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戦国ホームセンター  作者: 四郎壱郷
VS上杉輝虎編
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飯泉さんの農業改革

中村氏が織田家目指して西に去り、ホムセンの要塞化や武器も揃ってきた頃(真田店長は相変わらずDIYスペースでなにやら作っているけど)時を同じくして農業の専門家(単に農家ともいう)飯泉のおっちゃんの活躍が始まっていた。


「ホムセンやドラッグストアに置いてある食料食べているだけじゃすぐジリ貧になるべ。自分でつくろう。」


 と言って耕作を始めたのである。ホームセンターやドラッグストアには食料品や菓子など食べられるものがあった。しかし太陽光主体の電力供給を考えると全ての冷蔵庫や冷凍庫を動かすわけには行かず(むしろ最小限に絞られた。)生鮮食料品は早々に食べつくされた。冷凍食品は非常用として最低限冷凍庫を動かしてはいたが、こちらもそのほとんどは早々に消費した。

 

空調なども使い放題とは行かなかったため、ペットショップの動物たちも犬や猫を番犬やネズミ捕りに残したのと、ホムセンの前に掘った池に錦鯉を放したほかは周囲の沼や川、森などに放してしまった。外来生物侵略になるが、死なすのも忍びないので、許せ>環境。


 それから飯泉のおっちゃんの指示でグレートホムセン砦総構え(と言うほどは大きくないが)の内側に畑が、そして沼地に築堤、排水(太陽電池でモーター回して、一部人力水車併用)、用水路も整備…がめっさ大変だったがちょっとした田んぼがホムセンの眼下、小貝川の方向に向かい広がるようになった。


 飯泉のおっちゃんの指導で畑では大豆、ダイコン、ほうれん草、小松菜、トマト、キャベツ、レタス、じゃがいも、とうもろこしなどが栽培された。


「とうもろこしやじゃがいも作っていれば米が飢饉のときに役に立つ。」

「米の品種冷害に強いものを中心にしましたけどね。コシヒカリとかひとめぼれとか。さらに北海道で生産されているゆめぴりかも。」


 と飯泉おっちゃんと真田店長。真田店長よ。ここはJAではない。なぜそんなに籾米のラインナップが充実しているのだ。

 そもそもこの戦国時代にコシヒカリが大量生産されるってなにかが違う気がする。

 ぜひ収穫できたらこの時代の方々の感想を聞いてみたい。てかそもそも白米炊き上げるのは普及していない気も…どうだろ?

ちなみに環境保全より安定した収量、ともちろんホムセン在庫の農薬などは使ってしまっているぜ。

肥料や農薬を消費し切るのは将来的にはまずい、と有機栽培も広く用いているが、ひとまずは安定して食べられる分は

確保しようという算段だ。


タンパク質は…イノシシを飼うことを提案する人もいたが、随風様がそれを聞いて目を回したのもあって結局鴨を捕らえてきて増やし、合鴨農法を始めた。あと錦鯉じゃない方の鯉などの川魚が主体となった。

 天野先生が


「錦鯉はうまく育てれば偉い人に献上とかできるかも。」


 とアドバイスをくれたので、そっちは池を掘って育てている。


 因みに温水使ってペットショップコーナーの南米鯰類増やしてタンパク源にしているのは…外来種的に秘密である。


 牛は村から譲ってもらったものを育てて乳を取るなどしていたが、乳牛じゃないから安定して取れないし、肉にするには数を増やさないと無理なので主に農作業用に飼うことになった。飯泉のおっちゃんは


「将来は和牛増やしたる。」


 と野望に燃えていたが。でもおっちゃん、農作が中心で畜産農家ではないと思うのだが。


 飯田村長に連れられて村の人々もホムセンには時々来ていた。そこで外郭のトウモロコシやじゃがいも畑や、トマトなどを見て驚いていた。また食事にじゃがいもを蒸したものやトウモロコシを出してうまいうまい、と食べてはいたが目を回していた。俺たちは特にじゃがいもは栽培が容易で冷害にも強い、という事でひろくオススメした。


 水田の方でもおっちゃんが温室で稲の苗を育て、田植え機…は流石に燃料消費が怖いので総出で田植えをしているのをみて飯田村長たちは


「籾をそのまま撒くんではないんで?」

「稲を植える時にこんなにきれいに並べて?」

「そんな手間かけてなんか意味あるんで?」


と疑問に思っていたが、秋になった時。年貢として手子生城に運び込まれた米の量をみてその収穫量に飯田村長たちや、城代の赤松様は目をむいた。


「なんと。これほどまでに米が取れるとは。『ホムセン』に残った分はあるのか?こうまでせずともやっていける範囲で良いぞ。当家は8公2民とかひどいことは言わぬ。」


 と赤松様が気をつかってくれたほどであったが、天野先生は


「いえ、ちゃんとこれよりずっと多く収穫しておりますから…そしてこちらのじゃがいももどうぞ。」


 と献上した。村人が来訪するたびに歓待して出していたじゃがいもやトウモロコシなどの野菜に、飯田村長の村のみならず近隣の村から種芋などを譲り、米も俺たちの収穫から分けたコシヒカリやひとめぼれ、ゆめぴりかが周辺の農村に広がりだした。


 各種農作物の栽培法の指導に飯泉のおっちゃんはそれこそそこらじゅうを飛び回って指導して回るようになった。


 収穫してからも唐箕や千歯扱きなど…ちょうど社会の『江戸時代に登場した農具』を代わりになりそうなものや真田さんが作ったもので作り出し、(千歯こきは真田店長の改良ですぐ回転式脱穀機へ進化した)


「こんなに脱穀が楽になるとは。(以下略)。」


 と地元の村民絶賛。もみを撒くのではなく苗を作ってからきれいに並べる正条植え(これも本来ならずっと後代の技術)、農薬、肥料の使用などなど、ホムセンや手子生城を中心に、明らかに昭和時代レベルの農業がまたたく間に広がったのであった。(初年度の成果を見て翌年一斉に周辺の村々が取り入れた。)

 その成果は農業生産量を数倍に引き上げ、小田領西部は『天賦の地』とどっかの三国志の益州のごとく呼ばれる事態となったのである。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] この時代ならまだホムセンではなく、フォムセンと発音している最後の頃だっけ。 戦国時代の方が南蛮言葉を覚えやすそう。
[気になる点] ホムセンで売ってる種とか苗とかって殆どF1種だと思うんですが、周囲に広げても先祖返りしていくのでは・・・?
[一言] 元々稲作は麦と違い1粒が15倍になる作物で正常植えさえ取り入れれば田の栄養,と光合成で安定した収量が得られるし現代米は病気に強く冷害に強い品種だから収量が激増するよね更に副産物の芋類、豆類、…
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