(2-3)
クローレが洗髪している間に、キージェは薪を拾い集めて火をおこした。
十年の冒険者人生でまともに身についたのは、【着火】の技だけだ。
湿った枝にも火をつけられるとはいえ、少年冒険者が最初に習う程度の技だ。
本当の魔法は、燃やす物がなくても炎を発射できる【火炎放射】なんかであって、Aランクのエクバルならそれだけでオーガを倒せるだろう。
単なる【着火】など、自慢にもならない技だ。
だが、それでも今は役に立つ。
空は晴れているが、風に吹かれていると体を冷やしてしまう。
髪を洗い終えたクローレも、岸辺に転がっていた背嚢を肩に掛けて火に当たりにやってきた。
「あったかいね」
どうやら機嫌は直ったらしい。
「クローレはどこを拠点にしてるんだ?」
「べつにないよ。旅から旅へ、毎日が旅ね」
屈託のない笑顔を見せる女に、キージェは違和感を抱いていた。
「家とか、決まった宿とかは?」
「だからないってば。いつも野宿」
そんなはずはない。
若い女一人、しかも、人のことは言えないがFランク失格寸前の腕前で野宿は危険すぎる。
ある意味、魔物やモンスターよりも人間の男どもの方が恐ろしい存在になる。
「どうやって生きてきたんだ?」
「べつに普通だよ。クエストして、報酬をもらって、それだけ」
「危険な目にあったりしなかったのか」
「そりゃまあ、さっきみたいにゴブリンを倒そうとして逆襲されたりはしょっちゅうだけど」
「そうじゃなくて」と、キージェは言葉を濁した。「たとえば、その、山賊だっていただろう」
「まあね、でも、逃げればいいだけでしょ」
キージェは呆れていた。
クローレは美人で男の欲望をそそる体型をしている。
男ですら一人で生きていくのが難しい世界で、こんなに無防備な女が生きてこられたなんて奇跡そのものだ。
「本当に嫌な目にあったことはないのか」
目をのぞき込むようにしてたずねても、クローレの表情に嘘やごまかしの色はなかった。
「うん、ないけど。さっきから、なんで?」
「恋人がいるのか?」
「はあ?」と、眉間に皺が寄る。「ずっと一人ですけど、悪い?」
いや、悪くない。
だが、ますます分からない。
「あたしのことばっかり聞いてるけど、あんたはどうなのよ?」
「人に聞かせられるような武勇伝はないな」
実際、顔は悪くないものの、ギルドの職員にすら軽く見られる底辺冒険者など街の娘たちに相手にされるはずがなかった。
「じゃあ、べつにいいじゃない」
キージェに関してはそうだが、クローレについては話が違う。
考えても違和感をぬぐえないうちに、服が乾いていた。
「なあ、もう一つだけ聞かせてくれ」
「何よ」
「出身は?」
「知らない」と、クローレはかぶせ気味に吐き捨てた。「あたし、記憶がないの。子供の頃の」
言葉が見つからずにキージェは黙り込むしかなかった。
「気がついたら冒険者だったの。ていうか、冒険者になってから、それまでの記憶を失ったのかな。自分でもよく分からないのよね」
「戦いで頭を打ったとか?」
「さあ、分かんない」
本当に何も知らないのか、言いたくないのか、キージェには分からなかった。
重苦しい雰囲気を振り払うように、手をはたきながらクローレが立ち上がる。
「暗くなる前にギルドに行ってクエスト報告しておかなくちゃ」
「従者として俺もついていっていいのか」
「もちろん」と、クローレが手を差し出した。「べつに股を広げてお願いしてくれなくても歓迎するよ」
意外と根に持つらしい。
「それにね」と、クローレが片目をつむる。「あたし、エンブルグに行ったことあるから、道もだいたい分かるし」
それはなんとも心強い話だ。
「さっきは失礼なことを言って済まなかった」
キージェが素直に頭を下げると、クローレは腕組みをしながら胸を反らした。
「素直でよろしい」
偉そうだが、ご機嫌を損ねることもない。
あらためて握手を交わすと、キージェはクローレと一緒に近くの村に向かって歩き始めた。
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