川中島
「豊島氏の知る戦いというのはどういうものだったのですか?」
と先に随風様が訪ねてきたので、豊島氏はまるで講釈師のように熱く語り始めた。
妻女山に陣取った上杉謙信を追い落とすべく、武田は軍師山本勘助の立案で『啄木鳥戦法』を実行する。軍を二手に分け、高坂弾正率いる別働隊が背後から妻女山の謙信を襲い、山から逃げ出してきたところを信玄の本陣が待ち受けて挟撃するのである。
しかし武田軍の動きを察知した軍神上杉謙信は竈を残して山に兵が残っているように見せかけ、静かに下山していたのである。
翌払暁、待ち受ける武田信玄の眼前には深い霧が広がっていた。そして霧の中から現れたのは無傷の上杉軍であった。
上杉軍は『車懸りの陣』で切れ目なく武田に襲いかかる。武田は信玄の弟信繁を始め名だたる武将が次々と討たれた。啄木鳥戦法を考案した山本勘助も作戦失敗の責任を取り、信玄を守って討たれたのである。
しかしそこに妻女山から急行した武田別働隊が現れ、上杉に襲いかかる。押し戻された上杉謙信は単騎武田の本陣に斬り込み、武田信玄に数太刀を浴びせた!
しかし武田の近習に馬を刺されて謙信は脱出し、善光寺への上杉軍の退却を持って戦闘は終了したのである。
それを聞いていた随風様は豊島氏に質問を始めた。
「いくつか知らぬ名がありますが…上杉謙信、というのは上杉の大将ですから上杉輝虎のことで?」
「そうです。あ、申し訳無し。思わず世間に広まっている方の呼び名で言ってしまいました。信玄、は武田晴信、高坂弾正昌信は春日虎綱のことです。」
「ああ、そうですか!納得しました!」
と随風様は手を打つと
「大体私が見ていたとおりですな!武田が二手に兵を分けて手薄になったところに輝虎が襲いかかった!」
「おお!」
と豊島氏が興奮して尋ねる。川中島の戦いの生の観戦記なんて俺も興奮するわ。
「車懸りの陣、が実態がわからず、ぜひ知りたいのです。古くは対象を中心に車の輪のように陣を組んでぐるぐる回り、周回して襲いかかるとか、新しくは移動用の斜行陣で偶発的に
武田に遭遇したので、そのまま備えが順番に交戦した、などと言われておりますが。」
「ああ、それなら後のほうが近いと思いますよ。でもちょっと違う。」
「違うといいますと。」
「あれ、私の見て取ったところですと移動のために備えを並べていたのではなく、輝虎は最初から次々に当てるつもりだったと思うのです。戦闘した備えが損耗すると次が押し出されるようなまぁいわば心太のようなものですな。」
「それでは兵が目詰まりを起こしてしまいませんか?」
思わず俺が尋ねると
「いやそれがですな、まあ、前が死んだらそれを踏み台にして後ろが出てくるだけですから…武具も前の死体のものを有効利用ですな。」
「それなんていうソヴィエト陸軍。」
「ソヴィエト?」
と随風様がはて?という顔をする。
「失礼しました。随風様は鉄砲をご存知で?」
と俺は聞く。
「存じております。とても高価なものですが、その威力は侮れませんな。」
「ソヴィエト、というのは遠い北にある国です。そこでも鉄砲は高価なので、数人に一人しか鉄砲を持てません。そして一人の鉄砲を持った兵に数人が付き従い、鉄砲を持ったものが討ち死にすると持たないものが鉄砲を拾ってまた進むのです。」
「それでは鉄砲を持ってない兵が逃げてしまうでしょう。」
と随風様がもっともな疑問を言ってくる。
「そこには督戦隊というのがいまして。」
「鼓舞してくれるのですか?」
「いえ、逃げるものがいたら後ろから撃ちます。」
「ひどい話ですな!…しかしまさに上杉のやり方と似ていますな。上杉の兵は死んでも死んでもなお前に次のものが押し出してくる。武田から見たら地獄だろうな、と拙僧は思っておりました。」
「…上杉おそロシヤ。」
「で、一騎打ちというのは?」
豊島氏が尋ねると
「流石に拙僧、本陣にいたわけではありませんがおそらくあったかと。」
「なぜですか?」
「合戦の終わり頃に武田の本陣がにわかに騒がしくなったのが見えました。そして確かに本陣に乗り込んでいったのは輝虎です。輝虎は背格好こそ小さいのですが、遠くからでも尋常ならざる空気を身にまとい、その存在を感じることが出来ました。そして本陣では巨大な馬上杯を片手に持って酒をグビグビ飲みながら、敵兵が近づいてくるや大太刀で即座に斬り捨てていたのです。武田の誰一人輝虎には槍を入れられず、また弓矢もかすりもしませんでした。武田の本陣に乗り込んでゆうゆうと生還できるなど、輝虎以外には考えられません。」
「上杉謙信…伝説は本当であったか…」
皆は伝説の生の観戦記に深く心を打たれつつ、随風様にいつも以上に礼を言ってホムセンに帰ったのであった。
その晩、俺達はこれまでに集まった情報を元に話し合いをした。
「随風様の情報で、今我々がいるのは1562年であることがわかりました。そして小田氏治の所領なことも間違いありません。」
「1562年!」
オタ軍団の中村氏が呻く。
「話違うじゃない!ちょっと耐えてれば小田原征伐で、その時秀吉に取り入ればセーフって言ってたじゃない!それがよりによって小田領?織田じゃなくて小田?豊島氏が熱く語るから覚えちゃったけど小田氏治戦国最弱連戦連敗じゃないの!佐竹に取り入るどころか攻められて滅亡じゃないの!おらこんな村いやだ!!」
と絶叫する。真田店長が
「そこを滅亡じゃなくてなんとかしようとしている訳で。」
と宥めるが、中村氏は
「それで歴史変えたら歴史の修正力でまた当方滅亡するじゃない!もう拙者は我慢できないでござる!おらこんな村いやだ。東京さ行くだ。店長殿!申し訳ござらんが装備を幾ばくかお貸しただきたく。」
黙って装備を持ち出そうとしないだけ中村氏は結構礼儀正しいのである。
「東京さ行くだって言ったって東京まだ江戸、しかも幕府もないから小都市だけど?」
と天野先生が聞くが。
「東京はもののたとえだから!こんな所にいて滅亡じゃなくて俺は織田信長か豊臣秀吉につかえてビッグになる。」
「それってさっき自分で修正力が…とか言ってたじゃない。」
と俺も突っ込むが。
「それはそれ、これはこれ。男児たるもの、こんな田舎でくすぶっていて座して死ぬならてっぺんを目指す。」
「そいつはかっこいいな、兄ちゃん。」
と腕を組んでうなずくヤンキー小島。俺むしろ小島くんのほうがそう言い出すんじゃないかと思っていたけど、小島くんは仲間や俺たちを守りたい、と出ていく話はしなかったのだった。
ホムセンを去る中村氏に餞別にいくつかものを渡す。稲見薬局長は
「相馬先生とも相談したのだが、これ整腸剤、痛み止め、それと内服の抗生物質な。おそらく旅をしていたら水や食べ物に当たることが多いと思うから。」
といくつか薬を渡した。後湿布とかも。真田店長はせめてもの、ということで懐中電灯やライターを渡していた。
餞別(と食料)をもらった中村氏は翌朝、ホムセンを旅立っていった。
「じゃあな!皆の衆、うまく生き延びるでござる。小生がビッグになって迎えに来るぜよ!日本の夜明けは近い!ガハハハ…」
と笑いつつ、中村氏の姿は見えなくなっていったのであった。