55話 貴女と共に
光が収まるとそこには、人の姿へと戻ったボロボロのリゼスが穏やかな微笑を浮かべていた。シーリはぐっと涙をこらえると、強く抱きしめる。その温かさにリゼスはどこまでも安心しきったように体を預ける。
「リゼス……!」
「シーリ様……私は……っ」
さらりと流れる風に目を細めながら、リゼスはゆっくりと噛みしめるように言葉を紡ぐ。
「貴女を愛しています。これからも、どんな姿であろうと貴女のお傍にいます」
シーリは一瞬大きく目を見開くと、心の底から幸せを感じていることを知らしめるように破顔する。いつもはどこか、落ち着いた笑みを浮かべる彼女の初めての笑顔にリゼスの心臓がキュンと音を立てる。
「リゼス……ええ、私もあなたのことを愛しています。だから、ずっと、私の傍にいてください」
甘く低めの声がリゼスの鼓膜を撫でる。リゼスは眩しそうに目を細めると、シーリの手を握り締め、その幸せをゆっくりと心の奥へと流し込んでいく。
きっと、これからの未来は幸せに違いない。なんせ、隣には誰よりも愛おしいその人がいるのだから。
二人は無言で見つめ合い、その愛おしさを共有する。この時間がずっと続くのかとリゼスが幸せに満たされる。
だが、まだやることが残っている。そう、まるで本能のようになにかが教えてくれているのだ。リゼスは街へと視線を向ける。そこにはこの中にいる彼女の同胞たちの気高い咆哮が今も轟いているに違いない。そんな確信がひしひしと感じ取れる。
「シーリ様、まだあと一つだけ残っていることがあるんです。一緒に来てくれますか?」
「ええ、もちろんです」
リゼスの真剣な瞳にシーリは静かに頷いた。
街へと戻ると、雷が落ちた影響か建物の多くが壊れており、無残な姿となっている。だが、血のニオイはせず死の気配もなかった。リゼスは彼らが守ってくれたのだとすぐに理解する。すると、建物の奥からのそりと出てきた人喰いたち。彼らはリゼスに気が付くと、ピシリと彼女たちの前に整列する。
『オワッタノダナ』
一際大きな体を持ったエメラルド色の瞳を持った騎士一歩踏み出てそう静かに問いかける。リゼスが無言で頷けば、安堵したように騎士は目を細め、ほかの騎士たちへと頷きかける。
控えていた騎士たちは一斉に喉を天へと向けてフルートのような美しい音色で歓声を上げた。それは祝福の音楽となって街を包み込む。すると、ずっと遠くから恐ろし気に眺めていた人々が音に引き寄せられるように集まってくる。
音色が止むと同時に淡い光が騎士たちを包まれる。やがてそれが消えると、そこには人喰いではなく鎧を着た騎士たちが立っていた。街の人々が驚きに息を呑む。
「リゼス――オルガ隊長の娘よ。よくやってくれた。よくぞ、我らの悲願を達成してくれた」
金色の装飾が施された鎧を纏った女騎士がそう言って跪く。すると、習うように後ろに立っている騎士たちも一斉に跪き、リゼスへと感謝の眼差しを向けた。
「いいえ、私は何もしていません。すべては、貴女たちがこの国を守ってくれたから。こうして、未来へとつなげてくれたから倒せたに過ぎません」
そう、全ては彼女たちが戦ってくれたからだ。でなければ、きっとこの結末へと辿り着くことはできなかった。騎士たちはリゼスを優しく見つめる。そんな彼らの眼差しはオルガを思わせ、リゼスの目に涙が溜まっていく。
「本当によくやってくれた。これでやっと、隊長たちの元へと行ける」
からりとした笑顔を浮かべた騎士がそう言った次の瞬間、淡い光が彼女たちを包み込む。
「リゼス、本当にありがとう。君たちのこれからに多くの幸せがあらんことを」
その言葉を最後に騎士たちの姿は光の粒子となって天へと昇っていく。そして、空に溶けるように消えていくのだった。
「さてと、これからのことを考えなければいけませんね」
現状を確認した後、シーリは惨状を見ながらそう言った。リゼスは頷いてはみせたが、これからのことなんて全く想像がつかなかった。なんせ、誇り高き彼らが守ってくれたとはいえ、王国はボロボロで国王を含め多くの人々がその命を散らした。
多くの人々がまだ残っている以上、いつまでも世界を救った喜びに浸っているわけにもいかない。早急に国を立て直さなければせっかく守った意味がなくなってしまう。
まず動ける人間を集めなければ。そして、どうやって立て直していくのかを話し合わなければ。きっと、生き残った権力者たちは自分こそが国をまとめる時だと声を高々に上げるだろう。その中に国を救ったという肩書を担いでどこまで意見を通せるか。
そんな想像をしたシーリの頭が早くも痛む。そんな、彼女の思いを察してリゼスは力強くシーリの手を握りしめる。その力強さにシーリは目を見開き、リゼスへと顔を向ける。
「シーリ様、私も精一杯お手伝いします。だから、一緒に愛するこの国を守りましょう」
遠くをまっすぐに見据えたリゼス。シーリはやはり強い人だなと感心する。どんな状況であろうと心折れずただひたすらに前を向く。その姿にどこまでも惹かれたのだとシーリは改めて思う。
そうだ、彼女とであれば今までのようにどんな困難にも負けることはない。シーリはまっすぐにリゼスを見つめる。
「そうですね。守りましょう愛するこの国を」
「はいっ!」
半年後。数多の権力者たちを黙らせたシーリは人喰いという存在が消滅したことを発表。その喜びの勢いを利用し崩れた建物の復興を急ピッチで進めた。これには各地の騎士団たちが力を合わせた影響も大きい。この勢いを逃してはならんと、新たに国の統治者となったシーリは散らばっていた騎士団の全てを統合し、新たな組織を設立。そこの団長としてリゼスを任命。
目の回るような忙しさに追われながらも、リゼスはリノと共に彼女のサポートとして国の復興に努め、少しずつではあるもののこの国は新たな形へと変わっていた。
「リゼス団長、次の任務なのですが」
「ああ、そうしたら申請書を出してください。その際に必ず、大まかでいいので人数と必要経費も記載してください」
「リゼス団長、任務の報告書です。確認お願いします」
「お疲れ様です、しっかりと休んでください」
「団長、こちら先月の武具の修繕と購入報告書です」
青年騎士から分厚い報告書を受け取ったリゼスは彼を労うと、積み上がった報告書の山に乗せる。その間にも、次々とやって来る報告書と申請書の確認の作業に追われ、目が回ってしまいそうだった。いや、実際には目が回る一歩手前と言ったところだろう。
そう言えば、昼食を取ってないなとも思いだしたが、この状況では無理だろう。
「リゼス、何か手伝うわよ」
「リノ様……いえ、リノ様は休んだ方がいいですよ」
目の下に濃いくまを作ったリノがフラフラとおぼつかない足取りでやって来る。リゼスは苦笑を浮かべると、棚から最近流行り始めたキャラメルの入った包み紙をテーブルへと置き、コーヒーを入れる。
「ああ、悪いわね。忙しいのに」
「それはお互い様じゃないですか。むしろ、リノ様の方が忙しいのでは?」
ソファに溶けて吸い込まれそうな勢いで座るリノはキャラメルを口に放り込んで軽く目を閉じる。こうして、息抜きに来てはくれるが実際、書類整理や必要に応じて任務に出るリゼスと違って、リノは騎士たちへ魔法を教え、ケガ人の治療に加えて治療ができる人材の育成とやることが多すぎておちおちと眠る時間もないらしい。
さすがに倒れてしまうと心配して休むように言っても、なんだかんだで躱されてしまうので、リゼスダメかなと考えつつもいつものセリフを言った。
「シーリ様にも休んでくださいと言われているんですから、少しぐらい休んではどうですか?」
「そうしたいんだけどねぇ……まったく、人喰いがいなくなったと思ったら魔物がわんさか出てきて人を襲うってどういうことよ……そのせいで、治療室はいつも満員で休む暇もないのよ」
ズズズとコーヒーを飲むリノの向かいに座ったリゼスは眉尻を下げる。
そう、脅威がなくなったと思ったら、いつの間にか魔物と呼ばれる魔力を持った獰猛な獣が出現するようになり、それが人を襲うために復興が思うように進まないことも起きていたのである。
コーヒーカップを置いたリノは探るような目を向ける。
「それよりも、貴女も仕事ばっかりでシーリとゆっくりできてないんじゃないの?」
「うぐ……痛いところを突きますね」
「はぁ……新婚なんだから、もっと一緒にいなさいよ」
「そうしたいのは山々なんですが、忙しそうにするシーリ様を見てしまうと……」
自分なんかよりもずっと忙しそうにする彼女に、自分の感情を優先することなど果たしてリゼスにできるだろうか。考えるまでもなくできるはずがない。
だが、心は彼女ともっと一緒にいたいと叫んでいる。実際、彼女の部屋まで足を向けたことはある。が、やっぱり理性が部屋をノックすることを許してはくれなくて泣く泣く自室に戻っていたりする。
シュンと暗く項垂れるリゼスにリノは完全に呆れた目を向ける。
「素晴らしい団長さんだこと。相変わらず忠実ねぇ。貴女、ほかの子からなんて言われてるか知ってる? 気高き忠実な騎士ですって」
「茶化さないでください。ほら、もう休んでください。私にできることは変わりますから」
楽しそうにカラカラと笑っていながらも、今にも眠ってしまいそうなリノへと歩み寄る。早く寝かさないと心配で仕方がない。この前は立ったまま寝ていて若い騎士が心配してリゼスに知らせてくれたこともあった。また、同じことが起こりそうで恐ろしい。
「大丈夫よ。優秀な子が入ったからね、その子に任せてるの」
「なら余計に早く休んでください」
「じゃあ、ちょっとここで休ませて」
そう言うが早いかソファにごろりと転がったリノは目を閉じてしまう。リゼスはこんなところでは疲れはとれないだろうと考え、仕方なくベッドに運ぼうと手を伸ばしたとき、「そういえば」と目を閉じたままリノは言葉を続ける。
「面白いことを教えてあげましょうか?」
「なにをですか?」
「リゼスに会えなくてシーリが寂しそうにしてるってこと」
その言葉を聞いた瞬間、リゼスは進めなければいけない仕事のことなんて忘れて部屋から飛び出していた。
「シーリ様!」
ノックと同時に扉を開いたリゼスは部屋の中へと入るなり、切羽詰まったように名前を呼ぶ。その鬼気迫るような様子にシーリは驚いて書類から顔を上げる。が、すぐに目を優しく細める。そのアクアブルーの瞳にリゼスの胸は愛おしさでいっぱいになっていく。
「リゼス? なにかトラブルですか?」
落ち着いた口調で問われたリゼスは、すぐにシーリが自分の訪問に喜んでくれていることにすぐに気づく。
そうか、自分が寂しいと思うと同時にやっぱり彼女も寂しさを感じてくれていたのだ。リゼスの体の奥がジクリと疼く。そして、そんなことにすぐ気が付かない自分を心の中で叱咤した。
リゼスはぐっと息を呑んでから、意を決してずんずんと彼女の傍によるなり――シーリを抱きしめた。
「わっ、リゼス……?」
驚きにシーリの体が一瞬強張るものの、すぐに力を抜いてリゼスに体を預ける。その信頼にリゼスの心は際限なく、彼女への愛おしさで満たされていく。
思えば、こうして彼女を抱きしめるのは久しぶりなのかもしれない。そう考えると、忙しいから、迷惑になってしまうからとしり込みせずにもっと会いに行くべきだったかなとリゼスは思った。
「リゼス、どうしたんですか?」
いつもと様子の違うリゼスにシーリはなにか嫌なことでもあったのではと、心配するようにリゼスの背中に手をまわして優しくなでる。その優しい手つきにリゼスはぐりぐりと甘えるようにシーリの肩口に額を押し付ける。
「リノ様から……聞きましたその……シーリ様が、寂しそうだと」
リゼスの言葉にシーリは苦笑を浮かべる。
「リノったら……うまく隠していたつもりのですが、やはり彼女にはバレていたんですね」
クスリと小さく笑みをこぼしたシーリはリゼスの髪を梳くように後頭部を撫でる。その手つきにリゼスは蕩けるように目を細め、ポツポツと話し始めた。
「私も、寂しかったんです。でも、シーリ様は忙しそうで……私が行っては邪魔してしまうのではないのかと思ってしまって……」
「リゼス……私はそうやっていつも私のことを一番に考える貴女のこと好きですよ」
「え、あ……うぅ……っ」
紡がれる愛の言葉のくすぐったさにリゼスは身じろぎをする。もう数えきれないほど言われた言葉のはずなのに、いまだに慣れることはなく、まるで始めて言われた時のように彼女の甘い言葉は容易にリゼスの心臓を高鳴らせる。
すり、とシーリはリゼスの頬に自分の頬を寄せる。それはまるで、猫がマーキングするように。甘い香りがリゼスの鼻腔をくすぐり言葉にならない声を漏らす。
「リゼス、リゼス……私の愛おしいリゼス」
頬に手を添え額を合わせたシーリはどこまでも甘く微笑む。そして、そっと短い口づけを落とす。
触れるだけの物ではあるが、リゼスの心臓を爆発寸前にするには十分すぎる。
「シ、シーリ様……っ!?」
「ふふっ、まだ慣れませんか?」
「な、慣れませんよっ。で、でも……」
キュッと口を引き結び、首元まで顔を赤く染めたリゼスはぽつりと零すように言う。
「もう一度、して欲しいです」
「――っ! 本当に、貴女は可愛らしい人ですね」
その初々しい言い方に今度はシーリの顔が赤くなる。そして、フッと目を細めてからもう一度、口づけを落とす。今度は先ほどよりも少しだけ長く、リゼスを味わうように深く。
何度も、何度も、口づけを落とす。そのうちに酸素不足に陥ったリゼスが空気を求めようと僅かに口を開く。するとその隙を逃さんと、すかさずシーリは舌を侵入させ彼女の口内を蹂躙する。
「んんっ!?」
何度も口づけは交わしたが、ここまでの深さは初めてだったリゼスが驚愕の声を上げ、シーリの裾を引く。が、当の本人は楽しそうに妖艶に目を細めるだけで行為をやめようとはしない。
トロリと甘い唾液がリゼスの喉を通る。ゾクゾクと背筋に今まで感じたことのないような感覚が抜けていく。それが快楽なのだと理解した瞬間、無意識にリゼスの目に涙が溜まって零れる。それに気付いたシーリはゆっくりと顔を離し、ぺろりとその涙を舐めとった。
普段からは考えられない彼女の行動にリゼスは驚愕しつつも、その心臓を歓喜に振るわせる。
「シ、シーリ様。い、いきなりなにを……ッ」
「リゼスがあまりにも愛おしくてつい」
「つ、ついって……」
けろりと答えたシーリは先ほどまでの余韻を楽しむかのように唇をチロリと舐める。その姿があまりにも魅惑的で、リゼスは口をパクパクとさせる。
「嫌でしたか?」
「い、嫌ではありません……でも、その、事前に言って欲しかったと言いますか……心の準備をさせて欲しかったと言いますか……」
もじもじと答えるリゼス。シーリは「本当に可愛い人」と小さく呟くとリゼスの頬を両手で包む。
「リゼス、愛しています」
「……ッ!」
甘い熱の篭った声。聞くものを蕩けさせるそれを持って、シーリは吐息が交差するほど近くで彼女を見つめる。そうされてしまってはもう、リゼスは何も言えず、ただ返事の代わりにチョンと触れるか触れないかの口づけを落とす。
「優しくお願いします」
「もちろん」
二人は額合わせ小さく笑い合うと、口づけを交わした。
これにて「人喰いと少女」完結となります。
不定期投降ではありましたが、無事に完結できたのも読んでくださった皆様のおかげです。ありがとうございました。
また、次回作でお会いできたらと思います。本当にありがとうございました。




