虎頭蛇尾
突如、青いような白いような光が瞬く。
アストラなんたらと静かに唱えた言葉が上級魔法の類であることは、この場ではアルルカンしか知らない。
「眩し……!」
突如もたらされるあまりの眩しさに、目を開けていることすら叶わず、誰もが手やら服やらで顔を覆った。
「はい、お疲れ様でした」
例外はただひとり、ミザリーである。
光が終わるよりも前に、淡々とした口調で問うた。
「容態はいかがですか」
「…おかげさまで、すっかりよくなりました」
返ってきたのは彼女よりいくらか低い声。
どこか潜められた物言いは感情が故か。
魔道士に助けられる日が来るなど想像もしていなかった、とその震えが動揺を語っている。
「それなら何よりです。手錠も外さなければなりませんね」
言い終わると同時に、ガコッ、と重たい音が鳴る。
ようやく外された鉛の類は総数六にも及んだ。
「重かったでしょう」
「いえ、鍛えてますので」
「確かに、ずいぶん立派な身体ですものね」
言いつつ、ミザリーはそっといとおしむように傷口に触れた。
「ふうん」
そのまま、何かを確認するように手を滑らせた。
感覚を研ぎ澄ますためか、視線は全て己の指先へと向いている。
「…なるほど、やっぱりそうでしたか」
細長い指が何度も這い、いよいよくすぐったくなりそうなタイミングで彼女はようやく手を離した。
表情は何故か恍惚に満ち溢れている。
「完全に治ったようで何よりです」
「ええと、ありがとうございました…?」
「いいえ、上官として責任は果たさなければならないものです。そうでしょう?」
「…ええ、まあ」
「ふふ、あなたならそう答えてくれると思っていました」
わけも分からず勝手に満足されては、相手側が抱く感情も畏怖のみである。
命の恩人など知ったことかと、ミザリーから一歩大きく引き距離を取った。
「おい大丈夫か、怪我は!?」
そしてひとり分空いた隙間を詰めるように、ケーザーが即座に割って入る。
今度はごつごつとたくましい指が腕へと触れた。
「うん、大丈夫。痛むところもないよ」
「そうか、よかった……」
怪我の有無とともに安否を確認すると、ケーザーはほうっと長いため息を吐いた。
心配の度合いがその長さで分かる。
「ありがとう。助けてくれて」
聞こえるか聞こえないかぐらいの声で呟かれたお礼に、ケーザーはばつが悪そうに目を伏せた。
「いや、感謝されるのは俺じゃない」
「どうして?僕は相手を間違えるくらい目が悪いとは思っていないのに」
「どうしてって…」
「いいから素直に受け取ってよ。僕に悪いと思うならさ」
言いつつ、にっと悪戯っぽく笑われては反論のしようもないだろう。
結局、ケーザーは相手の言葉を静かに飲み込む他なかった。
その顔に後悔こそあれど、不満はない。
「行くか」
「うん」
もちろん経緯はどうあれ、何はともあれ事態は終息したと言っていいだろう。
あとは未だ囚われの少女を解放してやるだけだ、と目的を同じにしたふたりは、互いに手と手を取り合いさあ歩き出そうと一歩目を踏み出す。
「君、大丈…」
「星命:水虎」
しかし、その足が大地を踏みしめるより先に、彼らの目的は見事に潰されることとなる。
「───え?」
誰もが目を疑った。
ガラス細工のような、澄んだ虎を模した何かが、瞬きを一回する前に少女の全てをまるごと飲み込んだ。
透明な身体の奥底に、震え怯える顔が映る。
「たす、助けたすけて、死にたくない死ぬ怖い嫌だいやだいやだ」
虎は悲鳴すらも味わうようにゆっくりと口を閉じる。
意思でもあるのか、じれったいほどの速度は捕食への愉悦をも思わせた。
「いやああああああぁぁあああぁぁぁあぁぁぁあぁああぁぁあぁぁぁああぁッ!!!!」
鼓膜を破り捨てたくなるような叫び声が聞こえなくなると同時に、あたりには雄大な水が広がった。
その流れは、ひとりの命だったものを表すかのようにどこまでも静かに続いた。
「なんで……!?」
絶え間なくとめどなく。
掴める距離にいたはずの姿は、今や手のひらからこぼれて落ちていくのみ。
もはや存在していたかすら怪しいほどに跡形もない。
「何、さっきの」
「え、女の子は!?さっきまでいたのに」
「虎に食われて…で、死んだのか…?」
「こんなのむ、無理だ、みんな逃げろぉっ!」
あまりにも突然であり、衝撃だった。
だからこそ覚える恐怖は、人間をいとも容易く煽る。
一気にパニックに陥った人々は、お互いの足を踏みながら一目散に逃げた。
誰も彼もが己の命のため、なりふりなど構うことはない。
「……どうして、」
そうしてぽかんと不自然に残された空間に、四つの影が残る。
おかげで声の震えすらよく響いた。
「あの子はどこに」
ようやく吐き捨てた言葉は答えなど求めてはいなかったのに、返事は返ってきた。
今最も聞きたくない内容を、ひどく優しい声とともに。
「人間の身体は大半が水ですから、還してさしあげたまでです」
「還す?なんのために、あの子は何もしていない」
「いいえ?先程お伝えしたはずでしょう、責任は果たさなければならないと」
「一体どんな責任が伴ったっ、て──」
「あらあら、お気づきになりました?」
一瞬言い淀んでしまったのは、思い当たる節があったからだろう。
それは、ふたりが今この場に存在する理由と相違なく同じであった。
「あなた方がアルルカンに処罰を望んだように、責務に背いたものにも同じ罰を与えなくては公平ではないでしょう?」
などと言う人間の表情に、悪びれるという文字はまるでない。
実際間違ってはいなかった。
王の命令は絶対、という古来から使い回されてきたルールに反したものの末路は、皆変わることなく死んだ。
例外があっていいはずはない。
「ッ!!」
だが、到底理解などできるわけがないと飛び出た拳は、飲み込めない感情をも表していた。
相反する理性との狭間にある確かな殺意のやり場は、他でもない青へと向き続ける。
「やめろ」
あと数センチで手が届く、まさにすんでのところで距離を埋めたのは同じく手であり、大きさだけが違っていた。
爪まで強く握り締められた手のひらをそっと包む温もりは、あまりにあたたかいものだろう。
「お前がこんな奴のために手を汚す必要はない」
そのあたたかさが、今も残る冷えた水との対比を思わせる。
「ケー、ザー」
精一杯の心でなんとか呟かれた名前の主は、またも優しい笑みを返した。
笑顔がいつも通りすぎて忘れそうになるが、彼だって同じ光景を見たはずだ。
なのに何故笑っていられるのだろうか。
「だから俺がやるよ」
答えは他でもない。
彼は誰よりも早く腹を括っていただけのことだ。
召集命令を突きつけられた時から死ぬと決めた今までずっと、彼の感情は怒りの中にある。




