54話 戦士たちよ共に
『リゼス、オマエはヤツのモトヘト行くのだ』
「あなた、たちは……」
人喰いと呼ばれ、かつては憎悪を抱いた存在がリゼスの前で跪いていた。だが、リゼスはすぐに彼らの瞳に確かな理性が宿っていることに気が付くだろう。
『ヤツをタオセルのはリゼス、お前ダケダ』
『コノ国をマモレルノハ君だけ』
『救エ、守ルンだ』
彼らはまっすぐにリゼスを見つめる。その瞳に見つめられているだけで心が震える。それは、彼らの魂からの信頼を感じとった故だった。
彼らは信じているのだ。今度こそ、憎きヤツを殺してくれると、長年の苦しみを晴らしてくれると。自分たちをやっと死なせてくれるのだと。その思いがリゼスの体にかつてないほどの強さをくれる。
『街は任せろ』
彼らが二っと笑う。リゼスはグッと唇をかみしめると零れそうになる涙を必死にこらえて頭を下げた。
「ありがとうございます。必ずや、ヤツを倒し、貴女たちが穏やかな眠りにつけるようにこの世界を平和に戻してみせます」
深く頷いた彼らが一斉に街へと向かって行く。彼らならばきっと守ってくれるだろう。リゼスはペンダントを強く握りしめる。ギラリとエメラルド色に輝く牙はなんだかいつもよりずっと強く輝いているように見える。
「これできっと最後、お願いします。私に力を貸してください」
胸へと突き刺す。皮膚を突き破ったペンダントの先が心臓に触れた次の瞬間、体の血液の全てがUターンしたかのように逆向きへと流れそれが全て心臓へと集まると、全て魔力へと変換され、噴き出す。
「グガ……ッアァァァァァアアアアアアア!」
慣れることのできない体を強制的に作り変えられる痛み。リゼスは獣のような叫び声をあげる。すさまじいまでのそれは森に木霊する。と、遠くのほうでその叫びに応えるように気高い獣の声が聞こえてくる。それが、“負けるな”と言ってくれているような気がした。
「ゥォォォォオオオオオオオッ!」
ザラリと魔力の風に硬い黒い毛がなびき、踏みしめた両足が硬い地面を切り裂き食い込む。鋼をも切り裂く牙が僅かに開いた口から覗く。
『ォォォォオオオ……』
ハープを奏でたかのような柔らかい音を喉から鳴らした人狼のエメラルド色の瞳が太陽光を反射する。ゆらりと尻尾を揺らした人狼は天を仰ぎ高らかに声を上げると、シーリの元へと急いだ。
黒い炎を纏った拳が眼前へと迫る。全力で身を捻って躱したシーリはその腕を切り飛ばさんと反撃するも、まるで鋼鉄の様な硬さを持った炎にあっさりと遮られてしまう。
シーリは舌打ちしたいのを堪えながら、もう何度目だろうかと考える。
「ひひ、ひひひ」
黒い炎を全身に纏い、ゆらりと両腕を脱力したコンゴウは正気を失ったような笑い方をしながら、シーリの様子を伺うように首をかしげている。
あの炎は危険だ。触れた瞬間にその命を吸われかねないほどの邪悪さを秘めている。あんな魔法は見たことがない。いや、そもそもあれは魔法と呼んでいい物なのだろうか。
「まるで呪いだ」
そう零してシーリは自分のその一言に納得する。あれは、ありったけの負の感情を煮詰めて燃やしているような炎だ。それほどにおぞましい気配たっぷりなのだ。その影響なのか、彼の姿が人型から徐々にであるが人外の物へと変わっていくのをシーリは見た。
頭部から左右にねじったような角が生え、その皮膚はまるで焼け付いていくように黒く変色していく。
「死ね、この世の全部消えてしまえ」
炎の波がシーリへと襲い掛かる。飲まれれば燃えて死ぬだけでは済まないだろう。濃密な負の感情にのまれそうになる。シーリは息を吐き出すと同時に魔力を体に纏い、剣にも流す。
高密度の魔力が水となって刀身を包む。シーリは静かにそれを高く掲げると、炎の波に向かって振り下ろした。
炎と水がぶつかり激しい衝突音が響く。互いの魔力が互いを打ち消し、それは灰色の水蒸気となって勢い良く吹き荒れる。高温のそれがシーリの肌を焼く。なんとか体に纏った魔力が火傷になる寸前で押しとどめてはくれているものの、その熱は痛みとなって彼女を襲い歯を食いしばる。
「しししししねねねねねねねねね!」
叫び声をあげてコンゴウは一歩踏み出す。シーリは何とか炎の波を押しとどめようと魔力を全力解放するも、それでも間に合わない。
まずい、このままでは力負けする。シーリがそう確信してしまったその時だった。
――ウォォォォォォォォォオオオオオオオオオンッ!
オオカミにも似た肉食獣の咆哮が轟く。魂を揺さぶるほどのそれが聞こえた瞬間、シーリを飲み込もうとしていた炎が切り裂かれ消えていく。消えていく炎を踏み潰すように一体の強大な黒い毛皮を纏った二本足の獣が降り立つ。
エメラルド色の瞳をギラリと煌めかせたそれは、喉笛を天へと向けて高らかに吠える。それはまるで、空を切り裂かんとする雷鳴のよう。シーリはその声を響かせる何よりも頼もしく、なによりも愛しき存在の名前を呼んだ。
「リゼス」
静かな声だったが、彼女に気付いてもらうには十分すぎるほどの声量。ピンと立った耳がピクリと反応し人狼はゆっくりと振り向く。エメラルド色の瞳はどこまでも安堵と愛おしさの篭った色で満ちていた。
『遅くなりました』
「構いませんよ、必ず来るとわかっていましたから」
二人は顔を見合わせ笑い合う。が、すぐにそんな甘い雰囲気は消し去って二人は敵を見据える。
『あれは、異世界人ですか』
「ええ、黒い炎を使い始めてから少しずつ変わって今はあの姿に」
そこに立っていたのはもはや人ではなかった。
真っ黒な肌。大きく裂けた口から覗く牙は鋭く、だらりと長い舌からは灰色の唾液がしたたり落ちる。左右非対称歪に歪んだ角はそれだけで人を突き殺せるほどに鋭い。醜悪な笑みは見る者の心を揺さぶり壊さんとしてくる。
まさに邪悪なる存在。
――シネ。シネ。
ニタニタと僅かに開いた口は動いていない。その声は直接頭に響いてくる。
――マズハ、オマエラノクニヲ。
そう聞こえた次の瞬間、背後、つまりは街の方角。空を追っていた黒雲から黒い稲光が降り注ぐ。
「なっ!?」
数えきれないほどの黒雷が轟音と共に降り注ぐ。距離があるのにその音はまるで近くに堕ちたかのように聞こえる。背後を確認したシーリは見たこともない激しい怒りの顔をバケモノへと向ける。
だが、リゼスは至って冷静で、同様の色を浮かべることはない。シーリはそんな彼女のエメラルド色の瞳に果てしないほどの喜びの色が浮かんでいるのを見て目を見開く。
「リゼス」
『街は平気です。大切な仲間たちが、守ってくれていますから』
その言葉でもうシーリに街を心配するという気持ちは完全に消える。頼もしい戦士たちが必ずや守ってくれる。なんせ、一度は世界を守った人たちだから。
「ならば、目の前に集中しましょう。アレを倒して――」
剣を構えたシーリはリゼスにどこまでも甘い笑みを向けると、
「貴女と一緒に平和を見に行きましょう」
と言った。リゼスは目を見開くと、そっと目を細めて頷いた。
『ええ、そうですね』
二人が同時に駆け出す。バケモノとなったソレは不快そうに顔を歪めると、両手を広げる。その次の瞬間、無数の黒い炎でできた槍が現れ、ソレは一斉に二人目掛けて発射される。
リゼスが速度を一段上げて前に出ると、腕を軽く振ってその槍をすべて叩き落とす。ソレは忌々しそうに怒りの表情を浮かべると――
「リゼスのこと、ジロジロ見ないでください」
リゼスの背中を土台に飛び上がったシーリがコンゴウの左肩に剣を突き立て、そのまま振り抜いて腕を斬り落とす。コンゴウが叫び声上げ、どす黒い炎にも似た鮮血が噴き出す。
『シーリ様』
シーリの腕を引いて、リゼスはその血飛沫から彼女を庇う。強い酸性を持っているのか血を被ったリゼスの体表がジュウと音を立てて焼け爛れていく。が、すぐに人狼の持つすさまじいまでの再生能力が何事もなかったようにその傷を治す。
「リゼス、ありがとうございます」
『貴女を守ると約束しましたからね。それに、あんな汚いモノが貴女に一滴でも付くなんて私が許せませんでしたから』
「ふっ、本当に貴女は私のことが好きですね」
『好きだなんて言葉じゃ足りない。愛しているんですよ、この世界の何よりも』
二人は視線だけ絡ませて小さく笑い合う。リゼスはどんどん強くなっていくこの思いに心臓が温かく波打つ。それがどれほど心地よく幸せなことか。
だから、早くこんな戦いは終わらせなければいけない。リゼスは長く息を吐いて体勢を低く構える。
『シーリ様、一気に決めます。ついて来ていただけますか』
半歩前を行くその背中はどこまでも大きくシーリの目に映る。初めて会った時は、自分が前にいたのになと考えながら頼もしくなり過ぎた大切な人に負けないように体を魔力で包む。
その返事を受け取ってリゼスは不敵な笑みを浮かべると、一気に駆け出し、目にも止まらぬ速さでコンゴウの顔を殴り飛ばした。
隕石でも激突したかのような衝撃に彼の体があっさりと吹き飛び地面を転がる。リゼスは彼を追いかけると、その体を思い切り蹴り飛ばす。受け身もとれずに彼の体は速度を増して地面を転がっていく。が、なんとか体勢を立て直した彼が金切り声のような叫びをあげてリゼス目掛けて駆け出す。
リゼスは大きく息を吸ってその体内に魔力を貯めると、
『ウォォォオオオンッ!』
人狼の持つ咆哮が轟く。おそらく、前回のコンゴウであれば防げただろう。だが、傷付き魔力を消費した体ではその声に抗うことができず、まるで体が凍り付いたようにそのままの体勢で停止する。その瞬間、彼は自分の死を明確に感じ取るだろう。
『シーリ様!』
「任せてください!」
シーリが固まったコンゴウの首に剣の刃を当てる。動けない彼がなんとか炎を纏って首が落ちるのを防ごうとするも――
『シーリ様に首を落としてもらえるんだぞ。おとなしくしていろ』
そんな冷たい声と共にコンゴウの頭をリゼスが掴んで、その有り余る魔力で炎をかき消す。彼は絶望をその顔に浮かべる。死にたくないという声にならない叫びが彼の全身から放たれている。
――ヤ、メ、ロ。
「その言葉をアナタが聞き入れることのできる存在であれば、こうはならなかったでしょうね」
刃があっさりとコンゴウの首を切り裂く。血が噴き出す前にリゼスが体を蹴り飛ばし、手に持った頭部を乱雑に地面へと放り投げる。ごろりと転がったそれは恨めし気に二人を睨みつけている。二人はそれを冷たく見下ろす。
――クソ、ガ。ホロボシテヤル。
『哀れだな、死ぬ間際まで呪いを吐くか』
――シネ、ゼンブ。
ケケケと笑い声をあげるソレの声をこれ以上聞いていられるず、リゼスはその頭を踏み潰す。すると、死んだ体から炎が吹きあがり、それは肉体を焼き尽くすとそよ風に乗って跡形もなく消えていく。
なんとも呆気ない最後だ。でも、今度はわかる。本当にこれで終わったのだと。
『おわり、ました。やっと、やっと……』
リゼスが片膝をついて、シーリの胸元に額を擦りつける。
「ええ、終わりましたね」
愛おし気にシーリはリゼスの頭を抱きしめ優しく撫でる。フワフワとまではいかないが、シーリはその触り心地の好さに蕩けるような甘い笑みを浮かべる。
「リゼス、よく頑張りましたね」
スリ、とシーリは彼女の顔に頬を擦りつけながらリゼスはの喉の奥を鳴らす。その声にシーリは目を細めて聞き入る。
『シーリ様……これで、ずっと一緒にいられますね』
「ええ、ずっと、ずーっと一緒です」
グルルと喉を鳴らしながらリゼスは何度も「シーリ様」と名前を呼んだ。その度に、シーリは耳元で返事をする。
だが、暫くするとシーリはリゼスがいつまでも人の姿に戻らないことに違和感を覚えるだろう。
「リゼス、人の姿に戻らないのですか」
そう問いかけた時、リゼスはゆるゆると顔を上げて、今にも泣きそうな顔を見せた。その表情でシーリはある程度の予想がついてしまう。
『申し訳ありません、何度か戻ろうとしてはいるんですが……戻れなくなってしまったみたいです』
「なぜ、謝るんですか」
『だって……せっかく、一緒にいられると思ったのに……この姿では』
項垂れるリゼスにシーリは「まったく」と言って頭を撫でる。
「貴女、私の気持ちがたった姿かたち一つで変わってしまうと思っているのですか?」
『い、いえ! 違うんです! 姿一つでシーリ様が離れていくなんて微塵も思ってません! でも、この姿だと……その……』
瞳を潤ませて言い淀むリゼス。その行動でなんとなく彼女の言いたいことが分かったような気がしたシーリはそっと彼女の両頬に手を添えてから口づけを落とした。
『――ッ!?』
ゆっくりと顔を放して至近距離からリゼスの瞳を覗き込んだシーリは幸せそうに口角を上げる。シーリとしては、彼女がどんな姿であってもどんなことだってできる自信があった。
それこそ、キス以上のことだってできるししてみたいとも思っている。
「何の問題もありませんでしたね。貴女がどんな姿であろうと、何も変わりませんよ」
そう言ってもう一度、シーリがリゼスに口づけを落としたその時、リゼスの体から眩いまでの光が巻き起こった。




