[短編版] 婚約者は元ライバル令嬢でした!?
なぜ、女だからと控えめな態度でいなければならないのか。
なぜ、女だからと家庭を持つことを強制されるのか。
なぜ、女だからと家督を継ぐことが許されないのか。
なぜ、女だからと見下されなければならないのか。
なぜ?なぜ?なぜ?
なぜ好きな人に好きと告げてはならないのか。
――――――――
鉄錆のツンとした匂いがした。
豪奢な飾り付けをした広間はその場に似つかわしくない嫌な匂いが充満している。
どこからと問わずとも匂いの原因は一目瞭然だった。
多くの貴族が固唾をのんで見つめる先の中心で横たわる女性に、とめどなく流れている血に、捨て置かれた剣に、皆が呆然とするしかなかった。
ただ一人を除いては。
「我が愛しのクリスティーナを虐げたばかりでなく、皇太子である我をも害そうとしたのだ!当然の報いだ!!」
一切の憐憫の情を持つ事なく言い放ったのは血に塗れ横たわる侯爵令嬢、メリージェンの婚約者であり、この国の皇太子アルフリードだ。
「メ…メリージェン…さ…ま。」
皇太子アルフリードの傍らに、今にも事切れそうなメリージェンを青白い顔で見つめるのは辺境伯令嬢のクリスティーナ。
「ク…ス…ティーナ……。」
違う。そんなことはしていない。
言葉を紡ごうとしたが、代わりに赤黒い血が溢れ出して話せない。
口から零れた血もそのままにメリージェンは親友であり、ライバルのクリスティーナを見た。
笑って……いる?
なぜ笑っているの?
私は……。
疑問ばかり浮かんでは煙のように消えていく。
ああ、私はこのまま死ぬのか。
意識が黒に染まっていく中、クリスティーナの弾けるような笑い声が聞こえた気がした。
――――――
ハッとして意識が戻った。
ぐらつく視界が次第に鮮明になり、絢爛豪華な広間で色鮮やかなドレスとタキシードを着た人々が談笑している。
「まぁメリルローズどうしたの?ボーっとして。」
自分の名を呼ばれて、動揺がばれないように横に立つ母に淑女らしく微笑む。
心臓が早鐘のように鳴っているが、悟られないよう小さく呼吸を整える。
いけない。今は社交界に集中しなくては。
「なんでもありませんわ。初めての舞踏会に当てられたようです。」
「はっはっはっ、初めての舞踏会で緊張しているのかな?初々しくて可愛らしい。」
快活な声で思い出した。
先ほど母の知人であるロングフォール公爵家当主のエドモンド様から、御子息のクリス様を紹介された時に前世を思い出してしまった。
だから周りからは急に呆けたように感じられたに違いない。このままではいけないと公爵の前に出る。
「公爵様、先ほどは失礼いたしました。ご尊顔を拝し光栄に存じます。私はランズベル伯爵家の末娘、メリルローズ・ランズベルと申します。母よりご紹介いただきました、この機会をありがたく思い、どうぞお見知りおきいただければ幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。」
前世での記憶をフル活用して見事な口上とカーテシーを披露する。これで少しは誤魔化せただろうか?
「ほう……初めての社交界とは思えない見事な立ち振る舞いだ。これは近い将来社交界の華と呼ばれるのも時間の問題かもしれん。なあクリス。」
「はい、父上。」
そう言われて公爵の傍に佇むの麗人に目を向ける。
無表情で、甘いマスクを覆い隠すかのように鋭利な美貌を持つの麗人。きっと彼を見た女性は一人残らず魅了されてしまうに違いない。
クリスの深い青の瞳がメリルローズを捉えた瞬間、彼女の胸がざわついた。
どこかで…この瞳に見つめられた記憶がある。
鈴のような笑い声、白雪のような肌、クリスティーナの面影が脳裏をよぎる。
まさか、そんな筈はない。きっと前世を思い出したせいだわ。
そんな事を考えていたら、公爵令息はこちらに全く興味がないとでも言うように目を背けられた。
……この人、少し感じが悪い。
「あら、でもこの子ったら、さっきまで初めての舞踏会に大はしゃぎしていたんですのよ。きっと御子息のクリス様に見惚れてしまったんでしょう。ほら、今も少し見惚れているようですわ。」
フフフと母が意地悪そうな顔で公爵様に話す。
「お母様!」
「くっはっはっ、そう自分の娘を虐めてやるな。ダリアは昔から変わらないな!」
「もうっ、母は昔からこうなんです! ……先ほど昔からと言われましたが、学園時代からの?」
「ん?ああ、そうだ。君の両親であるダリアとロイドは学生時代からの友人でね。ダリアがよくいたずらをしては私と君の父親がフォローに回ったものさ。」
「そんなことが……。」
「んまあ!昔の黒歴史は話さないでくださいな。今では立派な淑女ですのよ。」
えっへんと母が胸を張るが、おどけたように公爵様は肩をすくめた。
お母様、昔からそうだったのね……。
「まあ、これでもダリアは昔モテていてね。かくいう私も彼女に惚れていたんだが、物の見事に玉砕して彼女の隣に添える栄誉を勝ち取ったのが君の父ロイドだったわけだ。」
ジロリと公爵様を睨む母をスルーして話を続ける。
「そんなことがあったのですね。」
「だからこそ!」
ここぞとばかりにズズイッと公爵様の顔が近付いてきた。
近い。近すぎる。お母様も笑ってないで助けてください!
「うちの息子と君が結婚すれば!!私が真の勝者になれる!!どうかな?ん?我が息子の婚約者に……ど「父上、冗談が過ぎますよ。」
興奮しきったように話す公爵様をピシャリとクリス様が言葉を遮った。
「それに……私にはもう好きな人がいます。」
そう冷たく言い放ったクリス様は、他の方へも挨拶しなくてはと、ごねる公爵様を引き摺るように去っていった。
あんな冷たそうな方でも好きな人がいるのね。
暴風が過ぎ去ったような展開に、呆気に囚われそうになった私だったが、自分達もこれから挨拶回りをしなくてはいけないことを思い出して、考えるのを中断した。
先に仕事の関係者との挨拶回りをしていた父と合流して、あらかたの自己紹介が終わった時にはパーティーは中盤に差し掛かりダンスパートに入った。
私は父にエスコートされながらダンスを踊る。
「メリィ。いつの間にこんなにダンスが上手くなったんだい!?」
「あら、昔から得意でしてよ?」
フフンと得意気に話す。今世ではマナーとかダンスは苦手だったけど、今の私は前世の記憶がある。
多少感覚を取り戻すのに手こずったけれど、感覚を取り戻した今、私に不可能はありませんわ!!
「これはこれは。話し方もそうだしダンスも……昔社交界の華と言われたレディー・ジェンを思い出すよ。しまった、これは禁句だった!」
「え?」
突然、前世の自分の呼び名を聞かされて、思わず立ち止まってしまう。
その瞬間。
ガシャンッ
ガラスの割れる音がして、音がする方を向いた。
「メ、メリージェン……。」
一際煌びやかな装いの金髪の男性が、自身が落とした割れたグラスなど気にも止めずこちらを凝視していた。
ズキン
あれ……?
ズキン
あの人に、見覚えが……。
激しい痛みが脳内を駆け巡る。
ぐらりと揺れる視界の中で誰かが駆け寄ってくるのが見えたが、次の瞬間には視界が真っ暗になった。
――――――
前世の夢を見た。
私は前世では侯爵令嬢として産まれ、遡れば建国時代からある名家で、皇太子の婚約者候補に選ばれるほど権力を持っていた。
両親は大変な野心家だったせいか、私を皇太子に嫁がせることにしか興味なく、幼い頃からただの一度も抱きしめられたことはなかった。
私は遊ぶことを禁止され、マナー講習や勉強に明け暮れる日々。
全ては両親に褒められたいから。そんな純粋な気持ちで厳しい授業にも食らいついていた。
そんな純粋な気持ちも1年…また1年と歳を重ねるうちに消えていった。
テストでどんなに良い点数をとっても、マナーの講師に褒められたことを伝えても、さも当然として扱い、もっと頑張れとしか言わない両親。
私は感情を、心を動かすのをやめた。
心をさえなければ悲しく思うことはない。
心さえなければ寂しく思うことはない。
次第に表情は硬く、心を閉ざしていったが、皮肉なことに社交界での評判は高まっていった。
皇太子からは不気味と言われてしまったが、両親や両陛下からは褒められた。
ああ…やっぱり私の考えは間違ってなかった。
そう思っていた頃、彼女に出会った。
初の婚約者候補同士の顔合わせの日。
「貴女がベズネア侯爵家のメリージェン様ですね!私はキャンベル伯爵家の長女クリスティーナ・キャンベルと申します。」
そうにこやかにカーテシーをして挨拶してきたのは同じく皇太子の婚約者候補のクリスティーナ・キャンベルだった。
白雪のように透き通った肌、アクアマリンを溶かしたような大きな瞳、薔薇の花弁を思わせる唇。
(こんな美しい人がいたなんて…。)
私はライバルであるはずの彼女に一目で魅了されてしまった。
彼女と仲良くなりたいと家族からの愛を諦めた日以来、初めて心が揺さぶられる。
動揺を隠しつつ挨拶を返したけれど、動きがぎこちなく感じられてカアっと顔が熱くなった。
「ふふ…。淑女の鑑と謳われるベズネア侯爵令嬢がこんなに可愛らしい方だなんて知りませんでした。」
コロコロと鈴を転がすような声に増々動揺してしまう。
「メ、メリージェンと呼んでくださってもよろしくてわよ?」
噛んでしまった!!恥ずかしすぎる!!
「ぷっ……あっはっはっは!」
淑女らしからぬ弾けた笑い声と共に涙目になったクリスティーナ。
この出来事をきっかけに、私とクリスティーナは気の置けない関係になった。
「メリィさんや、テーブルにあるイチジクのタルトを取ってもらえまいか。」
「クリスティーナ!またソファで寝そべりながらお菓子を食べて!!喉に詰まっても知りませんわよ!!」
「はいはい、メリィは堅いなぁ。今は部屋に2人だけしかいないんだからちょっとくらいハメを外してもよろしいんじゃございませんこと?」
やれやれといった感じでクリスティーナは私を見ながら嫌味を言ってきた。
「2人だからこそ言っているのですわ!」
「ほ〜?女なんだからきちんとしなさいってこと?」
「女だからとか関係ありませんわ!多少ならハメを外しても良いと私も思いますわよ?公式の場ではきちんとしているのですし…けれど私の親友が喉にお菓子を詰まらせて死んだなんてことになったら笑えませんわ!」
「…じゃあ、単純に心配して忠告してくれたってこと?」
「それ以外に意味なんかありませんわよ。」
「…………。」
クリスティーナがいつもとは違う真剣な眼差しを向けてくる。
全てを見透かすような青い海のような瞳。
まるで私の心を曝け出しているようで、恥ずかしくて赤くなった顔を反らす。
「あら〜?顔が赤いよ?照れちゃって…メリィは本当に可愛いんだから〜。」
「なんですの!?人が真面目に心配しているのに馬鹿にして!!もう知りませんわ!!」
そう言って私が怒ると、クリスティーナが後ろからごめんごめんと謝りながら抱きしめてくる。そこで私が仕方ありませんわねと、わざとらしく溜息をついてクリスティーナを許す。
これが私とクリスティーナのお決まりのやりとりになっていた。
その日は穏やかな陽気で絶好のお茶会日和だった。
そよぐ風は清々しく、とある理由から逆立った私の気持ちを少しだけ慰めてくれた。
「メリージェン。お前はもっとクリスティーナのように愛想良くしたらどうだ。」
カチャンとティーカップを置く耳障りな音が庭園に響く。
どうやら愛しの婚約者様は不快感すら隠さないようだ。
「アルフリード殿下、そう言われましても私は妃教育を受けている身ですわ。全ての者に表情を出していては足元をすくわれます。」
言外に貴方も特別扱いしないと宣言した。
「ちっ、可愛げのない女だ。お前のような爵位と財力だけで婚約者候補に選ばれた奴が偉そうに。父上と母上の許しさえあれば、すぐにクリスティーナが正式な婚約者として選ばれていたものを!」
昨今の皇室は端的に言って財政難であり、皇室の権威は極めて低い。
そこで、皇帝はこの財政難と権威復活の為に、潤沢な資産を持ち、建国からの名家である貴族派のベズネア家を取り込み、貴族派をも抱き込もうとしているのだ。
「アルフリード殿下。この婚約は政略的な部分が多いのです。好きだ嫌いだではどうにもなりませんわ。」
「ふん。お前とのこうした茶会も体裁上にすぎん。自分だけ会うのは申し訳ないと心優しいクリスティーナが言ったからに他ならない。」
「クリスティーナが?」
「そうだ。クリスティーナは狡賢いベズネア家お前達と違って正々堂々と競い、私の愛を勝ち取ろうとしているのだ。なんといじらしい事だ。」
(このバカは好きな人を褒める時には誰かを貶さなければ褒められないの!?)
あまりの言い様に頭に血が上る。
「殿下のお気持ちは分かりましたわ。ですが、そう簡単に王命に逆らうことはできません。」
むしろ両親の命令や王命さえなければとっくに辞退していたわ。
「このっ、女狐め!そうまでして権力にしがみつくか!」
「……話は終わったようですので、私は失礼させていただきますわ。ごきげんよう。」
これ以上の会話は無意味だと判断して足早にその場を後にする。
こんな所に1秒だっていたくないわ!
憤慨しながらも王宮の人間に悟られぬように優雅に歩く。王宮ではどんなことが命取りになるのか分からないからだ。
そんな帰り道でクリスティーナに偶然会った。
察しがついて溜息が溢れる。
普通は同じ婚約者候補として平等に接するよう、それぞれ別の日に会うのが筋だ。
それなのに同じ日に、しかも先約を早々に帰すということは宮中で働く者たちに言外に私、ひいてはベズネア家を軽んじていると宣言していることに他ならない。
いくら野心家の我が家でも、ここまであからさまに軽んじられたと父に知られれば、破談どころかまた国内で紛争が起きてもおかしくはない。
だからこそ両陛下は争いの種にならぬよう私とクリスティーナを平等に接しろと皇太子に王命が出されたのだ。
(その王命で下された契約をこんなにも軽んじているとは。)
どんなに皇太子が、どんなにクリスティーナを愛していようとも王命は絶対である。
だからこそ愛は無くとも私にも誠意を見せるべきなのに。
「あら、メリージェン様ご機嫌よう。」
こちらに気がついたクリスティーナが優雅に微笑み軽く会釈する。
一瞬、気軽に返事を返そうとした自分を恥じた。
曲がりなりにもお互いに皇太子の婚約者候補でいわばライバルの私達が気軽に交流していては、あらぬ誤解や争いを生む。自分の詰めの甘さに呆れるしかない。
その点、クリスティーナは誰にも隙を見せない完璧な立ち振る舞いをする。さすがと言うべきか、私と2人でいる時に見せるくだけた姿はおくびにも出さない。
以前本人から聞いた話によると、私より後に皇妃候補の勉強を始めたみたいなのに、私よりもずっと先を学んでいるらしい。おまけに皇太子との仲も良好。
上級貴族であり、同じ婚約者候補から見ても申し分ない才女。同じ婚約者候補なのになぜこうも違うのか。
もやもやとした気持ちになる。
本音を言うならば、あんなやつの婚約者候補をさっさと辞退して、重苦しい生活から解放されたいと思う。
……思うが、そんなことはあの両親は許さないだろう。
そんなことを考えていたら返事をするのが遅れて訝しんでいるクリスティーナ。
いけない、しっかりしなければ。
「ええ…。ご機嫌よう。」
「メリージェン様?もしかしてどこかお体が悪いのでは?顔色がよろしくありません。」
「お気になさらないで。それより皇太子様が貴女をお待ちのようよ。」
本心を隠しスッとクリスティーナの横を通りすぎようとした時、
「お待ちになって、メリージェン様。」
「はいメリィ、紅茶よ。」
「……ありがたくいただきますわ。それよりも、アルフリード殿下とのお茶会はよろしかったんですの?」
あの後、クリスティーナは様子がおかしい私を気遣って皇太子とのお茶会をキャンセルしてまでキャンベル家に招待してくれたのだ。
「アルフには、私が体調が悪くなったと言ってお茶会をキャンセルして来たよ。それよりメリィ、なにかあった?アルフにまたなにか言われたの?」
「…………いつもの事ですわ。」
ざわめく気持ちを頭の隅に追いやるが、気分は晴れない。
手に持つティーカップの中の紅茶には憂鬱そうな顔が浮かんでいる。
「……メリィ。こっちを見て。」
クリスティーナに促され顔を上げた。
「言いたくないならそれでいい。でもこれだけは聞かせて?アルフを……皇太子を愛してるの?」
「愛……はありませんわね。物心つく前から婚約者候補として過ごしてきたけれど、小さい頃から皇太子はああでしたので。」
私は物心がつく前から厳しい教育を施され、皇妃になるのが当然かのように扱われてきた。
1つ1つとノルマをこなす毎日。
まずありえないが、例え皇太子から好かれていたとしても、皇妃になるのはノルマの1つにすぎない。
「ではなぜ悲しそうなの?」
「悲しそう?私がですか?」
「うん。すごく悲しそう。こう言ってはなんだけど…まるで見捨てられた子供みたいに見える。」
子供……悲しみ……。
突然の言葉に戸惑いながらも思考を巡らせてみる。
私がまだ小さかった頃、両親は仕事に茶会にと忙しそうにしていて、とても寂しかった。遊んでほしかった。話を聞いてほしかった。
だから小さい頃の私はこの言葉をよく呟いていた。
「愛してほしい……。」
呟いた瞬間、しまったと思った。
これでは私が皇太子に愛してほしいと誤解されてしまう!
「ち、違うのクリスティーナ!今のは「メリィは皇妃になれたら幸せになれる?」
食い気味に言葉を遮られて、思わず固まる。
「ね、どうなの。」
急にどうしたのかと思ったけど、誤解を解くのは後にしてクリスティーナの質問に答えることにした。
「え?ええ。皇妃になるのが私の目標ですもの。」
両親が言っていた。私は皇妃になることが幸せだと。
だからこそ血の滲むような努力をしてきたのだ。
「そう…。それがメリィの意思なんだね。分かった。」
どこか思い詰めた表情でクリスティーナは言った。
それから―――――
「それからどうしたのかしら…。」
目を覚ました私は見知らぬ場所にいた。どうやらあの後私は倒れて、この見知らぬ部屋で寝かされていたらしい。
人を呼びに行こうと立ち上がったところで、ドアが開く音がした。
ドアが開くやいなや、音の主は足早に私の前に立ち止まる。
「メリルローズ嬢、大丈夫ですか!?ああ、まだ立ち上がらないで。こちらに腰をかけて。」
「ええ、ありがとうございます。それよりも貴方は。」
この人は誰だ。
「私ですか?私はクリス・ロングフォールと申します。お気軽にクリスとお呼びください。」
いや、知っている。知っているけども。
「どこか痛いところは?喉は渇いていませんか?」
「大丈夫です。あの…公爵令息様。ここはどこなのでしょう?」
「メリルローズ嬢、クリスと。」
「ええっと、こ……クリス様。」
名を呼ぶと社交界での態度が嘘のように、クリス様は甘い笑みを浮かべる。
この変わりようはなに!?
「先ほどの問いですが、ここは我が公爵家の客室です。王宮から一番近かったので貴女のご両親に無理を言って運ばせていただきました。最初は私の寝室に運ぼうと思ったのですが…周りから止められましてね。今しばらくはこの部屋で辛抱してくださいね。ああ、今医師を呼びますね。少々お待ちを。」
「あ、はい。」
……クリス様流のジョークかしら?
――――――
「はい、体には異常はないようです。」
医師が聴診器を外し、こちらを安心させるようににっこりと微笑んだ。
「本当に体に異常はないのか?しっかり確認したのか?」
「ええ、クリス坊ちゃん。心配せんでも、安静にしていればすぐによくなりますよ。そうですな、頭をぶつけたということがないのでしたら、心因性のものでしょう。おそらく初めての社交で緊張したせいかもしれませんな。」
「なら「クリス。話が進まんからお前は少し黙ってなさい。」
「ですが!!」
医師だけでなく、自分の父親にまで食い下がるクリス様。倒れた当の本人を置いてけぼりに、言い合いは続いた。
彼ってこんな人だったっけ?
彼に初めて会ったのは、今日の社交界で親しい間柄なわけではない。それなのにここまで心配してくれるのが不思議で仕方がなかった。
挨拶の時は素っ気なくて冷たい人に思えたけれど、本当は情に厚い人なのだろうか?
そんな事を考えていたら、知らせを受けた両親が駆け込んで来た。
「メリィが目を覚ましたと知らせを受けまして…!ああ、メリィ。体は?どこか痛いところは?」
「お母様、私は大丈夫ですわ。少し疲れが溜まったせいみたいです。」
「初めての場で緊張しすぎてしまったんだね。気づいてあげられなくて、すまない。」
「お父様、心配をかけてすみません。」
「……ところで、エドモンド。それからクリスくん。うちの娘が世話になったね。本当にありがとう。特にクリスくんは娘が倒れた瞬間に支えてくれて助かったよ。」
あの時気を失った私を助けてくださったのはクリス様だったのね!少し疑問が残るけれど、私が公爵家に運ばれた理由が少し分かったわ。
「いえ、お義父さん。当然のことをしたまでです。」
ん? お義父さん? どういうこと?
「……聞き間違いかな?僕は君のお父さんではないよ。」
ああ、言い間違えたのねと少しホッとした。
が、
「いえ、将来私のお義父さんになるんですから間違えてはいないですよ。お義父さん。」
「「「「………………。」」」」
長い沈黙の後、全員がギギギッと音が出ててるかのようにこちらに顔を向けてきた。
いやいやいや、私は知りませんよ!!?
こちらも誤解されたらたまらないので、必死に手振りで知らないとクリス様以外の全員に訴えた。
「ゴホンッ、クリス。お前は今日の夜会で好きな人がいると言ってなかったか?」
公爵様の言葉にウンウンと頷く。
そうです!そうです!クリス様は、はっきりと言っていました!!
「彼女です。」
「は? 」
「私の好きな人は、彼女です。」
「「「「 はぁ? 」」」」
両親・私・公爵様、今4人の気持ちが1つに重なった。
部屋に響いた四重奏、はぁ?の言葉じゃなければ素晴らしい歌になっていたに違いない。って違う、そうじゃない。冷静にならないと。
「失礼ですが、クリス様。私達は会うのが今日が初めてですよね?」
息を落ち着かせながら、はっきりと伝える。
「いえ、メリルローズ嬢は覚えておられないと思いますが、実は昔に会ったことがあるのです。」
私達が会ったことがある?幼い頃だろうか?
両親と公爵の方に顔を向けるが3人とも知らないと激しく左右に首を振るばかり。
これはいったいどういうことなの?と混乱しているとクリス様がさらに追い打ちをかけてきた。
「突然ですが、メリルローズ嬢。私と婚約していただきたい。」
いや、ほんとに突然ですね!!?貴方、ほんとにクリス様ですか!?
現実逃避から戻ってきてすぐの爆弾発言に、淑女らしからぬ、ぽかん顔を晒してしまう。いや、このカオスな状況の中、突っ込まなかっただけでも褒めてほしい。
「いや、でも……その……。」
「メリルローズ嬢……。どうか…はい、と。」
目の前で跪き、懇願するように上目遣いで告白する彼。
か、顔がいい……。
ゴクリと唾を飲み込んだ。
もう頭が正常に動いていなかったのか、私が出した言葉は。
「…………はい。」
あの後、父は絶対に婚約は認めないからな!っと泣き喚くし、母は玉の輿!?と目を輝かせるし、公爵様は初恋の人と親戚関係に!と騒いで後から事情を知った公爵夫人からこっぴどく叱られるというハプニングがありながらも、めでたく私達は婚約した。
そんな慌ただしい日々が過ぎたある日、婚約者同士で幾度目かのお茶会をしていた時のこと。
暖かい小春日和、彼のプラチナブロンドの髪がサラサラとそよ風に揺れる。顔にかかる髪を無造作に掻き上げる姿に思わずホゥ…っと息が漏れる。
不意に目が合えば、深い海のような瞳に凍てつくような冷たさがあるのに、時折焼けつくような熱を瞳の奥に感じて胸がときめく。
最初は冷たい人だと思っていた彼は、付き合っていくうちに、実はとても愛情深い人なんだと知った。
キリッとした美丈夫なのに、私といる時には甘いところを惜しげもなくみせる姿。
デートの際には人気のカフェを貸し切りにしたり、パーティーにお呼ばれした際は常に傍に寄り添ってエスコートしてくれる。
この前なんて、クリス様に好意を寄せる令嬢から嫌がらせを受けていたところに颯爽と現れて助けてくださった。
こんな素敵な方と婚約できるなんて、前世での不運が嘘のように思えてしまう。っていけない、もう前世のことなんて忘れたほうがいいわ!
過去なんて忘れて、今世こそ幸せを勝ち取ってみせるのよ、メリルローズ!!と自分を鼓舞する。
「最近君に会いに来ることができなくて申し訳ありませんでした。近頃また辺境の方にある領地でナルニ……トラブルがありまして、問題解決の為に赴いていたのです。」
「まぁ、それは大変ですわ。今は、その問題は解決したのですか?」
「ええ。うちの領地に近い領地を持つ隻腕伯が、私が到着する前に解決してくださったようで助かりました。」
「え、かの有名な物語にもなった隻腕の騎士様ですか!?クリス様があの方とお知り合いなんて、羨ましいですわ!!」
「へぇ……メリルローズは隻腕の騎士に興味があるのかな?」
「ええ!昔から憧れてましたの!!彼の武勇が記された書籍はほぼ買いましたし、彼が男爵から伯爵に陞爵される式典にも参加しました。無駄のない筋肉質な肉体から繰り出される剣技はそれは見事なのでしょうね!本当に憧れますわ!なにより夫人とのロマン「ちょっと待ってメリルローズ。」
「はい?」
私の止まらないトークに飽きたのか、面白くなさそうに聞いていたクリス様の顔が真剣な表情に変わる。
「おかしいな。伯爵が陞爵されたのは20年も前の出来事なんだけどな。メリルローズはまだ産まれてないはずなのになぜ参加しているんだい?」
彼の青い瞳がメリルローズを捉え、まるで魂の奥まで見透かすようだった。
「ほら、あれですわ!両親が参加していたのを言い間違えただけです。」
「それなら、ますますおかしい。あの式典は、ある事情により皇族と限られた皇位貴族しか出られなかった。伯爵の位では出られないはずはないよ。」
ある事情とは宗教に関わる問題だ。
前世で財政難に苦しむ皇族は、国教であるナルニア教の教皇から脅迫めいた提案を受けた。
それは、国の借金を肩代わりする代わりに、皇位継承の証であり聖遺物でもある「奇跡の聖剣フランダル」を教会に差し出すこと。
この提案は、国の実権を教会に渡せと迫るに等しいものだった。
皇帝の力が弱まっていたのをいいことに、教皇は半ば強引にこの要求を押し付けてきた。当然、皇帝は提案を拒否。
しかし、これをきっかけに、ナルニア教の信者による暴動が各地で発生した。
大義名分は、強欲な皇族から国を取り戻す。そんな甘い言葉に暴動は激しさを増していき紛争へと発展する。
そんな争いを制圧したのが、東西南北4ヵ所にある辺境の地を統べるベズネア・ロングフォールを含む4公貴族とそれに仕えていた隻腕の騎士様なのだが、国教であるナルニア教の信徒がクーデターを起こしたなどと広まれば、国内に留まらず諸外国にまで波紋を呼ぶ。
その事を恐れた皇帝は、式典に参加した極一部の貴族には戒厳令を、国民達には隠れ異教徒の制圧に成功したと発表した。
そんな事情があり、今世の私が知っているのはありえないことだった。
「やっぱり君だったんだ。」
「え?」
「やっぱり、君だったんだね。メリージェン。」
今、彼はなんと?
メリルローズの手からティーカップが滑り落ち、ソーサーにカチャンと音を立てた。
「何…? 今、なんて…?」
彼女の声は震え、胸の奥で前世の記憶が渦を巻いた。
血の匂い、アルフリードの嘲笑、そしてクリスティーナの笑い声、あの裏切りの瞬間が。
クリスは唇を噛み、言葉を絞り出した。
「やっぱり…君はメリージェンだ。私の…メリィ。」
彼の声は掠れ、まるで長年の重荷を下ろすようだった。
「私だよ、メリルローズ。クリスティーナだ。」
あの親しげな呼び方、話し方、クリスティーナの声と重なる。
「い……。」
「い?」
「いやぁぁあああ!!!! 」
「メリィ!?大丈夫かい!?」
メリルローズの視界が揺れた。喉が締め付けられ、怒りと混乱が胸を焼き尽くす。
「貴女…! よくも私の前に現れられたわね!」
彼女は立ち上がり、テーブルを叩いた。声が震え、涙が頬を伝う。
「あの時…貴女は私を裏切った! アルフリードと共謀して、私を殺したのよ!」
クリスは目を伏せ、静かに首を振った。
「違う、メリィ。君を裏切ったんじゃない。前世で、私は君を守ろうとした。アルフリードの策略に気づいた時、君を救おうとしたけど…遅かった。」
「はぁ?救う!?じゃあどうしてあの時、私を見ながら笑っていたのかしら!?」
「ち、違うんだって。私もその話をしたくて……。」
「私の意識が無くなる前、貴女は笑ってましたわ!!きっと今までも陰で皇太子と笑ってたんでしょうね!傑作だわ!!」
「誤解なんだ!頼むから話を聞いて!」
「もう黙って!!前世では騙されたけれど、今世では騙されませんわ!この婚約は破棄させていただきます!!」
「っ…………。それだけはダメだ。許さない。」
「貴方の意思なんて関係ありませんわ!とにかくこの婚約は破棄よ!!」
「ダメだ。ダメだダメだ。絶対に、婚約破棄はしない。……やっとなんだ、やっと……君に会えたのに。」
泣そうな声で話すクリス。一瞬昔のクリスティーナの顔が重なって見えた。仲が良かった、あの頃のクリスティーナを。
だけど私の決断は変わらない。
泣きたいのはこっちの方だ。
今世こそ幸せになれると思ってたのに。
目元が潤みそうになり、なんとか耐える。
「とにかく、婚約破棄は決定事項です。私は絶対貴方と結婚しないわ。」
お客様がお帰りよ、とメイドに伝えて固まるクリス様…いえクリスをおいて屋敷に戻る。
早く両親に婚約破棄をしてもらえるよう、伝えなければ。
――――――
「やはり婚約破棄できないのですか?」
「メリィ。婚約破棄には父さんも大いに賛成なんだよ?だがねぇ…、相手が公爵家で、しかも婚約を発表した後だ。それに話を聞く限りこちらから破棄できるような問題もない、百歩譲って解消するにしても何か解消に至る要素がないといけないからね……。」
う〜んと難しい顔で唸る父が書斎の椅子に腰掛ける。
先ほどクリスに向けて勢いにまかせて婚約破棄を突きつけたは良いが、よくよく冷静に考えてみれば無謀極まりないことだった。
いくら両親が公爵家当主と友人だからとはいえ、相手は公爵家の人間であり体裁がある。目下の伯爵家から婚約破棄ないし婚約解消は通常ありえないこと。
しかも、表面上は相手に瑕疵はないのだから当然認められない。
私としては、前世で自分を殺した共謀犯との結婚なんて冗談じゃない。とは思ってはいるが、両親に説明できるはずもない。
そんな事をすれば精神病院に通うことになるのは確実だ。
「全くこの子ったら。つい先ほどまで仲が良かったのに、なにかあったの?」
「…………。」
「じゃあ、クリス君はなんと言っているんだい?」
「……嫌だ、と。」
「なら仲は悪い訳ではないんだね?」
「…………。」
「ふぅ……。なにがあったかは知らないが、もう一度クリス君と話し合いなさい。婚約破棄はできない。いいね?」
父からの問いを上手く答える術がない、こんなことだから皇太子とクリスティーナに騙されるのだ。
そう思い、自分の迂闊さにほぞを噛んだ。
「まぁ、クリスくんに瑕疵がなかったらの話だ。なに、あれだけの美男子なんだ。なにかしら薄暗いところがあるかも……ね?」
「 !!!」
父から思いもしない助け舟が出されて顔を上げる。
そうだわ!前世であれだけのことをしたんだもの。きっと今世でもなにかしら悪どいことをしているに違いないわ!!それを見つけだして今度は私が断罪してやるのよ!!(とは言っても血が流れるようなことは嫌だけど。)
「お父様!私決めましたわ!見事弱点を見つけて断罪してやりますわ!」
「ああ、その粋だ!父さんは応援しているぞ!ただ、周りに気づかれないように慎重にね。来週にある建国祭の時も悟られぬようクリス君とは仲良さげに接しなさい。」
「分かりましたわ!」
父からアドバイスをもらうと、来た時と打って変わって部屋から飛び出していく。
「おやおや、やっと淑女らしく落ち着いてきたかと思ってたんだけど、まだまだレディー・ジェンには程遠いかな。」
「レディー・ジェン、久々に聞いた名だわ。でもあの方は確か……。って、それよりもロイド。あんな事言って大丈夫なの?メリィは本気みたいよ。」
「なぁに、心配は要らないさ。マリッジブルーみたいなもんさ。すぐに仲直りするよ。」
「だといいのだけれど。」
「それに、婚約解消になろうが、伯爵家が廃れようが僕は賛成だけどね!可愛いメリィはまだ嫁がせたくない!!」
「あなた……それが本音ですか。」
やれやれとダリアは呆れるしかなかった。
――――――
次の日、クリスが大量の花束を持って我が家に現れた。
とても神妙な顔をしてこちらの様子を伺っている姿に少し苛立ちを覚えた。
昔から彼女……いや彼は、私が怒るとああやって畏まった態度を見せるのだ。
それが過去の裏切りを思い起こさせると知っていてやっているのだろうか?
いけない、メリィ。彼の弱点を見つけるまでは仲の良いふりをするのよ。
そう自分を叱咤して無理矢理に笑顔を見せた。
「クリス様、ようこそおいでくださいました。」
「あの、メリィ。昨日の事だけど……。」
「ああ、あの事ですか?すみません、私ったら昨日は動揺してしまって。もう過去の出来事ですもの、気にしていませんわ。」
「本当に?」
「ええ、本当に。」
気にしてないと言った私を、訝しんだ様子でこちらを見ていたクリスがホッと胸を撫で下ろした。
「良かった……。本当は早くカミングアウトするべきだったんだ。でもメリィが本当にメリージェンなのか確証が持てなくて伝えるのが遅れてしまったんだ。」
「この話はもうやめましょう。もう過去の話ですから。」
……今私の顔って引き攣ってないわよね?
「分かった。君がそこまで言うのなら、もうこの話はしないよ。でも1つだけお願いをさせてほしい。建国祭の時は常に私の傍にいてほしい。」
「ええ。分かりました。」
感情の籠もらない声で彼に答えた。
きっと彼がクリスティーナの生まれ変わりだと知らなければ、純粋に喜べただろう。
けれどクリスティーナだと知った今は、どんなに甘い言葉や気遣いをされても裏に何か思惑があるような気がしてならない。
「では、来週迎えに来るよ。」と伝えた彼は帰っていく。
パタンと扉が閉まると同時に息を吐く。
来週…建国祭で彼目当ての令嬢達が彼を取り囲むに違いない。
私はそれを利用して、彼の妻になる自信がないと婚約解消を公爵様に乞おう。
彼らは高位貴族だ。私より条件の良い女性がいたら、そちらが良いに決まってる。
――――――
建国祭の当日、この日のランズベル家はとても慌ただしかった。
日が明ける前に起き、メイド達にコルセットをきつく締められ、パニエによってふっくらとした足回りのシルエットが完成したら、メイドが今日はやけに張り切ってドレスを持ってくると他のメイド達と一緒に感嘆の声を上げた。
「お嬢様ご覧ください!!婚約者様から贈られた見事なドレスを!!色鮮やかなマリンブルーのドレスに銀の刺繍、それにドレスに縫い付けられたダイヤの数々……!!私めは持っているだけで手が震えます!」
「ええ。たしかに。」
「それだけではありませんよ、お嬢様。」
フフンっと別のメイドが誇らしげにジュエリーボックスを開けた。
「見てください、この大粒のアレキサンドライトのネックレスを!
公爵令息様の瞳と同じ深い青緑です!お嬢様に自分の色を贈られるなんてとても愛されているのですね……!!きゃ〜!!!」
あまりにキャイキャイ色めき立つものだから、準備がなかなか進まない。
「貴女達、話は後!今はお嬢様の仕度が最優先です!!」
ピシャリとメイド長に叱られたメイド達は、いそいそと準備に戻る。
なんと返せばいいのか分からなかったから助かった……。
先ほどのメイド達にドレスを着せてもらい、髪を輝くほど綺麗に磨かれ、編み込まれた横髪に白い薔薇を挿す。
ほんのりと化粧を施されて、ネックレスを身に着けると、さらにメイド達が騒がしくなった。
なに?おかしいところでもあったのかしら?
落ち着かない様子のメイドが全身鏡の前に私を立たせる。と……。
「綺麗……。」
流れるように横に編まれた髪に咲き誇る大輪の白薔薇。
大ぶりながらも主役以上には主張せず、それどころか身に着ける者を引き立たせてくれる意匠を凝らしたネックレス。
鮮やかなグラデーションが際立ち、所々に散りばめられたダイヤがまるで波打ち際のように煌めく、マリンブルーのドレス。
どれをとっても、文句の付けようがないほどに私に似合っていた。
「貴女達……ありがとう。」
感動をそのままにメイド達に礼を伝える。
「いえ、私どもは全て公爵令息様の指示の元、作業しただけですから。」
「クリス様が?」
やっぱり、公爵令息様はお嬢様を愛してらっしゃるんだわ!!とはしゃぐメイド達をそのままに、両親の元に向かう。
「お父様、お母様。」
「まあ!!メリィ。とても素敵だわ!やっぱりクリス様の審美眼は素晴らしいわ!ねぇ、貴方!」
「ああ、こりゃ……驚いた。正直コーディネートのことは良く分からないが、すごくメリィを愛しているのが分かるよ。これは認めてもいいかもなぁ。」
「お父様、約束が違います!!!」
「ああ、分かってるよ。でもクリス君と婚約解消し得る証拠は見つけたのかい?」
「それは…これからですわ!それにまだ、あの話をしてから1週間しか経っていません!」
「メリィ。もう婚姻まで後1年を切る。今はただ、不安に駆られて進むべき道が分からなくなっているだけだ。ちゃんとクリス君を見てあげなさい。」
「…お父様。」
「メリィ、お母様もお父様の意見に賛成よ。私達が見ている限り彼は悪い人ではないと思うわ。貴女の意思は尊重するけれど、よく考えてみなさい。」
コンコンというノックと共にメイドが公爵令息の来訪を告げると、話は一旦保留になった。
玄関まで出迎えに行くとそこには、深いブルーを基調としたジャケットを身に纏ったクリス様がいた。
いつもの美しくも柔らかな印象とは違い、今日は服装のせいか一段と凛々しく見えた。
「クリス様、お待たせしました。」
「ああ、メリィ…。その、とても綺麗だ。」
見た目に伴わず、顔を赤らめながらポツポツ話すクリスの可愛らしい1面を垣間見て、思わず吹き出してしまう。
「ぷっ、クリス様のおかげです。素敵なドレスとネックレスをありがとうございます。」
「気に入ってくれたようで何よりだよ。さぁ、マイレディー。馬車までご案内します。」
クリスに手を引かれ馬車に乗り込む。
途中、クリスが話し掛けてきたけれど、聡い彼にバレてはまずいと緊張していると嘘をついて窓の外だけを眺めていた。
しばらくして車輪の軋む音が止み、馬のいななきが夜の静寂に響く。
今宵行われる建国祭のパーティー会場に着いたようだ。
メリルローズは、ドレスの裾を整えて、緊張感のある車内から降りると胸を撫で下ろした。
彼女は昔から察しが良い。もう少し沈黙が続いていたら気づかれてしまう。
「メリィ、まだ緊張してるのかい?大丈夫、私が傍にいるからね。」
その言葉に、メリルローズの胸がちくりと痛んだ。前世のクリスティーナも、同じように優しく笑った。
あの笑顔が裏切りだったと知るまでは。
私は笑みを貼り付け、クリスの手を握り返した。
「ええ、もちろんですわ。離れませんわよ」
会場は煌びやかな貴族たちで溢れ、中央の神殿には聖剣フランダルが厳かに安置されていた。
剣の柄に刻まれた女神ナルニアの紋章が、燭台の光を受けて神秘的に輝く。
その時、メリルローズは剣に目を奪われ、なぜか胸が締め付けられるような感覚に襲われた。
「メリィ、大丈夫?」
クリスの声に、彼女はハッと我に返る。
「ええ、ただ…剣が美しいな、と。」
彼女はごまかしたが、頭の奥で何かが疼く。
まだ何かを忘れているような。
「剣…か。君らしいね。前世でも公にはなっていないものの、有名だったからね。レディー・ジェン。」
「久しぶりに聞きましたわ、私の前世の呼び名。さらに付け加えるなら『ミスターレディー・ジェン』かしら?」
前世の私は男勝りな性格で、皇太子の婚約者に選ばれるまで、そうして揶揄われたものだ。
前世の記憶。
血の匂い。
クリスティーナの笑顔。
そして、剣の光。
その時、会場に低い轟音が響き、神殿の扉が勢いよく開いた。
黒装束の集団が剣を手に乱入し、叫び声が上がる。
「聖剣を我々に! 腐敗した皇室に裁きを!」
メリルローズの心臓が早鐘を打った。
ズキンッ
アルフリードに向かう刃。
ズキンッ
聖剣を手に取る私。
前世の……記憶?
ハッと我に返ると、黒装束の輩は聖剣の傍にいる私達に刃を向けていた。
クリスが私を庇うように前に立ち、傍に飾られていた聖剣を抜く。
「なぜ…いつもこうなの?」
彼女の脳裏に、前世の記憶がよぎる。
侯爵令嬢として、皇太子アルフリードに「女だから控えめであれ」と言われ、両親にすら「淑女らしく振る舞え」と諭された日々。
どんなに努力しても、女性であるがゆえに見下され、選択の自由を奪われたあの人生。
そして今、クリス、かつてのクリスティーナに守られるこの状況が、彼女を過去の無力感に引き戻していた。
「メリィ、動かないで! 私が何とかする!」
クリスが剣を握り、襲撃者に向かおうとする。その背中に、メリルローズは鋭く叫んだ。
「いい加減にして、クリス! 私を置いて戦うつもり? また『女だから』って守られるだけなの!?」
クリスが振り返り、驚いたように目を瞬く。
「メリィ、危ないんだ! 君は――」
「危ないからって、私には関係ないわ!」
メリルローズはドレスの裾を握り締め、声を張り上げた。
「前世でも今世でも、いつも同じ! 女だから黙ってろ、女だから従え、女だから家に入れ! 女だから剣も握れないし、家督も継げない!女だから女だからと…もううんざりなのよ! !私は自分で戦うわ!」
彼女の言葉に、クリスは一瞬言葉を失った。それと同時にクリスから聖剣を奪い取る。
襲撃者の一人が彼女達に近づいてくる。
メリルローズの視線が剣に引き寄せられる。
剣の刃が月光のように輝き、まるで彼女を呼んでいるかのようだった。
頭の奥で、謎の声が囁く。
「汝の心を試す時だ、メリルローズ。運命に抗うか、従うか」
「従うですって? とんでもない!!死ぬまで抗ってやるわ!」
謎の声の問いかけにメリルローズは決意を固め、クリスの制止を振り切って飛び出した。
彼女は躊躇いもせず、ドレスの裾を大胆に裂いて動きやすくした。
貴族の令嬢らしからぬ行動に、逃げ遅れた貴族たちが目を丸くする。
「ランズベル嬢! 何をする気だ! 女が剣を、ましてや聖剣を持つなど言語道断!」
近くにいた老貴族が叫ぶ。
「黙りなさい!」
メリルローズは睨みつけ、聖剣を構えた。
「女だから剣を持てない? 女だから戦えない? そんな決まり、誰が作ったの? 決めるのは私よ!」
その瞬間、聖剣フランダルが突如として光を放ち、会場全体を白い輝きで満たした。
メリルローズの胸が熱くなり、前世の記憶が鮮明に蘇る。
前世でも聖剣の主に選ばれたメリルローズ。
それに嫉妬したアルフリードの凶刃から彼女を守ろうとしていたクリスティーナの姿。
メリルローズは、クリスがかつての親友と同じ光を瞳に宿していることに気づき、動揺する。
クリスティーナは私を守ろうとしていた?
その動揺を恐怖によるものだと勘違いした黒装束の男が嘲るように笑う。
「女が聖剣だと? 笑わせるな! 貴様のような者に扱えるはずがない!」
その言葉が、メリルローズの心に火を点けた。
「その言葉、そっくりそのまま貴方達にお返しするわ!」
その瞬間、地を滑るように黒装束の男の懐に深く入り込むと鍔の部分で首の横筋を殴打した。
たまらず蹲る男を横目に刺客達がぞろぞろとメリルローズを取り囲んだ。
「メリィ、無茶だ!」
クリスが叫ぶ。
だが、メリルローズは彼を制した。
「クリス、これは私の戦いよ! 貴方に守られるためにここに立ってるんじゃない!」
まるで彼女の決意に応えるように聖剣フランダルが再び光を放ち、刃が弧を描きながら敵を切り裂いた。
メリルローズは、前世で誰にもバレぬようにと学んだ剣術の基礎を思い出し、襲撃者の動きをかわす。
メリルローズは戦いの最中、敵の動きを予測し、固唾を呑んで見守っていた衛兵に指示を飛ばす。
「中央の階段を塞いで! 柱の陰に隠れてる敵を左側から!」
彼女の的確な指揮に、衛兵たちは驚きながらも従った。
メリルローズの活躍により黒装束の集団が次々と拘束され、会場内の雰囲気が穏やかなものへと変わっていく中、その空気を破り捨てるように金髪の男性が叫んだ。
「ランズベル嬢、なんという無作法だ! 女が剣を持ち、戦うなど、貴族の恥だ!もっと淑女らしく振る舞えないのか!」
他の貴族たちも囁き合う。
「女が聖剣を握るなんて…」
「ランズベル家の名が落ちるぞ」
周りがヒソヒソと囁く中、メリルローズは剣を下ろし、金髪の男を見た。
ああ、前世を思い出した今。彼が誰だか分かる。
メリルローズは毅然とした態度で彼に言う。
「恥? 淑女らしく?貴方たちが逃げ惑う中、私が聖剣を守ったのよ。女だから戦えない? そんな決まりは、私には関係ないわ。私はメリルローズとして戦った。だからこそ聖剣は奪われず、貴方たちは怪我1つ無くいられた。それを忘れないで!」
彼女の言葉に、貴族たちは言葉を失い、沈黙した。
それと同時に金髪の男も顔を赤らめて踵を返して去っていった。
「メリィ……君は本当に強い。」
クリスがそっと近づき、彼女の肩に手を置く。
彼の声には、かつてのクリスティーナの温かさが宿っていた。
メリルローズは彼を睨んだが、瞳にはわずかな揺らぎがあった。
「まだ貴方を許したわけじゃないわ。でも…あの時、貴方が私を守ろうとしたのは本当なの?」
クリスは目を伏せ、静かに答えた。
「前世で、私は君を守れなかった。アルフリードの策略に気づいた時、君を救おうとしたけど…遅かった。あの笑い声は、君を失った悲しみから……。あの瞬間に全てがどうでもよくなってしまったんだ、メリィ。」
苦悶の表情で話すクリスに、胸が締め付けられた。
聖剣の光が、彼女に前世の断片を見せる。
クリスティーナがアルフリードの剣を止めようと立ちはだかるが間に合わず、涙を零す姿。
呆然と立ち尽くし、壊れたように笑った瞬間。
メリルローズは唇を噛み締めた。
「…話は聞くわ。でも、信じるかどうかは私が決める。分かった?」
クリスは小さく頷き、微笑んだ。
「それでいい。君が自分で選ぶなら、私は受け入れる。」
メリルローズは深く息を吐き、聖剣を握る手に力を込めた。
彼女は感じていた。この剣が、彼女達の運命を変えた事を。
「クリス、黒装束の集団の目的は? 聖剣を奪って何をする気?」
彼女の声は、初めて対等なパートナーとしてクリスに問いかけるものだった。
クリスは真剣な目で答えた。
「黒装束の集団はナルニア教の過激派集団だ。聖剣の力は『選ばれし者』を作り、その望みを叶え、この国を良くしていく為のモノだ。恐らく、彼らは聖剣の力で国の転覆を狙っているんだと思う。前世でアルフリードを唆したのも奴らだ。僕が知ってるのはここまでだ。でも…君となら、真実を突き止められる。だから婚約破棄はしないでほしい。」
やっぱり聡い彼は分かっていたんだ。私が未だに婚約破棄をしようと考えているのを。
メリルローズは一瞬迷ったが、聖剣の光を見つめ、決意を新たにした。
「なら、やってみせるわ。私の運命は、私が決める。今世では貴方やナルニア教、凝り固まった思想に縛られるつもりはないわ。……それでも付いてきてくれる?」
「ああ。ああ、勿論だ!それでこそ私の愛したメリィだ。」
聖剣フランダルの光が、二人を優しく照らす。
メリルローズは、自分の道を切り開く第一歩を踏み出したことを確信していた。