朽ちた都市に咲く華
早朝から出発してから夕方頃まで歩き続け、ついに彼らは森を抜けた。開けた丘の上に辿り着くとそこからは大都市エルダーナの城下町を一望できた。煉瓦造りの建物は皆崩れ、きちんと整備されていただろう道に倒れている。焼け焦げた跡に美しい華々と新たに宿った自然の草木が交わる街に、夕日が落ちて真っ赤に染まる様はまるで燃えているようだ。エルダーナは隣国から戦を扇動されていたが、それには応じなかったとパンを分けてくれた宿屋で聞いていた。だがそれでも戦火に焼かれてしまったのか、或いは別の原因か、そこまでは聞くことが出来なかった。
「城も、きっと立派だったんだろうな。」
落城したエルダーナの城は大きく、街を守るように建てられていた。だがその城も、偉大であった影を残しつつ、既に朽ち果ててしまっている。もはや、かつての栄光はこの場所には見られないらしい。
「これが大都市エルダーナか……。俺達の住んでたド田舎でもその名前は聞いたことある位だったのに……。あんまり気にしたこと無かったけど、華は咲き続けるんだな。」
セオドアは街に咲く華を見て、かつてここで暮らしていた人々の生活を想った。きっと、沢山の人が行き交い豊かな日々を送っていたのだろう。自分たちとは異なる生活をおくる人々は何を思って生きていたのだろうか。ヨハンネスはその景色を見てからずっと考えごとをしている。どうかしたのかとセオドアは尋ねた。
「突然……だとしてもこの巨大な都市を滅ぼして誰も知らないって……まさか人の力とは思えないよなって。」
「なら、やっぱりここにも精霊が居たってことか。」
「だっておかしいだろ、戦争なら今頃そのなんとかって国が領土にしてるはずだ。」
エルダーナはその奇妙さからどの国も今日まで領土に手を出していない。エルダーナは亡国となったその日のまま、自然に還ろうとしていた。
「でもこの場所にウィンディーネの時みたいな重苦しい気配はない。だから、今ここに精霊はいないはずなんだ。精霊の力だとしたら、なんのために……。」
「ウィンディーネだって、俺達を襲ったのに特に意味はなかっただろ。精霊なんて、そんなもんなんだよ。」
ヨハンネスは散々考えていた割にはすぐに結論を出した。
「分からない事だらけだな……。」
「何言ってんだ、それを知るために村出てきたんだろ。全部分かってたって、そんなんじゃつまんねぇよ。」
ヨハンネスはそう言って、セオドアの背を叩いた。少しよろけながらも、彼の笑顔に励まされる。一方ヘレーナはその景色に心を打たれ、言葉を失っていた。死華はその者を表す言葉を持つ華が咲く。まれに、死ぬ間際に強い気持ちを抱くとその感情が華になるのだった。草花に詳しい彼女は、彼らがどんな思いで華になってしまったのかと思うと見ていられず、目線を逸らした。しかしその先にもまだ小さな木にアンランジュが咲いている。風が吹くこともないのに揺れているその小さな木に咲く華も、きっとこの街に住む誰かだったのだろう。セオドアはヘレーナの心情に気づき、彼女に寄り添った。
「誰にも覚えていてもらえないなんて、寂しいよな……。」
「そうだね……。あのアンランジュの華の子、きっと大好きな人がいたのね。」
ヘレーナはその華弁を撫で、微笑んで見せた。
「それでも、まだ生きている人もいるみたいだし、ほらあの商人が言ってた人、副長って……。顔は見たことないらしいけど、この辺りでは有名人だったみたいだからその人にもし会えたら、何か分かるかもしれないな。」
セオドアは励ますようにヘレーナに言うと、ヘレーナは名前も聞いて来れば良かったと言って笑って見せた。
「ま、何にせよ、ここで得られる情報は何もなさそうだ。先に進もうぜ。どうする?エルダーナ以外だと大きい都市はルカコスか?」
ヨハンネスがそう話をまとめ、次の目的地を示した。ルカコスはエルダーナから南東にある都市であり、大陸の古今東西から商人が集まる港街だ。観光客も多く、人の集まる場所には情報が集まる。そこまで行けば、また何か得られるかもしれないとセオドアも同意した。
「ルカコスまではここでやっと半分くらいだな。今日は十分進んだし、とりあえず丘を下ろう。あのどこかで屋根を借りて、今晩はそこで野宿しようか。」
街に降り、今晩の屋根を探す。これ以上崩壊しなさそうな場所を見つけ、そこに落ちていた枝を集めて火を起こした。セオドアは宿屋で貰った硬いパンの上に故郷から持ってきたチーズを乗せて焚火にかける。ヘレーナも湯を沸かし、鞄から取り出した沢山の小瓶からハーブをいくつか取り出して湯の中へ投入すると、乾燥した葉が水を吸って舞っている。
【本日の夕食】
~黒パンのチーズトースト~
酸味の強い硬いパンの上にまろやかなチーズを乗せて、焚火で焼き上げた一品
~特性ハーブティー~
ヘレーナが旅の道中で集めたハーブの適当……オリジナルブレンドのお茶
「ほら、できたよ。」
セオドアはチーズがちょうどよく溶けて焦げ目のついた所で二人にトーストを渡した。ヘレーナもマグカップにお茶を注ぎ、セオドアとヨハンネスに手渡していく。
「なんでうさぎの一匹も獲らなかったんだろうな。」
パンを食いちぎりながらヨハンネスがぼやく。豊かな森をぬけてきたにも関わらず、誰も仕事をしなかったおかげで今晩の食糧を取り損ねた代償は大きい。
「鳥でもいたらすぐ取れるんだけどな。」
空を見渡しても、この時間では何も飛んでいない。コウモリが横切った気がするが、さすがにコウモリを食べる気にはなれなかった。全員のため息が重なり、焚火が燃えるパチパチという音だけが響いてる。
「明日は肉が食えると良いな。」
「そうだな。」
ヨハンネスの静かな返答が質素な食事をより質素にする。その後はもうさっさと寝てしまおうと早めに寝付いた。獣が現れるかもしれないが、故郷で鍛えたセオドアとヨハンネスの獲物に対する嗅覚は例え夢の中でご馳走にありついていたとしても、目の前に現れた本物の食料を即座に仕留めている。その間の記憶はなく、獣の多い森の中ではよく朝目覚めて見ると彼らの獲物の山が出来ていた。ヘレーナの魔法で結界を張ることは出来なくもないが、この場合二人の嗅覚の方が精度は高いため、全て任せていた。結局、朝になっても昨晩は全く襲われなかったらしい。この場所に生き物の気配がないわけではない。むしろ、姿は見えないが野党の類の人はいる。獣もきっと住み着いているのだろうが、この場所はあまりに静かすぎた。
「もう行こうか。」
生き物がいたとしても、きっとこの場所がその音を失くしているのだろう。こんなこともあるのかと軽い気持ちで思ったが、もしこれが精霊の力によるものならば、故郷もこうなっていたかもしれない。そう思うと、えも言われぬ気持ちになった。悲しいわけでも、怖いわけでもない。別に故郷がそれほど大切というわけでもない。自分の気持ちに名前を付けるには言葉は少なすぎた。