手這坂の戦い その2
手這坂から駆け下りる小田勢、逃げる梶原勢は反撃もそこそこにどんどん退いていく。
嵩にかかって手柄隊を先に立てて攻め立てる小田。すると側方から銃声が響くと、次々と銃弾が打ち込まれた。
「ここに誘い込んだが最後、我らの勝利よ!」
と軍配を採っているのは…太田資正!梶原政景の隊はいつの間にやら太田隊と合流している。
小田の軍勢は手柄隊を退かせ、竹束を並べて太田の銃弾を防ぐ、そしてこちらも火縄銃を並べて一斉に射撃させつつ弓隊も矢を放って援護する。
まだ筑波山の裾野の山間部だから双方ろくに当たらないが、凄まじい銃撃と矢の応酬だ。
この時俺の所に天羽源鉄先生が来て、ちょいちょい、と袖を掴んでいった。
「相馬センセ、隊を率いて左側から大回りをして太田隊を斜め後ろから襲ってください。」
「…左後ろ…わかりました。さすがは大軍師天羽源鉄様。」
と了解すると俺は手勢を率いて銃撃戦から抜け出し、ぐるっと左側にそれて山を降りていく。そして戦場から少し離れた所で兵を展開させると(と言っても50人ほどだが)
一斉に鬨の声を挙げさせつつ、太田勢に向かって射撃させた。
「お前らの帰る所を無くしてやる!」
ちょうど俺が布陣したのは太田勢の片野や柿岡に向かっての退路なのだ。
うちの隊が装備するクロモリ長銃身銃は命中精度はともかく射程は太田方の火縄銃より長い。弓の名手といい勝負だ。それ故太田隊をアウトレンジで撃つ形になった。
うちの隊と小田氏治様の本隊に挟まれた形となった太田勢。そもそも太田勢は梶原隊合わせてもざっと500強と言った様子でこちらは計3000ほどいるのである。
「やむを得ん!退け!」
との梶原政景の号令とともに太田勢は残された方向…恋瀬川を下って府中の大掾氏の方向に向かって逃れようとする。
「やった!太田勢は退いたぞ!深追いはせず片野城を攻略するぞ!」
と天羽源鉄先生の下知で小田勢は逃げる太田勢を捨て置いて片野城へ向かう。
片野城には僅かな守備隊しか残されていなかった。ひと押しすると片野城の兵はあっさりと抵抗を諦め、ついに小田氏治の軍勢は長年回復を望んできた片野の城に入場したのであった。
「これで念願の片野城を回復できた。天羽源鉄、そちの知略のおかげじゃ。相馬典薬とともに後で褒美を取らす。」
と上機嫌の小田氏治様。
「とはいえ府中に向かった太田資正が体制を整えて反撃してくるやもしれませんし真壁が動いていないのも気になります。ここは守将を置いて動かないと。」
と進言する天羽源鉄先生。すっかり軍師が板についてきたぜ。今回は織部くんもいないのに。
片野城は信太範宗様に一旦任せれ、俺たちはそのまま西の梶原政景の居城、柿岡城を攻め立てた。
「ぐははは。梶原様は真壁とともに貴様らの本拠に向かっておるわ!先に交戦したのは三楽斎様の命を受けた影武者よ!」
と言い残して梶原の兵は自害し、俺達は柿岡城を落とした。やばい。
「となるとやはり小田の本城が危うい!急ぎ戻るぞ。」
と焦る氏治様。
「今回はそんなこともあろうかと手子生衆最大の知略を誇る織部留守院を小田城に残してあります。ここは焦らずとも良いのでは?」
と俺は進言した。
「そうはいってものう…上杉輝虎の時のこともあるし…」
と赤松様(懐かしだな)を柿岡の守将に残して小田の本隊は筑波山を駆け上り、小田城を目指した。
息も切れ切れになりながら小田城にたどり着いたが…そこに翻っていたのは幸い梶原や真壁の旗ではなく、小田の旗だった。
「讃岐守様、お待ちしてました。」
と出迎えたのは織部くんだった。
「真壁や梶原は来なかったのか?」
史実では手這坂で小田の本隊が破れて混乱している間に梶原・真壁が
『殿のお戻りじゃ、開門!』と小田城に現れ、あっさりと開かれた門から突入して落城だったのだ。
「はい。来ました。それがですね、奴らも実に凝ってまして、例の氏治様を座らせる輿にVRゴーグルと拳王風の兜を着けた人物を座らせていたのです。
ですので『氏治様なら答えられるはず。『帝王は』』と尋ねました。するとあたふたとし始めたので『小奴らは氏治様の偽物である!撃て!撃て!』と命じまして追い払った次第です。」
「『帝王は』と問われたら『引かぬ、媚びぬ、省みぬ』だよなぁ。」
と腕を組んでうなずく氏治様。
とんだところで氏治様の趣味が相手に利用されそうになり、また逆に相手を見破る鍵となった。人生全く何が役に立つのがわからない、と思う俺達なのであった。
すみません。ちょっと展開の案(たどり着くところは同じなのですが道筋がいくつか)迷ってまして
決まるまで数日お休みいただきます。週明け月曜日には必ず再開します。




