第三十六話 帰還
ここまでのあらすじ
KAEDEの多額投資者貴族Kことカーティス・ハルフォードと利害関係上の契約を結んだアリエスは、店の顧客を庶民から貴族へと拡大させた。
徐々に貴族との関わりが増えていったアリエスは、奴隷商のアジトへと乗り込み、奴隷商を断罪させることに成功するが、アリエスは再び裁判にかけられ、左遷先へと強制送還される。
そして、左遷先までやってきたカーティスはアリエスと婚約を結び、左遷先から連れ出した。
意図的に貴族を没落させ続ける人物は誰なのか、その目的とは? そして、この国に隠された真実全てが今明らかなる。
真実が辿り着く先にあるものとは・・・
完結編、第三章開幕!
三十六話 帰還
その日、アリエスは差しのべてくれたカーティスの手をとった。その手をとり、もう一度やり直す、悲運な自分の運命から逃れるために自分たちを陥れた犯人を見つけると、そう心に固く決めた。
東の島から船に乗り、本土に到着すると、ハルフォード家の馬車で領地へ向かった。
アリエスは、馬車では、カーティスとフレドリックが隣に座り、アリエスがカーティスと向かい合う形で座っている。
「そういえば、アリエスの裁判は新聞で大々的に取り上げられていたぞ。もう、有名人だな。」
カーティスはそのときの新聞を広げてアリエスに見せる。そこにはアリエスの裁判の内容と結果について書かれていた。それも新聞の一ページ目に。
「お恥ずかしい限りです。」
アリエスはその記事を直視できなかったので、カーティスが広げた新聞を閉じて、返した。新聞の一ページ目に載っているとはいえ、書いた新聞会社もきっと面白がって書いているに違いなかった。
「まあ、よくやったと思うよ。並大抵の人じゃここまでできないね。」
カーティスは軽く笑った。並大抵の人ではないということは超人とでも言いたいのだろうか。
「そういえば、さっき話したいことがあるって言っていましたよね?」
馬車に乗る前にカーティスが言ったことをふと思い出したので、アリエスが、話題を変えて尋ねると、カーティスは思い出したように話し始めた。
「ああ、そのことか。この婚約のことなんだが、この婚約は条件付きなんだ。父には正式な許可をもらっていない。」
カーティスが冗談を言っているようにはとてもではないが、見えなかった。隣にいるフレドリックも黙って頷いた。
「え!? 許可なしにあんなことしたんですか? というか、条件付きって何ですか?」
「一応、許可はもらっている。
ただし、正式な婚約と認めるには条件があるんだ。それは、一年以内に、クレヴィル家が本当に無実であることを証明することと、爵位をもらうことだ。」
アリエスは黙って、カーティスの話を聞いていた。
「まあ、今は婚約者(仮)といったところですね。」
フレドリックがカーティスの発言に補足をした。アリエスはフムフムと頷く。
「つまり、爵位奪還しろとのことですね。もともとそのつもりです。どちらにしろ、このままでは終われないので!」
アリエスは自信満々にガッツポーズをして見せた。
「そういう、常に前を向いていて、自信一杯なところ、アリエスのいいところだと思うよ。」
アリエスは少し照れくさかったので、視線を反らしながら、ありがとうございますとお礼を言った。
馬車内はシーンとしてしまった。ただガタガタという、車輪が地面を滑る音だけが、鳴り響いていた。
二人は馬車の窓の外を眺めていた。アリエスはこういった沈黙に長くは耐えられないので、口を切って話し出した。
「ちなみにですが、私が爵位奪還できなかった場合、どうなるのですか?」
何気ない質問にカーティスはふふふと気味の悪い笑いをした。アリエスはその笑いに、嫌な予感を感じざるをえなかった。
「知りたいのか? 知って後悔するなよ?」
「そこまで言うなら、遠慮します。」
「いや、知りたいなら別に遠慮はするな。」
「やっぱりやめときます。」
「聞きたいって、顔に書いてあるから、話すよ。」
アリエスは無防備に聞いたことを少し後悔したが、カーティスは半ば強引に話し始めたので、聞くことにした。
「まあ、簡単に言うと、婚約破棄をするか、次期当主の座から降りるかとのことだ。」
何となく予想できなくもないことではあったが、アリエスは一瞬固まってしまった。それは、再び、自分が元の生活に戻ることを恐れて、生じた間ではない。
「それ、責任重大じゃないですか・・・」
「まあ、心配することはない。父上の冗談かもしれないからさ。」
それに便乗して、フレドリックもカーティスの話を肯定した。
「そうですね。旦那様はたまに、脅しっぽい冗談を言いますもんね!」
カーティスとフレドリックは慰めているつもりなのかもしれないが、アリエスには、重圧に押しつぶされそうになっていた。
「もし、そうなったときは、迷わず、婚約破棄してください!」
アリエスはあたふたしながら言った。人に迷惑かけまいと消極的になりがちなのは悪い癖である。アリエスはヘラヘラ愛想笑いをしていたが、カーティスはそれにむっとした。
「弱気になるなよ、らしくないぞ。」
カーティスはアリエスの頬を引っ張る。
「ごめんなひゃい・・・」
アリエスは引っ張られて赤くなった頬をさすった。割と強く引っ張るので、痛い。
「アリエスならやれると思って信じたから、ここまで来たんだ。正式に婚約するかどうかは、クレヴィル家が爵位を奪還してから決めれば良いさ。それまでは、(仮)だ、そう重荷に感じるなよ。」
カーティスは再び外の景色を眺めた。アリエスはちょっとした一言で、前向きにさせられるカーティスの言葉はまるで魔法みたいだと思った。
「・・・ありがとうございます。頑張ります。」
カーティスはアリエスの方を見て、うんと言った。そして、他にも何か言いたそうなもどかしい顔をしていた。
「・・・あのさ、敬語やめないか?」
「え?」
「いや、何か他人っぽいなと思って。まあ、他人だけどさ・・・」
カーティスは右手で頬杖をつきながら、再び外の景色を眺めた。
「でも、これでも一応、婚約者(仮)だから・・・。まあ、無理にとは言わないけど。」
前世では庶民だったアリエスはずっと、貴族とは、自分とは遠い存在で、近くに感じることはできなかった。
前は名前を呼び捨てするにもかなり恐れ多いと思っていたが、今は、遠くにいると思われた存在が前よりも少しだけ、近くに感じられた。
「そうですね、敬語はもうやめます・・・、やめるね。私ももっと貴方と対等になれるように、隣にいるのにふさわしくなれるように、精進するから。」
アリエスはかなり緊張していたが、何とか噛まずに、最後まで言うことができた。カーティスはアリエスの方を再び見て、にっこり笑った。
「期待しているよ。」
その言葉は、今一番言われて嬉しい言葉だった。アリエスは期待を裏切らないようにもっと頑張ろうと思った。
* * *
その後、馬車で数十分、馬車の外は見慣れた景色が広がった。そう、貴族支店だ。店の前には数人が大きく手を降っていた。
アリエスも嬉しくて、馬車の窓を開け、身を乗りだし、大きく手を振りかえした。
馬車の窓から身を乗りだすという危険行為をしたので、「危ないからやめてください」と、フレドリックに言われたので、アリエスは窓を閉め、大人しく座り直した。
そして、店の前に着き、馬車を降りた。降りたと同時に、ジュリーがアリエスの両手を固く握った。
「勝手にいなくなるなんて、ひどいです。心配しました・・・。」
ジュリーはうつむいていた。相当心配させていたようだった。
「ずっと待ってましたよ、おかえりなさい!」
ジュリーだけでなく、他の人たちもおかえりなさいといってくれた。
アリエスはここが自分の帰るべき場所であると、迎えられているように感じられて、胸が熱くなった。
「ただいま!」
アリエスは笑顔でそう答えた。
「お久しぶりです、アリエス様。」
「久しぶりですね、ヒュージさん。」
懐かしい人物だった。ヒュージと最後に会ったのは、ここの貴族支店で働く前だった。それまでずっと、庶民支店の経営の方を手伝ってもらっていた。
「お元気そうで何よりです。」
「私がいない間、貴族支店の方の経営手伝ってくれていたの? ありがとう。」
ヒュージはいえいえと、首を横に振った。
「ジュリーに経営任せていたら、せっかく立て直せた店を潰すところでしたよ。」
リアンナはジュリーをからかった。
「それは言い過ぎです!」
場は明るい空気が流れた。しかし、デュランはその様子を傍観者のように愛想笑いをしながら、見ていた。
「デュラン、もしかして、奴隷商のアジトにいったこと気にしてるの?」
デュランははっとして、アリエスの方を見た。
「気にしてないと言ったら、嘘になりますね。僕が誘ったことが原因ですし・・・」
デュランはとても気まずそうな顔をして、視線をあえて反らせていた。
アリエスはデュランの肩をポンポンと叩いて諭すように言った。
「結果オーライだよ。気にしなくていいよ。奴隷商は無事に捕まったんだし・・・。」
「・・・はい。」
デュランは小さい声で返事をした。デュランとは反対にジュリーは大きな声で話しかけてきた。
「お嬢様ー! 今後の経営方針どうします? 後、契約もし直さなきゃですしね・・・」
「そうだね・・・じゃあ、ええっと・・・」
アリエスが斜め上を見ながら、考えていると、横で傍観していたカーティスはコツンとアリエスの頭を拳で突いた。
「のんびり店を経営している暇はないぞ、アリエス。金はある程度たまっただろ? この婚約は期限付きだ、一年以内に爵位を奪還しなければ、アリエスは、またあの左遷先に戻ることになるぞ。」
アリエスは思い出したようにはっとした。そういえば、そうだった。店と仲間を目の前にして、気持ちが高ぶり、ついつい目的を忘れるところであった。
(ここは、自分を抑えなくては・・・)
「えぇとね、私、後一年以内に爵位奪還しないといけないから、しばらく、お店の方に携われないかも。だから、ヒュージさん、経営の方を引き続きお願いできますか?」
「大丈夫ですよ。庶民支店の方は比較的安定してきていますから。」
「ありがとうございます。私はデザインや設計は引き続き行うつもりだから、できたらそっちに持って行くから、リアンナさん、工房との取引の方を頼めますか?」
「わかりました。任せてください。」
「ありがとうございます。」
カーティスはアリエスの方をじろりと見た。
「服のデザインや設計をする時間とれるのか?」
「・・・大丈夫。心配しないで。忙しいのには慣れているから!」
アリエスはあははとごまかした。本心、犯人捜しをしている時間より服作りに携わっている方が楽しいからという理由だとは口が裂けても言えない。
「ああ・・・ええっと、何か困ったことがあったら遠慮なく言ってね。ジュリーは、庶民支店との連携もよろしくね。デュランも店のことよろしくね。」
「何か、またお別れみたいな感じで寂しいですけど、私はここでずっと待っていますよ。お嬢様が貴族に戻るときの手付金はまだ大事に保管していますので。応援しています。」
目をうるうるさせながら、ジュリーはアリエスを見つめる。デュランはアリエスの言葉に大きく頷いた。
「私、みんなの期待に応えられるよう頑張るね。まあ、徒歩で行けるくらい近い所にはいるけどね。じゃあ、またね。」
アリエスはまだここにいたい気持ちをぐっとこらえて、皆に背を向けた。そして、馬車に乗り込んだ。フレドリック、カーティスとその後に続いて乗った。
カーティスは馬車に乗る間際に後ろを振り返っていった。
「こちらの方から招集した際は、速やかに来るように。」
皆が、はいと返事をすると、カーティスは再び背を向けて馬車に乗り込んだ。すぐに馬車は屋敷に向けて走り出した。
その馬車の後ろ姿をアリエスの元使用人たちは見えなくなるまで、見送っていた。




