな中、私は父に呼び出された。
父は私に用事があれば、いつも屋敷の書斎へ呼び出し、用事が済んだらさっさと離れに戻れとばかりに追い払う。
正直に言って、そんな扱いをされればあまり気分はよくない。だから、私は素早く出向いて、できるだけ早く帰ることを心がけていた。
その日も私は屋敷の書斎の扉をノックして、気だるそうな返事と同時に中へ押し入る。
自分で呼んでおきながら、父は実に面倒くさそうに私へこう言った。
「来たか。大聖堂からお前に、アリシアの侍女を務めてほしいと頼まれてな」
その失礼さと前代未聞の話に呆気に取られそうになったが、私はこらえた。
(……聖女の姉を、聖女の侍女に? 『灰色女』 とはいえ、オールヴァン公爵家の令嬢をわざわざ?)
ありえない。
何もかもがおかしい話に、私は聞き返してみた。
「それは、一体どういう意図が?」
「どうもこうもあるか。聖女の姉ならば身元も明らか、アリシアとも親しいと思っているのだろう。加えて——いや」
小さく咳払いをして、父は口を滑らせそうになった言葉を誤魔化した。
私に情報を与えまいとしているその態度から、私はすぐさま隠された事情を察して、話を突っぱねた。
「お断りします」
「何だと」
「私は就任式に出席し、聖女の姉としての義務をすでに果たしました。これ以上笑い者にされたくはありませんし、公の場に出てオールヴァン公爵家の名を汚すような真似は慎みたく存じます」
我ながら白々しい。
しかし、『癒しの魔法』を使う聖女のそばに、魔法も使えない『灰色女』の侍女を置きたいという謎の依頼の真意は——おそらく、アリシアからの要望だ。
『癒しの魔法』が使えなくなった己を慰めるために、自分よりもみじめな境遇の姉を使用人としておき、自分よりも下だと見せつけよう、と考えたに違いない。
(今までだってそうだった。アリシアが私と一緒にいた時間は、自分よりも不出来な姉を嘲笑うためだった。勉強も、刺繍も、ダンスのお稽古も。もうこれ以上、アリシアの悪趣味に付き合ってはいられないわ)
第一、目の前の父は、たとえ大聖堂を通じたアリシアの頼みだとしても、オールヴァン公爵家にとって恥である 『灰色女』の私を衆人環視の場に出したがるとは思えなかった。
つまり、結婚などとは違って、断れる話なのだ。
案の定、父はそれ以上私へ無理強いしてこなかった。
「はあ、まあいい。私とてお前を外に出したくはなかった、お前が頑なに拒んだと言えばいいだけだ。ならこの話は終わりだ」
「分かりました。失礼いたします」
私は一礼して、父とは目も合わせず書斎から出た。
その後のことはわざわざ知りたくもなかったし、そもそもオールヴァン公爵家がそれどころではなくなった。
聖女の『癒しの魔法』喪失から数日経つと、オールヴァン公爵邸にひっきりなしに他の貴族が訪れるようになったのだ。
2025/11/20改編しました




