第九話
真新しいベッドで眠る前のぼんやりとしたわずかな時間、私は昔のことを思い出していた。
初めて私が自分のことを『灰色女』だと自覚したのは、王都の著名な仕立て屋に出向いたときだった。
当時はまだ幼く、妹もようやく歩き出したくらいの年齢だった。
両親の目の前で公爵家令嬢を差別するような人間こそいなかったが、仕立て屋から帰る途中、玄関と馬車の間の道路で妹がぐずりはじめ、足止めを食らっていたとき。
「うわ、『灰色女』だ」
そんな声が聞こえ、私は声のしたほうへと振り向いた。
もうよく覚えていないが、私と同年代くらいの何人かの子どもが、私を指差してそう言った。私が振り向くと、途端に彼らは逃げ出した。実際には、使用人や御者が追い払ったらしい。
私は、妹の手を引いて馬車に乗り込んだ。そして、両親に尋ねた。
「『灰色女』とは、何でしょう?」
このころから、両親の愛は私から離れていっていたような気がする。黄金に輝く髪の妹アリシアが生まれてからそちらへと興味が移ってしまい、私にはだんだんと見向きもしなくなっていった。
しかし、このころはまだ何とか、両親は私に同情してか、話くらいはしてくれていた。
「気にすることはない。お前の髪の色を揶揄しただけだ」
「ええ、気にしないで。大丈夫よ」
両親を困らせまいと、私はそれ以上突っ込んで尋ねなかった。
やがて、私は成長とともに『灰色女』という言葉の意味を知っていくが、同時に妹アリシアは聖女として期待され、輝かしい人生を約束されたためか、可愛げのないわがままを発揮していくことになる。
どうしてこうなってしまったのだろう。
私が『灰色女』だから。そうでしょう?
まるで先祖の罪科の証のごとく、灰色の髪の『灰色女』として、私は年を経るごとに嫌われ、家族からも見捨てられていったのだった。
翌朝、起き出した私はぼんやりと状況を思い出して、声に出した。
「そうだわ。ここは、シェプハー家のお屋敷……アイメル様と結婚したのよ、私」
確かめるように、何度も噛み締めるように、私は自分を取り巻く環境が変わった嬉しさに、つい微笑んでしまっていた。
私はベッドを整え、昨夜のうちにトランクから出しておいた衣服の中から長袖のベロアワンピースを選び、急いで身につける。念のため、頭髪を隠すスカーフをかぶっておいた。
ひとまず動きやすいストラップ付きのミュールを履いて、小さめのドレッサーの三面鏡で身だしなみを確認する。問題ないはずだが、何度か微調整して、ようやく部屋を出た。
起きたら食堂へ、とニコに聞いていたため、一階に下りてエントランス横にある食堂を目指す。シェプハー家の屋敷には高さのある天井や吹き抜けといった洒落た構造こそないが、階段は手に吸い付くような滑らかな手すりと一段一段が踏みやすい高さを備えており、各部屋の扉もどれほど高価な蝶番を使っているのかと思うほど開きやすい。
そういった使いやすい細部にこだわるあたり、シェプハー家やアイメル様の気質なのかもしれない。そんなことを思いながら、私は昨日も使った食堂へと足を踏み入れる。
ふと気付けば、食堂には先客がいた。
黒髪に白髪混じりの、痩せ気味の女性だ。歳は四十を超えたくらいだろうか、それでも清楚な美しさを保っている——彼女が化粧なしでも顔の造形が整っていることを見て取れた。ただ、顔色はあまりよくないし、服装は綿の簡素な寝間着のままだ。
おそらく、アイメル様の母上だろう。テーブルに置かれたオートミールの鍋から顔を上げた痩せ気味の女性は、私に気付いて微笑んだ。
「あら、お嬢さん、ひょっとしてアイメルの……」
少し弾んだ声色を向けられ、私は挨拶する。
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません、奥様。昨夜、まいりました」
「いいのよ、気にしないで。私も寝てばかりだったから、やっと起きてお料理ができるようになったの」
痩せ気味の女性——アイメル様の母上であり、私の義母となるこの屋敷の『奥様』——は、人のいい笑顔で私を迎えてくれた。
どうやら、オートミールの鍋は、彼女が作ったものらしい。私にも深皿に取り分けてくれた。
誰かと朝食をともにするのは、久しぶりだ。
痩せ気味の女性は私を隣の席に招き、たくさんおしゃべりをしてくれた。
「申し訳ないわね、こんなに慌ただしいときで。アイメルが副団長になったから、親族のみんながこの家を建ててくれたのよ。前は狭いところに住んでいて使用人なんていなかったし、厨房にいる料理人さんも本当は庭師で来てくれた人なのよ。広い家だから、私だけでは手が回らないでしょう? メイドさんを雇わなきゃいけないかしらね、って言っていたところなの」
この新しいシェプハー家の屋敷は、本当にまだ必要な使用人を雇っていないようだ。ただ、雇うにもそれなりに時間はかかる。
それまで、私は微力ながら協力しようと決めた。
「わ、私でよければ、喜んで。あまり器用ではありませんが、お手伝いいたします」
「あら、そう? ありがとう。あなたはいいところのお嬢さんだろうし、無理はしないでね」
——だろうし?
何となく、痩せ気味の女性は誤解しているような気がした。
しかし、なごやかな雰囲気を壊したくなくて、私はそのまま話を合わせることにした。
その結果、私は朝食後に人生で初めて、フリルエプロンを身につけたのだ。
よくメイドが身につけている典型的なエプロンで、素材的にはベロアワンピースと合う。すっかりメイドとなった私は、痩せ気味の女性の誤解の正体を突き止めていたが、これはこれでいいかもしれない、とわざわざ持ってきてもらったふわふわ新品のエプロンに見惚れていた。
ニコが起きてこなかったら、私たちの間にある誤解はしばらく解かれないままだっただろう。
「おはよう、母さん……って、あれ、何で姉さんがエプロンを!?」
痩せ気味の女性はやはりアイメル様の母上——つまり私のお義母様で、「えっ」とつぶやいて私のほうを見た。
「姉さん? ……え?」




