あの日まで、彼女は魔法少女だった
・6月15日
「~の条件を満たす場合どうなるか? ……じゃあ浅野。この解は?」
窓から見えるゴミみたいな景色はいつも通りで代わり映えはしない。
ただ時だけが過ぎる。どうでもいいが、刺激はほしい。生きたくないが、死にたくはない。
「おい! 浅野!」
……あぁ。自分か。
無視してれば別のヤツをご指名すると思ってたが、この教師は無駄に真面目だったか。
自分が不機嫌だということを分かりやすく伝えるため、離れている教師にも聞こえるように、舌打ちをする。
そして、窓の景色をぼーっと見ながら会話を終わらせる四文字を口にした。
「知らない」
「授業は真面目に受けろ。まったく……」
答える気ゼロということが伝わったらしい。国語教師でないのに、私の行間を読む程度の能力を持っていることには素直に称賛したい。
よく頑張ったね。褒めてあげるよ。
時は経って放課後。
こんな自分に話しかけてくる希少な人間はいない。
そりゃそーだ。
ネットでは、『貴重な学生期間。大事に生きよう』なんて標語が溢れてる。
こんなものを真剣に信じている健全学生諸君には、私みたいなクズに話しかける時間さえ惜しいだろう。
「ねぇ、君」
薄汚れたリュックを背負い、さっさと席を立つ。
今日は何時まで外で遊ぼうか。と言っても、大体は何もしない。
何かしようと思いながら色々歩くが、結局は何もしない。何もできない。
そして、寝る前にそんな自分を自己嫌悪する。
これが私の最悪ルーティンだ。
「君……浅野真宵、だろう?」
大きくあくびしながら、私は教室のドアを開け放つ。
「おいおい。無視しないでくれよ」
何者かに腕を掴まれる。ふざけんな。
「人違いです」
「そんなわけないだろう? 君は真宵だ。僕は知っているよ」
大きなため息をついて、私の名前を呼びかけた存在を瞳に映す。
座った目。やつれた体。自分の立ち位置さえ分からないのか、体はふらふらと揺れる。随分貧相だな。虐待されてんのか?
……こんなヤツ、クラスにいただろうか。まあ関係ないか。
居ても居なくても、自分はクラスメートの顔をまともに覚えちゃいないのだから。
だが、目の前の男は異様な雰囲気を感じられる。
この感覚は、小学生の頃に味わった以来だ。
「もしかして魔物? 今更何の用? ありきたりな弔い合戦ってやつ?」
「弔い? 違うよ。僕は君の運命を嘆いている」
詩人かお前は。いちいち凝った台詞回ししやがって。
「勝手に嘆いてろ。じゃ、私は忙しいんで」
まどろっこしくてウザい奴に構ってるほど、私は暇じゃない。
さっさと帰って何をするか考えないと。
「……は?」
学校にいたはずの自分が足に地を付けてるのは、紛れもなく外だった。
横断歩道のど真ん中。車が来たら即死間違いなしだ。
……即死なら楽に死ねるからいいか。死にたくないけど、リセットボタンみたいにぷっつりと意識が消えるなら逆に本望だ。
多分、気味悪い男の能力か何かだろう。これも何かの縁。きっと、今まで不真面目に生きてきた私への、神様のご褒美なんだ。
「この景色、見覚えがないかな?」
「ない」
「いや、君はあるはずだ。ここは――」
止めろ。嫌な記憶が体を駆け巡る。
ああ、見てしまった。小学生くらいの、一人の男の子が横断歩道の青信号を待っている。
心が締め付けられる。痛い。
男の子は横断歩道の信号が青になったことを確かに見た。そう、見てから、横断歩道を歩き出した。
間違ってない。彼は間違ってない。なのに……。
彼と私がすれ違う瞬間、巨大な物体が男の子にぶつかった。
私の背後で奏でる絶望の音。甲高い金属音と骨の重い打撃音。弾け飛ぶ血液。
あの物体は私にもぶつかったはずなのに、私は痛みすら感じない。彼はまた、私を置いていった。
振り向けない。振り向いたら、死より恐ろしい何かを体験してしまうから。
悲痛な声が、背後から聞こえてくる。女の子の声か。いや、これは――。
「12月24日。これが、長き戦いに勝利した君へのプレゼントだったね」
「……何が目的だよ。お前!!」
「運命を変えてみないかい? 僕と契約することで」
「代償は何だよ」
「君の命」
「……悪魔って奴か」
「君にとっては救世主だよ」
・4月1日
悪魔は私の想像を超えていた。なんと、私を過去に送り込んだのだ。
ただし、私の体が小学生になることはない。小学生の私は別にいる。
過去に『私』という存在を追加した。そんな感じだ。
まずは、私を魔法少女にしたテンシを殺した。
悪魔から貰ったチカラは素晴らしいものだった。
「あなたは一体……! どうして私の力を知り尽くして……!!」
「やっぱ、アンタつまんないわ。NPCみたいな戯言ウザいし」
子どもの頃は強大な力を持っていたと思っていたテンシはあっけなく死んだ。
まあ、奇襲を仕掛けたというのもある。だが、私の想像以上に、奴は貧弱で無力だった。
そして、悪魔のチカラを使い、私は『テンシ』に成りすます。
あんなショボいテンシに成るなんて朝飯前だ。
……テンシの名前、何だったっけ。まあいいか。どうせ覚えても、今の私には意味無いし。
・4月8日
運命の出会いの日。小学生だった頃の自分に、魔法少女としての力を与える。
あどけなさが抜けてない小学生の自分。私を本物のテンシと勘違いし、畏敬の眼差しで見つめてくる。
「これでみんなを守ることが出来るんですか!?」
目をキラキラさせ、彼女は魔法少女となった自分に酔いしれている。
ああ。なんて可愛いのだろうか。愛らしい。彼女の瞳に映る世界は、透明でキラキラしている。
こんな可愛いマヨイちゃんが、私のような腑抜けて腐った死体になってしまうのを防がなければ。
・4月30日
『あの人』とマヨイちゃんが言い争っているのを見かけた。
ああそうか。この頃はまだ二人とも惹かれ合ってなかったっけ。
確か、この言い争いの後に何度も出会って、それでいつの間にか好きになっていって……。
甘酸っぱい二人のやりとりを気ぶりながら見て、心を和ませる。
そのまま可愛いマヨイちゃんでいてくれ。
・5月5日
クラスメートの一人に、マヨイちゃんが魔法少女だということがバレてしまった。
私の記憶では、こいつも魔法少女となる予定の人間だ。
さらに、後から仲間になるもう一人の魔法少女、合計三人のチームで世界の平和を守っていた。
――あ、そうだ。いいこと思いついた。
ここのマヨイちゃんは物凄く強いマヨイちゃんでないければいけない。
どうせ合計で3人の魔法少女が誕生するなら、マヨイちゃん以外の魔法少女はくっそ弱くしてもいいや。
個人的にも『元』お友達である二人に痛い目に遭ってほしい気持ちもある。私が一番辛い時に助けてくれなかった。そればかりか説教もしてきた。
魔法少女になったからって浮かれやがったお友達なんて不要だ。こんなのと付き合っていたら、可愛いマヨイちゃんに悪影響を及ぼす。
……このマヨイちゃんは『彼』と幸せに生きててほしいから。
一人は陸上部。もう一人は弓道部に所属していた。
かつての世界線では、二人の個性に合った武器が与えられ、魔法少女としてそこそこの活躍を見せていた。
じゃあ、二人を無能にするために何をすればいいか。
簡単なことだ。二人に与える武器を入れ替えればいい。
陸上部のバカには銃型のポッドシューター。本来、近距離で戦うことで彼女の才能が生かされるが、この武器は遠距離型だ。近くで撃つと自分にもダメージが入る。
弓道部のアホにはデッカイ大剣のソードパニッシャー。狙いをすまして相手を射抜く遠距離での戦いが彼女の性に合っているが、近距離で重たい剣を持ちながら戦えば、足を引っ張ること必須だ。
あははっ、ざまあみろ。
・6月19日
予想通り、最推しのマヨイちゃんが一強となっている。
定期的に現れる敵との戦いに陸上部・弓道部の奴も参加するが、二人は適正に合ってないクソみたいな武器のせいで足手まといだ。
結果、マヨイちゃんだけが経験値を積んでいる。素晴らしいよ。そのまま突っ走って強いマヨイちゃんになってくれ。
・8月11日
陸上部の『アキ』と弓道部の『ミナツキ』は、魔法少女としては仲間だったが、それ以外の関係はドライだった。
敵が出現した時、スマホで連絡を取り合って、変身して敵を倒す。簡単なルーティンの一つにすぎない。
所詮、魔法少女だけの関係。三人集まって遊ぶことなんて無い。
そりゃ、本来は出会うはずのない三人だ。私の愛しいマヨイちゃんは、二人を『さん』付で呼んでいる。
……いや、『呼んでいた』の言葉が正しい。
今日、三人は海水浴と洒落込んで水遊びしているが、マヨイちゃんはそれぞれを『アキちゃん』『ミナちゃん』と呼んでいるじゃないか。
愛しのマヨイちゃん。どうしてあんなのと仲良くなっているんだ?
アキは『あの人』がいなくなってからの私を弱虫だの意気地なしだの、心を傷つけてくる最低な人間だし、ミナツキは魔法少女としての役目が終わったらさっさと関係を打ち切った血も涙もないカスだぞ?
それにあいつら、適正に合ってない武器のくせに使いこなしてきてやがる。ふざけんな。
しかも、使いこなしたターニングポイントは、それぞれがマヨイちゃんと喧嘩したからだ。
いや、待て。仲良くなりだしたのもその時からじゃないか?
……思えば、私が魔法少女やってた時は、あいつらと本気の喧嘩はしなかったな。喧嘩してれば少しは会話できたのかもね。まあ、もういいんだけど。あいつらに興味ないし。
……私の時と違う歴史を歩んでいる。私の知らない関係が作られている。……面白いよ。でも、ムカつく。何で私じゃないんだ。
・10月10日
――死ね死ね死ね死ね。
アキとミナツキの武器が強化された。
あいつらの願いに応えてしまったのか、武器は彼女たちの適正により合うように変化してしまった。
マヨイも今までの経験で強くなっており、さらにクソ雑魚のはずだったアキとミナツキも強化された。
おかげで、予定だと一ヶ月退場が遅かったはずの幹部が今日息を引き取ったわ。
・11月21日
特になし。ムカつく日常だから思い起こしたくない。
あの三人が仲良くしてる姿見てるだけで反吐が出る。
それに『あの人』とも仲良くしやがって。あれは私の恋人だ。『あの』マヨイちゃんのじゃない。
・12月20日
敵が最後の猛攻を仕掛けてくる。
……はずが、最強の三人によってあっけなく悪は滅ぼされてしまった。
まあ、当然か。確か、私が経験していた記憶では、それなりに強敵だったと思ったんだけど。
今の三人は経験も、武器も強化されてる。
……このままハッピーエンドになるかって? それは問屋が卸さない。
ちょっとムカつくが、今のマヨイちゃんの体を奪えば、私は新しいマヨイちゃんになれる。
もう、こんな体はいらない。魔法少女になっても大切な人を守れなかったこの体は。
今のマヨイちゃんの体と、私の記憶があれば、この世界で最強の存在になれる。あの人も救われる。私と結ばれる。
・12月22日
正体を表す私。驚く三人。
アキとミナツキは殺すし、どうせならと思って冥土の土産に色々と教えてやった。
諦めるだろう。お前たちが縋っていた『テンシ』は敵の尖兵で、目的はマヨイちゃんの体を奪うためだと言えば。
――だけど、あいつらは抵抗してきた。私の夢を、計画を、願いを台無しにするために。
「何言ってんだお前!! 大事な親友の体を渡すわけないだろ!」
「例え、あなたが未来のマヨイちゃんでも、今のマヨイちゃんはあなたとは違います! マヨイちゃんは……私達の大切な仲間なんです!」
アキとミナツキ。それぞれが思い思いの言葉を私に投げつけてくる。ああウザいウザい。私のことは簡単に捨てたくせに、マヨイちゃんには親友ヅラしやがって……!! 殺してやる。
「未来の私……。ごめんね、何があったのか分からなくて。でも……でも……! あなたが悔やんだ未来を、私は変えたい!! だから、あなたを否定する!!」
もう、かわいいマヨイちゃんではない。あれは凛々しいマヨイちゃん……全くの別人だよ。
……なんだよ。結局、私一人だけが悪者かよ。
悪魔の力を使っても、三人のコンビネーションには敵わない。それなりに傷はつけてやったけど、ここまで、かな。
三人の合体魔法により、私の体は完全に破壊される。死を意味するんだ。
――マヨイちゃんも経験するんだろうか。あの悲しみを。私が結ばれず、ここで消滅しても『あの人』がいなくなるのは耐えられない。
――でも、このマヨイちゃんなら大丈夫かな。頑張ってね。『あの人』を助けて、私に出来なかった青春、ちゃんと謳歌してよ。
・12月24日
「いってきまーす!」
今日は待ちに待ったクリスマス。
昨日はドキドキであまり寝られなかったなあ。アキちゃんとミナちゃんは、私のことからかってくるし……!
もー、他人事だからってあれこれ好き勝手言うんだからっ!
蒼井くんとの待ち合わせ場所まで少しだけ駆け足で向かう。待ち合わせ場所には時間より前に着いた。蒼井くんを待たせたくないしね。
でも、待ち合わせ場所で待ちきれない私は、そこから少し歩いたところの交差点まで行くことにした。
交差点に着き、キョロキョロと辺りを見回す。蒼井くんはどこにいるのだろう。
……あっ! いた! 私は蒼井くんに手を振る。彼はそれに応えて、控えめに手を振ってくれた。
あーあ。早く横断歩道の信号が青にならないかな。そうすれば、今日は蒼井くんと素晴らしい日になるのに!
――マヨイちゃん。
「――え?」
不意に、誰かに声を掛けられた気がする。
けど、私の顔見知りは、横断歩道の向こう側にいる蒼井くんだけだ。
蒼井くんの声が聞こえるはずはない。だったら、今の声は誰が……?
「気のせい……かな?」
――無意識に、私はスマホに手を伸ばし、目の前の蒼井くんに電話をかけた。
ポケットの振動に気がついたのか、蒼井くんはスマホを取り出し、耳に近づけた。
「もしもし?」
「――あっ、マヨイです」
横断歩道の信号が青になる。蒼井くんは電話に集中していたのか、立ち止まっていた。
「マヨイ? どうしたんだ? ってか、信号の向こうにいるじゃん。何で掛けてきたんだ?」
「なんかね、電話しなきゃいけない気がして……何でだろ?」
「変なヤツだなー。今そっちに行くから待って――」
その時、トラックが横断歩道に侵入してきた。
横断歩道の信号は青。本来、車は停止してなきゃいけない。けど、このトラックはそれを無視して猛スピードで突っ込んできたんだ。
焦燥感が私を襲う。思わずスマホを地面に落とす。
同時に、私は地面に座り込んでしまった。意識も遠くなる。私は――
「――ヨイ! マヨイ!!」
「……え?」
私の肩を必死に揺さぶってくる人。私が幻想を見ていないなら、それは蒼井くんだ。
「大丈夫か!? 怪我はないよな!?」
「あ……蒼井くんこそ、何ともない?」
「マヨイのおかげだ。あのまま渡ってたら……多分死んでた」
涙が溢れ出す。それは止めどなく、尽きることを知らない様に。
他の人の悲しみを背負っているみたい。私の感情以上に、雫は頬を濡らす。
「……ごめんな」
蒼井くんは私をギュッと抱きしめてくれる。
包容力のある彼の体に包まれ、私の心は温かくなる。
「……どうして、謝るの?」
「ずっと君を待たせてた。なんか、そう思うんだ」
蒼井くんに電話をかける時に見た時間は、待ち合わせ時間ピッタリだった。多分、彼はデジャヴを見たんだ。
そして、あの時の声は……きっと未来のワタシが呼びかけてくれたんだ。
ありがとう。そしてごめんなさい。あの戦いで気づくことができなくて。
私は絶対に忘れない。未来で絶望していた『ワタシ』がいたことを。だから、絶対にこのマヨイは絶望しないよ。『ワタシ』の分まで生きていくんだ。
・○月×日
「これで、君の願いは叶えられたね」
気味悪い男は、その風貌に似合った引き笑いをする。
「確かに運命は変わったね。代わりに私が死んだけど」
結局、友情パワーを身に着けたマヨイちゃんが勝利し、本物のマヨイ――私――は死んだ。
けど……まあいいかな。もし、私があのマヨイちゃんの体を奪って暮らしてても、きっと不幸しか呼ばなかったと思う。
あの世界の蒼井くんは、あのマヨイちゃんを好きになったんだ。
アキやミナツキも、あの世界のマヨイちゃんだから好きになれたんだ。
「でも、これが代償ってことでしょ? 私の命を犠牲にして、あの世界のマヨイちゃんの願いを叶えるってやつ」
気味の悪い男は、顔に似合わないキョトンとした顔を見せる。相変わらず気持ち悪い奴だ。
ま、悪魔だからしょうがないんだろうけど。
「――いや? それは違うよ」
「……は?」
違う? 何いってんだこの悪魔は。
日本語の勉強はまだまだ足りないらしい。
「君が死んだのは僕の想定外だよ。まさか、自分が仕掛けたトラップに自ら嵌まり、死を選ぶとは思わなかったさ」
「……じゃあ、何だよ。契約不成立ってやつ?」
「いや、契約はまだ続いているよ。要は『マヨイ』の命が得られれば、僕は満足だからね」
「さすがは悪魔って感じ。嫌なやつ」
「契約に対して真摯な仕事人間と言ってほしいね」
なーにが人間だ。悪魔のくせに。
「――でもさ、あのマヨイは強いよ。きっと、アンタの願いなんて叶わない」
「ほう? そうかな?」
「そうだよ。だってあの子は……魔法少女だからね」
心を蝕まれた私に代わって世界を守る、絶望を跳ね除けた最強の『ワタシ』なんだから。