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 大聖堂の鐘が鳴る。


 見上げると、夕暮れの色を反射して尖塔の屋根が輝いていた。


 鳴り響く鐘を聞いて家路につく人々の流れから外れてキージェは聖堂前のベンチに腰掛けた。


 漂ってきた夕飯の香りに鼻をくすぐられて、リンゴをかじろうとした時だった。


 うめき声のような何かが聞こえた気がした。


 あたりを見回しても犬もいない。


 だが、たしかに聞こえる。


 ベンチの裏をのぞき込むと、そこに栄養失調の子供みたいに小柄な老人がうつ伏せで倒れていた。


「おい、爺さん、どうした?」


 裏へ回って声を掛けると、体を震わせながら老人がしわくちゃな顔を横に向けた。


「転んでしまってな。起き上がれなくなっての」


「大丈夫か」と、キージェは体の下に手を入れて仰向けにしてやった。


「すまんのう」


「立てるか?」


 老人は自分で起き上がろうとしているのだが、どうも体が思うようにならないらしい。


 キージェは膝で支えながら老人を抱き起こすと、とりあえずベンチに座らせた。


「助かりましたぞ、お若いの。なんとお礼を申し上げて良いやら」


「いや、まあ、そんなことはいいさ。それより、家はどこだ?」


「聖堂の裏なんじゃが」


「なら、俺が背負っていってやるよ」


「すまぬのう」


 老人の前に背を向けてしゃがんだ時だった。


「よう。キージェじゃねえか」


 名前を呼ばれて顔を上げると、教会を背に太った男と仲間たちが立って、こちらを見下ろしていた。


 Aランク冒険者のエクバルはベルガメントの街では有名なパーティーのリーダーだ。


 キージェと同じ孤児院出身でギルドの同期だが、あっという間に頭角を現していくつものクエストをこなしてきた実力者だ。


 最初のころは友人として扱ってくれていたものの、いつまでもレベルの上がらないキージェに愛想を尽かしてからは見下した態度を取るようになっていたのだった。


 エクバルの背後に立っていた大男が仲間を押しのけて毛深い人差し指を突きつける。


「こいつ、ギルドを首になったってよ」


 肩幅が異様に広い大男はガリマルといい、格闘系の能力に関しては実力者揃いのエクバルのパーティーでも一番のメンバーで、肉食ゴブリンを木の上に投げ飛ばすほどの怪力が自慢だ。


「三回連続Fランククエスト失敗なんて、冒険者の恥さらしだぜ」


「だから武器も持ってないのか」と、エクバルが鼻で笑う。「情けねえ野郎だ。そんなおいぼれなんか放っておいて、さっさと失せな」


「なぜだ?」と、キージェは立ち上がって連中と向かい合った。「このご老人は歩けないんだ。家まで連れていってやらないと」


「いいんだよ」と、ガリマルがキージェの肩を小突く。「おまえ、邪魔なんだよ」


 かろうじて踏みとどまったキージェとの間合いを詰めてエクバルがにらみつけた。


「そいつはな、元冒険者のワレジスってジジイだ」


「もう昔のことじゃよ」と、ベンチにもたれて喘ぎながら老人がつぶやく。


「ああ、そうだ。だがな」と、エクバルは老人の隣に腰を下ろした。「持ち物に用があるんだ。あんた、ルンドバルのダンジョンマップを持っているそうじゃないか」


 ルンドバルはベルガメント東方の未踏破ダンジョンだ。


 数百年前に発見されて以来、数知れぬ勇者が挑んで帰らぬ人となった難攻不落の魔窟として恐れられている。


 複雑な構造に何重ものトラップが行く手を阻むと言われ、マップは存在しないとされてきたはずだった。


「おまえたちの狙いはそれか」と、キージェは連中を見回した。「こんなに弱った老人から奪い取るつもりか」


「おいおい、人聞きの悪いことを言うなよ」と、エクバルが太い脚を組みながら老人の肩に腕を回す。「ただでよこせなんて言わないさ。金ならいくらでもあるんだ。言い値で引き取ろうってわけさ」


「そんなものはない」と、老人がかすれた声を絞り出す。


「値段をつり上げたいって言うのも分からなくもねえが、どうせ先は長くないんだ。適当なところで手を打っておいた方がいいんじゃねえのか。俺たちなら、マップを有効活用できるんだ」


「なあ、エクバル」と、キージェは割って入った。「未踏破ダンジョンなのにマップがあるのはおかしいだろ」


「気安く話しかけるなよ」と、格上の旧友は追い払うように手を振った。「この爺さんはな、途中まで入ったことがあるんだよ。パーティーで生きて帰ったのはこいつ一人だったそうだがな」


 そして、エクバルは老人の鼻先に指を突きつけた。


「あんたは仲間を裏切って逃げた。だから一人だけ生きて帰れた。そのまま墓に持っていくつもりかも知れんが、罪滅ぼしにマップを譲りな。俺たちが仲間の無念を晴らしてやろうってんだ。悪い話じゃねえだろ」


 キージェは老人の側に回り込んで間に入った。


「なあ、今は家に連れていって休ませてやれよ」


「うるせえよ」と、Aランク勇者がつばを飛ばしながら怒鳴る。「冒険者失格のおまえには関係ねえだろ。失せろ」


 仲間たちも、そうだそうだとはやしたてる。


「おまえたちは人として終わってるな」


「なんだと」と、横でガリマルが太い腕を振り上げる。「口の利き方には気をつけな」


 殴りかかろうとする大男をよけようとしたときだった。


 老人に左腕をつかまれた。


 ――おい、なんだよ。


 助けてやろうとしたのに、邪魔されるとは。


 よけきれずにガリマルの拳がまっすぐキージェの顔に向かってくる。


 しかし、次の瞬間、キージェは不思議な感覚にとらわれていた。


 まわりの景色が止まっていたのだ。


 いや、正確には、少しずつ動いているのだが、あまりにもゆっくりすぎて止まっているように見えるのだ。


 飛びかかってきた大男の拳は、寝ぼけたカタツムリのようにのろのろと近づいてくる。


 キージェは余裕でよけると、横からガリマルの巨体を押してエクバルに向けた。


 あらためて周辺を見回してみると、仲間の連中もみなガリマルを応援する姿勢のまま固まっていて、キージェの動きには気づいていないらしい。


 広場の噴水ですら、噴き出した水が空中で止まっている。


 だが、興奮したキージェの心臓は間違いなく激しく鼓動していた。


 自分以外の周囲が固まっているのだ。


 ――いったい何が?


 敵の動きを封じる【瞬間凝結】なのか?


 しかも、聖堂前の広場全体を固まらせるとは、かなりのハイレベルだ。


 Aランク、いや、Sか?


「早くお逃げなされ」


 振り向くと老人がベンチで体を起こしていた。


「これはあなたが?」


「ああ、そうじゃ。もうすぐ元に戻る」


「じゃあ、早く逃げないと」


 キージェは藁束のように軽い老人を背負ってその場を離れた。


 聖堂の角まで来て振り向いた瞬間、固まっていた風景が流れるように動き出した。


 ガリマルの拳はエクバルの顔面に直撃し、鼻血を噴き出したAランク勇者が悪態をつきながら跳ね上がる。


 自分が殴られていたらと、想像するだけで震えてしまう。


 呆然とした表情の仲間たちも消えた老人とキージェを探している。


「ほれ、気づかれんうちに」


「あ、はい」


 キージェは老人に促されて聖堂の裏へと歩き出した。



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