(1-4)
案内された老人の住まいは狭い路地裏の半地下にあった。
かがまないと入れない穴蔵のような部屋は真っ暗で湿っぽく、カビの臭いが充満していた。
「すまんのう。助かったわい」
雨戸の隙間からこぼれてくる月明かりを頼りになんとか湿ったベッドまで運んで横たえてやると、老人はキージェに礼を言った。
「いえ、こちらこそ。すごい魔法で助けてもらって」
「なあに、体は動かんし、腕もすっかり衰えておるよ」
老人は子供のような笑顔を見せてベッド脇の引き出しを指さした。
「それを開けてくれんか」
言われるままにすると、中には深紅の宝石が入っていた。
「それを持ってみなされ」
取り上げて掌にのせると、ずっしりとした重みを感じる。
と、宝石がうっすらと光を放ち始めた。
暗い部屋の壁から天井へと光が拡散し、ほんのりと温かみまで感じられる。
「ルンドバルの魔宝石じゃよ」
「じゃあ、ダンジョンの話は本当だったのですか」
「まあ、ここにあるのは地図ではなく、魔宝石じゃがな」
先ほどの魔法といい、この魔宝石といい、本物としか言いようがなかった。
ということは、エクバルが言っていた、仲間を裏切って一人で逃げたという噂も本当なのだろうか。
キージェの表情から察したのか、老人がさびしそうにつぶやいた。
「そう言われても仕方のない結果だった。それ以上は何を言っても言い訳にしかならんじゃろうな。あの太っちょが言ってたように、墓場まで持っていくつもりじゃった」
老人は深くため息をつくと、唇を震わせながら話を変えた。
「おまえさん、キージェと言ったか」
「はい、そうです」
「父親はザールじゃな」
キージェは驚いて低い天井に頭をぶつけそうになった。
「な、なぜそれを?」
「ザールは昔、わしらの仲間だったんじゃよ」
「そんなはずは」
Fランクの父はパーティーに加わる資格はないし、ルンドバルのダンジョン探索までおこなうような上級者と組むこともありえない。
足手まといどころか、そんなメンバーを連れていたら命取りだ。
「父は一生Fランクで、惨めな死に方をしたと聞きました」
「まあ、それは本当の話だ」と、横たわったワレジス老人は胸に手をのせて話を続けた。「ザールは勇者だったが、呪いをかけられた。それで苦しみもがき、最後は誇りを取り戻すことなく死んだのじゃよ」
――誇り?
「ザールはノイトフェンの騎士、オスハルト家の跡継ぎだった」
「まさか」と、キージェは思わず噴き出してしまった。「それはないでしょう」
つねに貧しく、あげくに捨てられた身で、信じることなどできなかった。
「ノイトフェンの王家に反逆の罪を背負わされたザールは呪いをかけられ、追放されたんじゃよ」
「反逆の罪とは?」
「ザールは王女と恋仲だったそうだ。だが、王女は他国へ嫁ぐことが決まり、二人の関係は絶たれた。ザールは国を去る決意をしたんだが、姫が後を追って駆け落ちしてしまったんじゃよ」
そんなおとぎ話を素直に聞いているほどキージェも純粋ではなかった。
「いったい、何の話ですか」
「信じられんのも無理はない。だがな」と、老人は初めて笑みを見せた。「ザールはSランクの勇者だった」
――父がSランク?
「かつてノイトフェンを襲った魔族を撃退したのもザールだった。だが、王家は面目を潰されたことを恨み、魔術師と組んで救国の英雄に呪いをかけた。勇者は能力を封じられ、Fランクに墜ち、王女も連れ戻されてしまったのじゃ。そのときに、すでに生まれていたのがおぬしじゃ」
「ご冗談でしょう。母も死んだと聞きました」
「いや、生きておる」と、老人はかぶせ気味に答えた。「幸せかどうかは分からないがな」
沈黙が漂う。
魔宝石の光が弱まったような気がした。
「おまえさん、自分がなぜFランクなのか、考えたことはなかったのか?」
「ええ、まあ、いくら頑張っても経験値が上がりませんでしたけど」
ふふっと息を漏らすように笑うと、老人は体を起こそうとした。
キージェが背中に手を回して座らせてやると、水を求めたので水差しからコップに注いで渡してやった。
「ふつうはそこで何か変だと考えるもんじゃが、親譲りの律儀な性格が災いしたのかのう。呪いはおまえさんにも受け継がれておるのじゃよ」
「そんな」
「呪いを解かぬうちは、いくら努力を重ねてもレベルが上がることはない」
「いったい、私はどうしたらいいんですか」
「呪いをかけた魔術師と対決せねばならぬが、そもそもFランクのおぬしが闘って勝てる相手ではない」
ならばなすすべはないではないか。
自虐的な笑みが浮かんでしまう。
「私はすでに冒険者資格も失っています。Fランク以下ですよ」
老人は口を押さえてくぐもった咳をすると、キージェの掌で光る魔宝石を指した。
「北の国エンブルグへ行け。そこにゲンリックという冒険者がいる。その男にそれを見せるといい」
エンブルグはベルガメントの北方にある同盟国だが、騎士でもないキージェは雪の積もる道を自分の足で歩くしかなく、最低でも一ヶ月はかかる距離だ。
しかも道中、仕事をしてお金を稼がなければ食べることもできないから、たどり着くには半年はかかるだろうか。
「わしはもう長くない。だが、ゲンリックはザールと同年代の冒険者だ。詳しい話を聞くといい」
そして、ワレジス老人はキージェの手を魔宝石と一緒に握った。
「わしも、おまえさんの父と同様に、名誉の回復がいかに困難なものかと苦しんできた。結局、わしに残ったのも、もうこの石ころくらいのもんじゃ。どんな冒険者も、死ぬ時は無に帰すのみ。だが、やっと安らげる」
手の中で魔宝石が熱を帯びる。
老人は静かに目を閉じた。
「おまえさんのいいところは、人の役に立とうとするところだ。それを忘れるでないぞ」
不意に、魔宝石の熱が消えた。
と、次の瞬間、老人の影が薄くなった。
「ワレジスさん!」
呼びかけたときにはすでに姿は見えなくなっていた。
湿ったベッドのシーツにはまだかすかにぬくもりが残っている。
キージェはそこに自分の体を横たえて天井を見上げた。
――名誉の回復。
父と老人、そして俺と。
冒険者が決して失ってはいけないものを取り戻す。
冷え切った男の胸に火がともった。
すっかり暗くなった街から酒場のざわめきが聞こえてくる。
キージェは老人のために祈りを唱えると、明日からの旅に備えて眠りにつくのだった。
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