主人公、兵を率いて若森に出陣する
昨日は筆者の仕事がバタバタしていて更新できずすみませんでした。再開します。
俺は谷田部城への出陣に向けて一旦手子生城に戻った。城主の天羽源鉄先生(+織部君たち)はすっかり小田定府になっているので城代の俺が実質仕切らなければならないのだ。
俺はしばらくぶりに手子生に戻り、子どもたちと遊び(いつのまにやら長男の滝桜丸は10歳に)、夜はさくらさんと久しぶりに仲良くゴニョゴニョしていたのだが(五月姫は『さくらが先で良いわ』と珍しく遠慮した)…一戦終えてピロートークを、と覆った矢先に天井裏からドサッと人が落ちてきた。
…飛加藤こと加藤段蔵さんだ。
「飛加藤さん、なにやってんすか。」
「いや、いつもの通り天井の梁でカッコよく決めようとしたのだが…足が滑った。」
と頭をかく。怪我をしていないのはさすがではある。
「いや俺もいつの間にやら70歳を超えてしまってな。」
俺は目を丸くしたが加藤段蔵、生まれは文亀3年、1503年だったのだ。流石に70歳…この時代だと数えだから72歳か?にもなると足腰が思った通りには動かない、とぼやく。
「加藤さんもそろそろ現役まっしぐらじゃなくて上忍らしくドーン、と構えていたらどうですか?」
「俺としては生涯現役でいたかったのだが…うーむ。これからは相馬殿の言うとおりにしよう。相馬夫妻の秘儀も見納めだな。」
「そんなもの覗かなくていいですって…」
「うむ。太田の角兵衛もそれなりに忍びとしては使えるようになってきたからな。奴のところの長男も13となれば元服も近かろうて。」
「太田さん(話し合いおばさん)ご夫妻も今でも盛んと聞きますので、そちら覗かれては?」
「相馬殿の方がいつまでも初々しくて好みなのじゃ。なんていうか太田夫妻は奥方が野獣でな。」
…そうなのか。太田夫妻。
「ところで。」
と飛加藤さんはようやく本題を話し始めた。
「多賀谷政経がまた軍勢を動かしているぞ。」
「谷田部から東林寺城(牛久の北方にある支城)を攻めようと?」
「いや、それが今回は軍勢をあげて小田の西方、桜川の対岸の若森の地に兵を出しているぞ。どうやら若森の古城を修築して入るつもりのようだ。」
「なんと。」
若森は加藤さんの言う通り小田城から見て西側の桜川の対岸の台地だ。ここには小田氏治様の4代前の治久様が南北朝時代に城を築いたが、その後は使われなくなっていたのである。
「まずいな。若森に多賀谷の拠点ができるとここ手子生と小田の間を遮断されてしまう。」
南側に迂回すれば荒井氏の小野崎城や吉原氏の上ノ室城などを経由して小田から土浦へ向かう桜川の中途にある藤沢城(土浦と並んで小田氏治様が小田城から逃げる時に入る城だ)へ向かうことはできる。できることはできるが北の若森城、南から谷田部城の多賀谷の兵に挟み撃ちをされてしまう危険があるのだ。
「降りかかる火の粉は払わねばならぬ、じゃないけど谷田部よりもまずはそちらを叩かないと。天羽源鉄先生やお館様にも報告をしようか。」
と小田城に無線で連絡を取ってみようとしたが…
「こちら小田城CICの栗田です。お館様や天羽先生は木田余に出陣してます。」
「木田余?」
「佐竹義重が三村城の復讐に燃える大掾一族を先陣に立てて三村城を攻撃、三村城は落城しました。そのまま佐竹勢は余勢を駆り木田余に押し寄せてきたのです。」
「マジですか。」
「マジです。佐竹勢の大将は佐竹義久。」
…谷田部城攻略どころではなくなっているではないか。佐竹勢を率いているのは一門の佐竹義久。別名東義久ともいう佐竹東家の当主でまだ数えで20ぐらいの若武者のはずだ。
史実では各地で武功を挙げ佐竹家の実質的な家宰となり豊臣秀吉から真壁6万国を別に与えられたという。侮れぬのは間違いない。
「木田余からの報告ですと氏治様と嫡男の守治様が奮闘して佐竹の攻勢をはねのけているそうです。しかし。」
まだしかしがあるのか。
「先の戦いで手に入れた片野城を任されていた木田余城主の信太範宗様が浮足立って片野から出陣して木田余に向かい、そのすきを突いて太田資正・梶原政景親子が片野城を奪取。」
マジか。三村と片野を落とされては先の成果はすべておじゃんに。
「柿岡の赤松様は片野を輔けようと出陣しましたが間に合わず、柿岡にも軍が迫ったため手這坂城に退いてます。」
「ということは氏治様はこちらに兵を出すどころではなさそうですね。」
「おめおめ片野城を落とされて戻ってきた信太様に氏治様は激怒。誅殺されそうになって信太様は逐電したと。」
ここは天羽源鉄先生が信太様に前もって『お館さまの怒りを買った時はすぐ逐電したほうがいいですよ。』との忠告が聞いて命を永らえたようでよかった。信太様にも世話になったからなぁ。
史実だと木田余を引き渡すように言われて抵抗した信太様を菅谷様が誅殺してしまったのよね。と思っていたら兵を出すべく整えていた手子生の城に信太様が現れた。
「相馬殿、そういう訳で匿ってくだされ。」
…手子生やホムセン衆はなんていうかちょっと治外法権的な感じで扱われていたのだろう。後でお館様と揉める原因になりそうなのは不安だが、ここは『窮鳥懐に入れば猟師も殺さず。』
で信太様(と一族)を迎え入れて匿うことにした。
気を取り直して俺は手子生から兵を出した。鉄砲は当地モノ火縄銃20丁、真田店長謹製ホムセンもの10丁、普通の鑓50、弓30、PVC改造ロングボウ部隊10、迫撃砲手榴弾部隊10と俺の本陣周りに剣豪斎藤伝鬼坊さん立ち20で150人の部隊だ…所領考えると結構な規模なのだが、通常の戦国ものみたいに万単位でないしょぼい規模なのは許せ。




