カフェ
三題噺もどき―ひゃくにじゅうはち。
お題:黒猫・シソ・新しい
ガタンガタン―ガタンガタン――
どこかで最終電車が走っていた。
多分、つい先ほどまで私が乗っていた電車だろう。
この時間に走っているのはあの一本しかない。
だから、それに間に合うように仕事を終わらせ、電車を降り、今に至る。
「……、」
残業なぞ、するものではない…と毎週思いながらも残業しているのは何なのだろう。
上の連中は言うだけだから、こっちの苦労など知らないだろうなぁ。
同期の人間も、そそくさと帰るものだから、結局1人で残業している…。
はぁ、そろそろ仕事を考えないと、体がもちそうにない…しかし、今やめてしまえば…だけどもう限界…今でなくても…
「……ふぅ…」
やめたい辞めたいと言ってもやめることはないのだ…そんなどうでもいい事考えたところで、なおさら疲れるだけである。
行動に移さなければ、意味がない。
あぁ。それでも…
なんて、何度も同じことを反芻しながら、ぼぉっと歩いていたのが、悪かった。
「……あれ?」
ここ…どこだ…。
道なりに進んできたはずなのだが…街灯がぽつりぽつりとあるだけで、やけに暗い。
確かに住宅街ではあるのだが、こんなに暗い道があっただろうか。
周囲に目印になりそうなものもない。
しまった、これは、完全に迷っている。
今までこんなことはなかったのに…相当疲れているのだろうか…。
「……?」
どうしたものかと、悩み、一応場所だけでもスマホで確認できるだろうと踏み、鞄から取り出した―ところで、視界の隅で何かが動いた。
「……あれは…?」
かなりの間隔をあけて立っている街灯の下に、真黒な猫がいた。
その明かりから、一歩でもぬけてしまえば、そのまま闇に溶けてしまいそうな…。
ニァ、
と。一鳴き。
こちらをちらりと見やり、歩いていく。
光の下から、いなくなり、あれ?と思えば、少し先の暗闇に、金色の瞳が光る。
振り向いたのか?
二ァ~
と、さらに一鳴き。
なんだろう。
ついてこいということだろうか。
そう思い、一歩進んでみる。
それを見た猫は、さらにトコトコと進んでいき、次の街灯の下に現れる。
そこでまた止まり、ちら―とこちらに視線をやる。
早く来いと。
「……、」
よくわからないが…今見えている道が、この街頭が続いている道しかないし…彼(彼女?)についていけば案外何かあるかもしれない。
なぜか、そんなことを思った私は、素直にその黒猫についていくことにした。
「……わ、、」
どれくらい歩いたか…多分ほんの数分だったと思う。
道の先に小さな建物があった。
小さい、カフェ?だろうか。
外には、草花が飾られており、テラス席のようなものもある。
黒猫は、その建物の入り口の前にチョコンと座り、こちらを見ていた。
しかし、時間も時間だし…と遠慮しようと思っていた矢先、くぅーと腹の虫が鳴った。
まるで図ったようなタイミングで。
まぁ、この時間に電気がついている時点できっと大丈夫だろうし、黒猫が早くしろと言わんばかりに尻尾を叩いているので、少々お邪魔させていただこう。
「すみませーん…」
一応、断りを入れながら扉を押し開ける。
伺いながら入る私に対して、黒猫はスルリと足元をぬけ、スタスタと店内に入っていった。
もしやこの猫、開けてもらうために私を呼んだのか?と、思いもしたが、深くは考えないことにした。
店内には、キッチンに面したカウンター席と、4組のテーブルと椅子が置かれていた。
「……、」
人の気配がしない…。
もしかして、もう閉店していたのだろうか―?やはり、帰った方が―
「いらっしゃいませー」
そう思い、踵を返そうとしたところで、カウンターの奥から声がした。
見ると、店主だろうか、キッチン前に立っている人物がいた。
黒い髪に、黒い瞳、黒いシャツに、黒いエプロン―どこまでも黒一色で染められていた。
「あの、」
全く人の気配がなかった中で、突然現れたように感じ、驚きと、なんとなくの申し訳なさに、言葉を詰まらせていると
「おひとりですか?」
と、優しい声が届く。
はい、と自然に答えてしまっていた。
「空いているお席に、どうぞ。」
そういわれ、一番奥にあった席に座る。
いつの間に用意していたのか、店主は丸いお盆に水と手拭き、メニューのようなものをもってこちらへとやってきた。
「、どうぞ。お水と、メニューです。」
にこりと微笑みながら話すその姿は、とても優しい人なんだろうと、誰もが分かるような、そんな人だった。
そのままお言葉に甘えて、メニューを開く。
品数自体は少ないが、どれもおいしそうなタイトルが並んでいた。
その中に、一つだけ”新”と書かれたメニュー。
「あ、じゃあ、この新しいのを、お願いします」
「かしこまりました、では、少々お待ちください、」
そう言って、キッチンへと戻った店主を見やり、料理が来るまで大人しく待つことにした。
携帯でもいじっていようかとも思ったが、なんとなくそんな気にもならず。
ただぼぉっとしていた。
「お待たせいたしました。」
その声に引き戻される。
同時にふわ―と優しい香りが届く。
「新メニュー『シソづくしの和食セット』です」
こと、置かれた料理はとても鮮やかで、腹の虫がさらに鳴いた。
「いただきます、」
「ごゆっくり、」
そういった店主の瞳が、ライトに当たってきらりと、金色に光った気がした。
「……」
そういえば―と一緒に入ってきた黒猫を探してみる。
もしかして店の奥にでもいるのだろうか。
どうしたのだろう―と店主にでも聴こうと思ったが、腹の虫がそれを許してくれなかった。
食べた後にでも聴いてみよう、と思い、今は食事を楽しんだ。
「…ごちそうさまでした、」
「おそまつさまです、」
さして量は多く感じなかったが、いい感じに腹が満たされた。
「とてもおいしかったです、
「それはよかった、
あまり長居しても悪いと思い、お金を―と財布を取り出す
「いいですよ、お客さん。今日はサービスで、
「え、でも
「大丈夫です。また元気な時に、来てください、
「いえ、そんな、
やけに押しが強い…
さぁさぁと、出口に向かい背を押される。
「もう遅いですから、
「…じゃ、ぁ、また来た時に。
「えぇ、そうしてください
「ありがとうございます」
ぺこりとお辞儀をして、扉の外へ出る。
「またのお越しを。」
―目の前に、私の住んでいるマンションが建っていた。
「―――― あ、あれ?」
茫然と歩いていたせいか、気づかなかった。
相当疲れているな…。
しかし、なぜだろう―不思議と、心が満たされているような感覚がした。
ついでに空腹も。
「…?」
まぁいいか。
今日は久しぶりにゆっくり眠れそうだ。
―どこか遠くで、黒猫の鳴く声が聞こえた。