第十三話
結婚して五日後、騎士の礼服を身にまとい、しっかりと短い黒髪を整えたアイメル様の出勤を見送ることにも慣れてきた。
「行ってきます」
「お気をつけて」
自分も、というふうにアイメル様の乗る馬がいななく。
まさか屋敷の奥手に厩舎があり、アイメル様の愛馬である黒鹿毛の大きな馬『ドンケル夫人』が暮らすことになるとは知らず驚いたものの、ドンケル夫人とは毎朝毎晩顔を合わせるので少しずつ距離を縮めている。
おおらかなドンケル夫人はあっさりと私を受け入れてくれたのだが、肝心の私が大きな生き物にどうしても恐怖心が拭えず、一足飛びには仲良くなれそうになかった。馬車を牽く馬はじっとしているし、それほど近づかないから大丈夫だったのに。
まあ、致し方ない。
それより、私はお義母様と朝食後の片付けを終えて、昼まで暇を持て余していた。
掃除洗濯は急いで新たに雇ったメイド三人に任せ、次いで家事から解放されたニコを学校へ送り出す。
ニコの好奇心は並外れており、見識を広め、才能を伸ばすためにも外の世界と接触を持ったほうがいいとアイメル様に訴えたところ、「やはりあなたもそう思うのですね。ならば」と快く了承してくださったのだ。
ちなみに、厨房好きなお義母様は、よく張り切って厨房で料理を作っている。少しばかり体の調子もよくなってきたらしく、好きなことをしたいとおっしゃっていたので、私はひとまず他のことを担当しようと決め——王都を巡るため、私は買い物を担当することにしたのだ。
買い物といっても、必要な一、二週間分の食材や調味料を商店に依頼し、郊外の屋敷まで運んでもらうよう伝えにいくだけだ。
メイドに頼んでもかまわないのだが、直接出向いて前金を払ったほうが商店側も都合がよく、快く引き受けてくれるそうだ。
そのため、新婚五日目ですでにシェプハー家のお財布の管理を任された私は、いいのかしらと思いつつも重責を担うことにした。
唾広の帽子の中でスカーフを使って髪を隠し、ロングドレスと簡素なジャケット、それに革鞄を肩から下げ、お出かけ用の支度を整えると、私は見送りに出てきてくれたお義母様とメイドたちへ一礼する。
「では、行ってまいります」
「気をつけてちょうだいね。無理はしなくていいから」
「はい、分かりました」
お義母様からすれば郊外から王都中心部までは遠く体調の不安もあって出向けない、メイドたちも遠距離の移動は一苦労だから家事に従事したい。
一方で私は、慣れない家事よりも慣れてきた外出のほうが楽だし、復讐の計画で欠かせない地下配水塔の調査も兼ねて、王都に行く機会が欲しかった。
つまり、Win-Winというやつだ。これで怪しまれず外出ができて、私としてはちょうどいい。
(郊外から王都中心部まで、乗合馬車に乗ってもそれほどかからない。買い物自体は注文して運んでもらうだけだから大して手間も時間もかからないし、これなら十分余裕がある)
郊外にもちらほらと屋敷はあり、どれも広大な敷地を誇る。そこから街道沿いにある乗合馬車の停留所へ向かい、朝夕の便で往復するのだ。
四頭立ての大型乗合馬車が力強く街道を走る。時間に余裕のある私は比較的空いている時間帯を教えてもらい、私のほか一人二人ほどが乗り降りするのどかな便に遭遇できた。
豊かな草原、放牧地、ゆったりとした大きな屋敷が点在する郊外から、建物が密集した王都の城壁の中へと入ると、景色は一気に都市へと変わっていく。
王都目抜通りそばの停留所で降り、私はできるだけ裏通りを使ってシェプハー家御用達の商店を目指す。いわゆる下町エリアにあると聞いていたため、事前に自前の地図を持ってきており、迷わずたどり着けた。
最初は初見客である私へあからさまに怪訝そうだった食料品店の店主も、シェプハー家の名を出すと気をよくして、注文リストと前金を同時に出すとさらに機嫌がよくなった。
「毎度あり! 郊外に出ても贔屓にしてくれるなんて、あの家は本当に律儀だよ。しかも値切らないしな!」
「お引き受けいただきありがとうございます。それでは、よしなに」
上機嫌の店主と別れ、私は本来の目的である、市街地の地下配水塔のある場所へと向かう。
地下配水塔の多くは広場の真下にあり、噴水を目印にしていけばすぐに地図通りの場所へ辿り着くため、そこまでは簡単だった。
ただ、どこから地下に入るのかが分からず、困った。マナの流れは人混みでは分かりづらくなるため、あまりアテにできない。
(地下配水塔に入るのは難しいとして、地下の水道に入るだけでも無理かしら。うーん、何か方法があれば)
広場の片隅の日陰で、私は思案する。
地下配水塔に繋がるような、それらしき建物はある。住宅や商店の隙間にある、何の飾り気もない石造りの細い建物は、他の広場にも同じものがあった。
おそらく、それだ。しかし、分厚い鉄の扉が本当にそうなのかまでは、私では判断がつかない。それに、人前でその扉を開けるのは、存外勇気が必要だった。
(せめて、話だけでも聞ければ……王城騎士団は、地下配水塔の見回りなんかはしないのかしら。ううん、アイメル様を利用はしたくない。仕方ないわ)
さて、どうしよう。
マナの流れをもう一度探知しようか、と大きく息を吐いていたそのときだった。
見覚えのある背の高い黒髪の少年が、顔より大きく具材のはみ出たホットサンドのパニーニを食べ歩いていた。美味しそうな匂いから、もう昼なのだと思うと同時に、その少年が義弟であることに気付いた私は、声をかけた。
「ニコ?」
「あ、姉さん。買い物?」
「そうですけれど、学校は?」
「朝の講義は終わったから、次は昼からだよ。ちょっと時間が空いてるんだ」
嬉しそうに寄ってくるニコは、私へパニーニを半分分けてくれた。私にとっては四分の一でも多すぎるくらいだと言ったら、「食べきれなかったらちょうだい。俺が食べるよ」とあっさり言ってのける。
すでに私より背の高い成長期の少年ニコと、広場の片隅でも日の当たるところに移動して、私たちは昼食にありつく。
ニコは、私へこの周辺のことを口頭で説明してくれた。
「見て、前に住んでたところ。うちは騎士の称号があるってだけの、貧乏な家だったから」
ニコが指差した先の通りは、狭く曲がっている。しかし、住宅の軒先には小さな花壇があったり、可愛らしい色合いの鉢植えが並んでいたり、老人や子ども、ご近所同士でのおしゃべりが絶えない賑やかなところだ。
決して裕福な地域ではないが、シェプハー家のように古くからの人々が住まう通りらしい。先ほどの食料品店も、代々世話になっている店のようだ。
それだけに、ニコは住み慣れた土地を懐かしむ目で、こう語る。
「引越しして学校にも通えて、お金を援助してくれた大叔父さんにも叔父さんにもすごく感謝してる。でも、いきなり何もかもを変えるっていうのは難しいよね。昼休みくらいと思って足を運んでたんだ、パニーニの美味しい店もあるし」
「ふふっ、そうですね。頑張って慣れていくほかないのでしょうけれど」
「うん。ありがたいことだからね」
他愛ない会話を続けながら、私はようやくパニーニの四分の一を食べ終えた。残りをニコに託す。
すると、ニコは三口ほどでむしゃりと食べてしまった。侮りがたし、成長期。
それはそうと、せっかく食事も終えたことだしと、私は元地元民のニコへ例の広場の細い建物について尋ねてみる。
「ニコ、あれは何でしょう?」
「どこ?」
「広場の隅にある建物です。何かあるのですか?」
「ああ、あれは地下水道への入り口だよ」
あっさりと望んだ答えが得られてしまった。
さらに、ニコは「こんなことも知ってる?」と得意げに話す。
「王都ってさ、地盤が石灰岩なんだ。その石を切り出して地上の建物に使ってきたから、数えきれないほどの空洞がびっしりあって、それを利用してあちこちに水道が通ってる。でも、何十年何百年と経つと自然と崩れたり、水で削られたりして危ないだろ? だから、毎月点検作業であの階段から地下に降りて……」
「ええと、誰が点検するのですか?」
「そりゃあ、えーと……水道管理人だっけ? ちゃんと役職があるはずだよ」
何となく知っていた無数の情報が、ニコの説明でパズルのように鮮明な絵となっていく。
王都の地下には、昔からたくさんの空洞があることは知られていた。都市伝説や怪談の格好の餌食で、数々の物語も多く作られてきたほどだ。
とはいえ、実際に地下の空洞や水道に入れる人間は限られており、王都が今の大きさになってからは石灰岩の採掘も行われなくなっている。
ならば、地下に入るには、地下水道の管理を仕事とする人間くらいとなるわけだ。地下配水塔についてほとんどの人間が知らないのも当然で、私のようにマナの不自然な流れを感知できないなら誰も興味だって持つことはなかっただろう。
そんな私の興味を察してか、ニコは大胆な提案をしてきた。
「こっそり降りてみる?」
「えっ……よろしいのですか?」
「大丈夫、今日は点検の日じゃないから。鍵も壊れてるしさ」
ニコは堂々と細い建物にある鉄の扉前に立つと、錆びたドアノブを押して開けてしまった。
簡単に開いてしまった地下への扉に、私は開いた口が塞がらない。
「……ひょっとして、前にも開けたことがあるのですか?」
「兄さんたちには内緒だよ。このあたりの子どもはみんな、やってるしさ」
そう言うと、ニコは建物の中に入っていった。私もそのあとに続き、念のため扉を閉めておいた。




